Vol.12 双子の英語教育/通訳者・平井美樹さん

通訳者・翻訳者の子育て2018.07.12

2歳までは英語で話しかけ続けた

ママ友によく“子どもに英語をやらせたいのですが”と尋ねられると私は困ってしまう。語学のプロではあるが教えることに関してど素人なのだと痛感しているからだ。以前、友人が主宰している学童で月に1回ボランティアとして英語を教えたときにその難しさにぶち当たった。子どもたちに興味を持ってもらうのは容易ではなく、ちょっと気を抜くとそっぽを向かれる。ただ、身体で覚えることは楽しいらしい。また、Bob, Bethと英語名をつけて“別人格”を演出すると、意外と子どもたちはもう一人の自分になりきって楽しんでいた。

私も日本に生まれ育つ日本人として、母国語できちんと自己表現できるようになることを優先する主義。といつつ、“心音が2つありますね”と妊娠初期に双子であることが判明したときから早10年。お腹の中にいるときはずっと英語で話しかけていた。“マミーとの特別なコミュニケーション方法になれば”と淡い期待を抱いていたのかもしれない。その後、無事一卵性の女の子が生まれてからは保育園に入る2歳までは英語で育てた。夜な夜な歌った子守唄も英語。ナニーとしてお手伝いいただいていたフィリピン人女性も英語。英語の方が喜怒哀楽もはっきりしており、子どもの褒め言葉や励まし、感動の表現も多いことに気がついた。日本語の子守唄はどれも暗く、こちらの気が滅入りそうでもあったので、英語の歌を口ずさんでいた。

ちゃんとした言葉を覚える前から二つのベビーベッドで“x*#&+”と言えば“¥@$#”と答えて二人でゲラゲラ笑っていた。これが俗に言う双子言葉だとおもしろがると同時に双子は言語取得が遅いと言われる所以であることも納得した。テレパシーではないが二人だけの伝え方があるようだった。

我が家のダディーは純ジャパ。英語は一言も話さない。保育園に入ると周りの世界はすべて日本語なのですっかり思考も言葉も日本語になったが実はこれも織り込み済み。ただ、この時代に生きていく子どもたちはデジタルな世界、そしてグローバルな世界で活躍していくと思い、英語アレルギーにだけはなってほしくないと願った。

このころから“マミーとの特別なコミュニケーション方法”としての英語といってももっぱら、外出先で他の人に知られずに怒るとき、注意するときにばかり英語で話していたよう。数年後友人に指摘をされて、それではますます英語が嫌になってしまうと猛省した。保育園でも英語の時間があり、またテレビで海外の番組を見るときはすべて英語に。読む絵本もダディーは日本語、マミーは英語とフランス語。Disney ChannelやNetflixを英語で見ているせいか、最近態度だけは立派なネイティブになりrolling the eyesをされることもしばしば。今からteensが怖い。

小学生では英語学童などで機会を持つ

受験向きではない二人だったので、公立の小学校進学をしたが必ず夏休みなどには海外でしかできない経験をさせようと考えていた。目的は海外の多様性に触れること。そして肌感覚としてこの中で生きていくのだと認識して欲しかった。いずれ英語が必要だと思う瞬間が来れば、自発的に本腰を入れるという期待を込めて。今はじっと待つのみの忍耐の日々。

週3回は英語の学童に通わせたが、ここでも目的は語学習得ではなく、グローバルスキルともいわれる、自分で考え、自信をもち、自分を表現できるといったことを身につけ外国人の先生に教わることに慣れて貰えばと割り切った。ただ、ネイティブの先生がたが頭を抱えるほど内向的な二人、なかなか大きな声で発表会に参加するというわけには行かず。むしろ、それが個性と受け入れてもらったことで自分たちのshy twinsというポジションを作り上げているようにも見えてきた。

まあこれもサバイバル能力とポジティブシンキング。Phoneticsや基本的な英語は身につけているし、私が英語で言うことの大半は理解できている様子だからと。まったく発言しない我が子を見ては“今は吸収期間。スポンジが水を吸うように…”とこれもまた忍耐の日々。

10歳で読み書き英語にシフト

4年生目前になり、そろそろ読み書きの英語にシフトしようと思う。お年頃なせいか、学童でのゲームやお遊戯的なことは嫌で、外国人先生に問われてもshyで逃げる術だけを身につけてしまったので、今度は半個人授業で逃げ場をなくしてみよう。体験講座に行ったら帰国子女の素敵なお姉さんが優しく1対1で読み書きを指導してくれ本人たちもrole modelができたよう。シメシメとまた淡い期待を抱く母。

私が育ったカナダのモントリオールやオタワにいる親友宅に行ったとき、言葉は片言でも、娘たちは大自然の環境やカナダ人の生活を“虫が嫌!”と逃げ回りつつ堪能していた。シンガポールでは“英語の発音がおもしろい!”とか下手な英語でも話せばいいのだと実感した様子。アジアの一員として生きていくのだからそのダイナミズムにもっと触れてほしい。フランスに行くとまったく違う言葉でマミーが話していることが新鮮だったよう。気がついたのは言葉と関係なく、本人たちのアンテナで色々と感じ取っていることがあり、それをまた今は倉庫に格納しているらしい。温室育ちの娘たち、そろそろアジアやアフリカの国々に行こう!または親元を離れて海外サマーキャンプに参加しよう!と今年は提案しているが反応がない。

この地球上に様々な価値感をもつ人々が暮らしていてそれがおもしろい!とか、それでも同じ人間だ!と思ってもらえる日を楽しみに、そのときに英語をやっていて良かった。なんて先見性のある母親だったのだろうと感謝される姿を妄想しつつ、今日も淡い期待と忍耐で双子の同時苦情に耳を向けている。同時通訳者なだけに2つの音声を聞き分けられるが15分交代はない。

こんな日々の中、最近分かってきたことは、「探究心、質問力、理解力、コミュニケーション力、受容力、こういう人間力を身につけることが優先で、道具としての英語は苦手意識だけは持たないでいけばなんとかなるだろうと楽観してないと、英語のできる親は自分が辛くなるのでは?」ということだろうか。