2024.04.04 UP
出版翻訳家 千葉敏生さん
~Interview with Professional~
女性が圧倒的に多い出版翻訳の世界にあって徐々に存在感を増している翻訳家、千葉敏生さん。理系ながら翻訳一筋のキャリアを歩み、良質なノンフィクションを訳し続けている。
好機も危機も転機に変えて
ジェネラリストの翻訳者をめざす
疫病Aの根絶のため、これだけのお金を投じると、これだけのワクチン投与をでき、これだけの人を救えて、その人たちが生涯これだけのお金を稼ぐ。よって、救われる人たちの生涯賃金を比べると、疫病Bではなく疫病Aの根絶にお金を寄付すべきである——。
2018年11月に発売された訳書『〈効果的な利他主義〉宣言! 慈善活動への科学的アプローチ』は、ざっくり言えばそういう本だ。オビには「哲学と経済学の概念を組み合わせた、新世代の社会貢献学」とあるが、分野がクロスオーバーしているあたり、いかにも千葉さんらしい。これまでの訳書をカテゴリ分けすれば、数学、科学、思考、哲学、ビジネス、政治など。分野は問わないし、分野を跨いでいても気にしない。
「ジェネラリストでありたいんです。自分には専門分野と呼べるようなものがないので」
今年、出版翻訳家としてキャリア11年目を迎える40歳。『スイッチ! 「変われない」を変える方法』や『デザイン思考が世界を変える イノベーションを導く新しい考え方』などのロングセラーを持つ、期待の“中堅”だ。昨年はノンフィクション5冊を上梓し、すでに先々まで予定が埋まっている。その活躍ぶりは、出版市場の縮小という逆風をまるで感じさせない。
(2019年当時)
面倒見のいい恩師と
太っ腹な編集者との出会い
高校時代は数学や物理が得意だったので、何の疑いも持たずに大学の理工学部に進んだ。数理科学科で数学漬けの毎日。だが専門性があまりに高く、研究者をめざす学生ばかりの雰囲気に気圧され、数学恐怖症に陥ってしまった。中退の一歩手前までいったが、必修以外の科目を英語や社会心理学など興味のある科目で代替し、なんとか卒業。進路に迷ったが、数学以外の興味を考えた結果、翻訳を学んでみることにした。
「中学生の頃から英語が好きで、対訳の付いた英語文庫を読んだりしていました。文章を書くのも好きで、インターネットが登場して間もない頃、ホームページをつくって雑記とか英語を勉強した成果とかを綴っていたりしていたんです。それで翻訳をやってみようかと」
大学を卒業してすぐ翻訳学校フェロー・アカデミーに入学し、さまざまな分野の翻訳を学ぶ1年間のコースを受け、必要なスキルを幅広く習得した。修了後、IT系の翻訳会社でアルバイトを開始。その傍ら、子ども時代に推理小説が好きだったことから、ミステリの翻訳講座で勉強を続けた。
そして約2年後、転機となる出来事が畳みかけるように起きる。講師である翻訳家・田口俊樹さんの紹介で下訳や共訳の機会に恵まれ、専念するために翻訳会社を退職。ほぼ同じタイミングで、翻訳会社を経営しながら出版翻訳を学んでいたクラスメートから、IT系の実務翻訳を請けるようになった。さらにその後、田口さんに連れられて4、5人のクラスメートとともに早川書房を訪問。弟子を編集者に紹介したいという師の親心により、ついに出版翻訳家としてのデビューのきっかけをつかんだ。
「ミステリは競争が激しいし、数学関連の本を訳したいという気持ちもあって、ミステリで有名な早川書房で『ノンフィクションをやりたい』と言ったんです。そんなことを言い出したのはもちろん僕だけで(笑)、僕一人、ノンフィクション担当の編集者さんと話をしました。そしたら、その場で翻訳の仕事をくださったんです」
それが初の単独訳となる『買い物をする脳 驚くべきニューロマーケティングの世界』。この記念すべき1冊目を皮切りに、その編集者は次々と仕事をまわしてくれた。
「男気があるというか太っ腹な方で、デビューから立て続けに5冊もお仕事をくださいました。きっかけをつくってくれた田口先生はもちろんですが、編集者さんにも本当に感謝しています」
※『通訳者・翻訳者になる本2020』より転載 取材/金田修宏 撮影/合田昌史 取材協力/フェロー・アカデミー
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スマホで翻訳することも
1979年、神奈川県生まれ。早稲田大学理工学部数理科学科卒。大学卒業後、フェロー・アカデミーで翻訳を学び、2006 年にフリーランス翻訳者として独立。『僕たちはまだ、インフレのことを何も知らない デフレしか経験していない人のための物価上昇2000年史』、『半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』(以上、ダイヤモンド社)、『見えない未来を変える「いま」――〈長期主義〉倫理学のフレームワーク〉』(みすず書房)、『スタンフォード式 人生デザイン講座 仕事篇』(早川書房)など訳書多数。