医療ドラマ翻訳で得た経験が 大きな自信と成長に

リレーエッセイ2013.03.12

もともと英語は大の苦手でした。大学では数学を専攻、卒業後はメーカーに就職。できるだけ英語と関わらない道を選んできましたが、会社に入ったとたんグローバル化の波に飲み込まれ、英語の勉強をせざるを得ない状況に陥りました。それが英語学習のきっかけだったと思います。その後、会社を退職してカナダに留学。2年後に帰国し、私の翻訳(修行)人生が始まりました。

映画や海外ドラマが大好きだったこともあり、いずれは映像翻訳をやりたいと考えていましたが、当時は多チャンネル時代到来前。新人が入り込む余地などまったくありませんでした。通っていた翻訳学校(吹替コース)の先生も「ここはタレント学校と同じ。あなたたちはまずデビューできません」と断言するほど。それでもわずかな希望を抱きつつ学校に通い、技術翻訳や雑誌の翻訳を数年間続けました。そんな私にチャンスが巡ってきたのは97年のことです。久しぶりに買った翻訳専門誌に「字幕翻訳オーディション」の告知記事が掲載されていました。ダメもとで応募したこのオーディションに何とかギリギリで合格し、ようやくスタートラインに立つことができたのです。

刺激になった他の訳者との仕事

最初の仕事はアメリカのソープオペラでした。日本で言うところの昼ドラです。2、3回飛ばしても話についていけそうな単純な内容のメロドラマで、解釈に困るような英語表現もほとんどなく、週に2本のペースで納品していました。内容が簡単ですから当然チェックバックも少なく、「私、なかなかいい感じかも」などと悦に入っていましたが、言うまでもなくそれは大きな勘違い。番組終了後、担当者さんからいただいたコメントは「可もなく不可もなく。しばらく勉強せよ」という厳しいものでした。その後、1~2年は情報番組やドキュメンタリーの仕事が中心。毎回新しい仕事が来るたびに、「ここでしくじったら次はないぞ」と気合いを入れ直して作品に臨んだものです。

現在の仕事はドラマシリーズが主ですが、転機となったのは『シカゴ・ホープ』という医療ドラマです。私が依頼されたのはシーズン4以降で、シーズン1~3を訳した翻訳者さんと1話ずつ交代で担当。他の翻訳者さんとの仕事は初めてでしたが、私よりずっとキャリアが長い方だったこともあり、大変勉強になりました。彼女が作る字幕は、どれも必要な情報が過不足なく盛り込まれ、漢字とひらがなのバランスや改行位置が絶妙。丁寧に作り込まれ、見た目にも美しいものでした。そんな均整のとれた字幕たちが、専門用語満載の複雑なストーリーを淀みなく流れるように語ってくれる感じ。「ああ、ドラマの字幕はこうあるべきなんだな」と感心すると同時に、だらしない自分の字幕を大いに反省しました。

また、この作品ではリサーチ地獄も味わいました。医学用語はすべて自分たちで調べなければならず、医学用語辞典や医学生用の参考書などを大量に買い込むことになりました。わからない用語や表現は医師や看護師に確認、その回答をもとに申し送りを作成、それだけで丸1日潰れます。残りの時間でスポッティングを取り、難解なセリフたちと格闘し、気がつけば締切り目前、というめまぐるしい日々でした。私が担当したのは40話ほどでしたが、最終話を迎えた時には大仕事を成し遂げたような達成感があり、これが大きな自信となりました。

よく言われることですが、字幕翻訳は字数制限との闘いです。どんなにカッコいい字幕も、字数内に収まっていなければ担当者さんからダメ出しが飛んでくる。無駄な言葉をそぎ落とし、シャープな字幕を並べれば、視聴者に「味気ない、面白さが伝わらない」とバッサリやられる。あちらを立てればこちらが立たず。字幕制作はジレンマの連続です。

とはいえ字幕翻訳は面白い。無数にある言葉の中から適語を探し出すという地道な作業は、パズルのようでもあり宝探しの旅のようでもあります。字数の壁がある以上、万人を満足させられる字幕は一生作れないかもしれませんが、少しでも長くこの業界にいられるよう日々精進していきたいと思っています。

★『通訳・翻訳ジャーナル』2013年冬号掲載★