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2024.04.26 UP

第11回  佐藤文音さん:映画『私ときどきレッサーパンダ』ほか の吹替・字幕を語る!

第11回  佐藤文音さん:映画『私ときどきレッサーパンダ』ほか の吹替・字幕を語る!

映像翻訳者が、海外映画やドラマなどの字幕&吹替翻訳で「すごい!」と感心したフレーズや、印象に残ったフレーズを紹介! 月1回のリレーコラム形式でお届けします。
今回の筆者は、吹替やボイスオーバーの翻訳で活躍する佐藤文音さんです。
協力:映像翻訳者の会Wakka

人気作品の吹替や決め台詞の字幕を紹介!

皆さま、はじめまして。兼業で英日映像翻訳者をしている佐藤文音です。

2つの仕事を掛け持つ難しさをひしひしと感じつつ、アニメーション作品や、恐竜のドキュメンタリー作品を翻訳するという夢を追いかけています。
勉強のために字幕と吹替の「写経」をしているのですが、その中から特に印象的に残ったセリフをご紹介します。

1. 映画『私ときどきレッサーパンダ』より(吹替)

【原文】
Are you serious?

【日本語吹替】
ウソでしょ。これが恩恵?

(『私ときどきレッサーパンダ』Turning Red /2023年/配給:ディズニー/吹替翻訳:田尾友美氏)

配信では公開済みでしたが、満を持して2024年3月に日本で劇場公開されたピクサーによるアニメーション作品です。

主人公はカナダ・トロントのチャイナタウンに住む13歳の女の子、メイ。あることがきっかけで、感情が高ぶると巨大なレッサーパンダに変身してしまうようになります。母親のミンから「遠い昔に先祖が神から授かった恩恵が、レッサーパンダに変身して戦う能力」と聞かされた時にメイが発した一言です。

原音では Are/you/serious? と1ワードずつ区切って発音されているので、それに合わせる必要があります。例えば「何それ/マジで/言ってんの?」でもセリフになりそうですが、少し具体性に欠けますね。

吹替では、物語の流れやメイのなかに渦巻く感情(レッサーパンダの力のせいで、まともに学校に行けない→「神の恩恵だ」と説明される→「はあ?こんなに困ってるのに恩恵って、どういうコト!?」)をしっかり踏まえたセリフになっています。さらに、口の動きやメイの表情にもピッタリ合っています。

この映画にはほかにも紹介したいセリフがたくさんあり、どれにするか非常に迷いました。
どれも流れを踏まえた具体性のあるセリフになっていて、耳にすっと入ってきます。
私にとっては吹替のお手本にしたい作品です。

2. 映画『ナイル殺人事件』より(字幕)

【原文】
Ah, love./It is not safe.

【日本語字幕】
愛とは…/波瀾万丈だ

(『ナイル殺人事件』Death on The Nile/2022年/配給:ディズニー/字幕翻訳:松浦美奈氏)

ミステリーの女王と評されるアガサ・クリスティの小説『ナイルに死す』を映像化した作品です。

休暇でエジプトを訪れていたポアロは、偶然再会した友人のブークに招かれ、ある新婚夫妻のお祝いパーティーに出席します。出席者の前に現れた夫婦を見て、ポアロはびっくり。新郎のサイモンは、新婦ジャクリーンの親友であるリネットと半年前に婚約していたはずだからです。略奪婚に悪びれる様子もなくイチャつく夫婦を見つめながらポアロは “Ah, love. It is not safe.” とつぶやきます。

このシーンは画面にポアロの顔が大きく写ります。決め台詞とまではいかずとも、ビシッと締まる字幕にしたいところです。

いくつかの英英辞書で “safe”を調べてみると、 “If something you have or expect to obtain is safe, you cannot lose it or be prevented from having it.”という語釈を見つけました。これが “not” で否定されるわけですから、「失ったり、得られなかったりする可能性がある」ということになると思います。
“safe”の類義語として “secure”や “certain“などの「確実」、「安定」を指す語が載っており、この点も合わせると “not safe”の意味合いは「常に手中にあるとは限らない」「不安定なもの」と考えられます。

私なら「無常だ」とか「はかないものだ」にしてしまいそうですが、なにか物足りない…。「何があったのかは不明だが、サイモンの気持ちがジャクリーンからリネットに移ってしまった」という流れを無視して字面だけで訳してしまっているからでしょう。実際の字幕はというと、「波瀾万丈だ」です。愛を巡って3人の関係性が劇的に変化したという背景を巧みに訳出しています。

「いい字幕」の要素は様々あると思いますが、スクールの講師から教えていただいたひとつは「核心を突いて、より簡素に」です。「愛とは…/波瀾万丈だ」は、まさにそれを体現する字幕だと思います。

3. 映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』より(吹替)

【原文】
As representatives of the host school, I expect each and every one of you to put your best foot forward.

【日本語吹替】
みなさんはトーナメント開催校の代表として一人一人が自覚を持ち最高のリードをしてあげてください。

(『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』Harry Potter and the Goblet of Fire/2005年/配給:ワーナー・ブラザース映画/吹替翻訳:岸田恵子氏)

全世界を席巻したファンタジー「ハリー・ポッター」シリーズの第4作目です。

三大魔法学校対抗試合の開催地となったホグワーツ魔法魔術学校。マクゴナガル先生がグリフィンドール生たちに「クリスマス・イブの舞踏会を執り行うのが伝統」と説明するシーンです。

“put your best foot forward” 「最高のリードをする」とした点に注目します。英英辞書では “to try as hard as you can” (全力を尽くす)とありますが、字面で訳すと流れが悪くなりそうです。というのも、次のセリフは “and I mean this literally,”(これは文字通りの意味です)なのです。
したがって、このセリフは文字通り(最善の足を前に出す)のニュアンスも残しつつ、開催校の生徒に期待される役割を表わし、かつ舞踏会(ダンス)を想起させるものでないといけません。

そこで吹替は「最高のリード」と表現しています。開催校の生徒として他校の生徒を導く「リード」と、社交ダンスで男性が女性に次のステップを伝える「リード」の意味合いを含んでいるように読めますし、ダンスのリードは実際に「足を前に出す」動きですよね。

原文の良さをまったく損なうことなく、自然な日本語に再構築したセリフ。
こんなすばらしい訳文に接することができて視聴者として本当に幸せだなと感じますし、原文に対する真摯な姿勢には頭が下がります。

映像翻訳者の会Wakka
2023年4月に発足した、映像翻訳者による集まり。フリーランスが多い業界において、映像翻訳者ならではの悩みの相談や、同業者間での情報共有、助け合いができる場づくりを行う。また映像翻訳者の地位向上、映像翻訳者が働きやすい環境作りへの貢献をめざす。
Webサイト:https://wakkaeizouhonyaku.wixsite.com/wakkaweb
*本コラムはWakka会員の翻訳者の方によるリレー連載です*

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佐藤文音
佐藤文音Ayane Sato

英日映像翻訳者(吹替・VO)。メーカーの財務経理として働いていた時に映像翻訳に興味を持ち、制作会社が運営するスクールに通学。さらに翻訳業界を知るべく、上京・転職して産業翻訳のコーディネーターに。2023年より兼業の映像翻訳者として稼働開始。主にドキュメンタリー作品のVOを担当。