
Vol.25 バイリンガル教育は難しい―皆そろってモノリンガル家族
/会議通訳者 ベック徳子さん
熊本弁を操っていた子どもたち
家族構成はアメリカ人の主人と娘2人、息子1人です。私は中学で初めて英語を学び、日本の短大を卒業後アメリカの大学に編入。しかし自分の稚拙な英語ではまったく会話にならないことにショックを受け、長年かけて英語を習得しました。そこで子どもが生まれたら是非バイリンガルに……という夢はあったのですが、子どもたちが学校や保育園に行くようになったとたん、あっさり挫折しました。
一番の理由は長女、次女が小さかった当時は日本に住んでいて、アメリカ人の主人のほうが日本語を学びたいという熱意を持っていたことです。残念ながら私より主人の日本語習得曲線の方が高く、家庭の会話は日本語オンリー、従って子どもたちは日本語はペラペラでした。熊本県に住んでいた頃、街を歩いていて、子どもが知らない人から”Excuse me, may I practice English with you?” と聞かれたことが何度かありましたが(当時はインターネット普及前で生の英語を聞ける機会が少なかった)、子どもたちは困惑顔で「そげんこつば、知らんとー」と、それはそれは流暢な熊本弁で返答したものでした。
アメリカ移住で日本語は遠くへ
長女が小学校1年生、次女が保育園のときにアメリカに引き揚げてきたのですが、英語教育をほとんどしなかったおかげで2人とも最初の3カ月くらいは周りで何が起こっているのかよくわからなかったと思います。日本にいたときにABCの歌やTwinkle, Twinkle, Little Star などの歌を歌わせると日本語訛り丸出しだったものです。でも半年すると英語が上手になり、また毎日の生活体験が英語環境で起きているので、帰宅後の会話も英語になりました。
逆にこのままでは日本語を忘れてしまうと危機感を感じ、なるべく日本語で話しかけたり、日本人教会に行ったり(語学学習のために教会に行ったのではありませんが)、夕食時に日本語を話せばデザートを出す、とか、テレビを見たいなら日本語の子ども番組なら何時間見てもいい、などとルールを作ったりしたのですが、長続きはしませんでした。
ちょうどその頃、私は通訳として働き始め、一日中、言葉の変換をして疲れて帰ってくると、子どもの言うことをいちいち日本語に直してあげる気力が無かったのです。それよりも帰宅後の限られた時間内で、いかに夕食を作り食べさせ、宿題の手伝いをしてお風呂に入れて本を読み聞かせして寝付かせるか、で精一杯で、常に短距離競争で走っているような毎日でした。
子どもも疲れて帰ってくるわけですから駄々をこねたり、ご飯の途中で居眠りしたり、友達と喧嘩をしたといって機嫌が悪かったり、と毎日さまざまなドラマが繰り広げられ、何語で喋るかどころではなく、子どもの言うことをしっかり聞いてあげて、なんとかあやしながら一日を終える状態でした。
バイリンガル教育は、親が確固とした信念、努力、根性に加えて時間と余裕が無いと難しいのではないでしょうか。巷には上手にバイリンガル教育をされている人もいますから、本当にそういう親はすごいと尊敬の極みです。