第18回 一見地味な伊勢神宮参りをおもしろくガイディングする奥の手

通訳ガイド行脚2008.12.16

年間1,000万人の外国人観光客誘致に影をさす
世界的な旅行ブームの冷え込み

この秋、観光庁や政府の観光局もスタートし、Visit Japan Campaign政策にもとづいて2010年までに訪日外国人の数を1,000万人に伸ばす努力が各方面で続けられています。年間15~20億円以上を費やして全世界に観光地としての日本が宣伝されるのですが、最近は経済情勢の動きと連動して旅行は世界的にその勢いが弱まり、昨年比ではマイナス成長で悲鳴をあげる業界も少なくありません。そんな中で、商用客は急減しても観光客の訪日率は結構頑張っているのだとか。人数達成だけに注目しがちな一方で、こんな時だからこそと、質の高い旅行提供をしたいと意識する人々も増えてきたのは嬉しいことです。

同じ場所を観光してもその案内のされかたで印象はガラッと異なってしまうもの。十分に価値を見出させ、楽しんでいただくためにはガイドの腕が物を言います。

たとえば式年遷宮を平成25年に迎える伊勢神宮を詣でるとしましょう。五十鈴川を渡り、手水をつかって古式建造物を見ながら木立の中をしばし奥に歩きます。伝統的な日本建築では鮮やかな色彩で表面を塗ることはせず、資材本来の持ち味を生かすのでちょっと原始的なムードも漂い、一見どの建物も似通ったシンプルさで地味に見えてしまいます。「えっと、この建物は~をする場所で」と目に見えるものだけを説明しても、いま一つ外国人には魅力に乏しくピンと来ない部分も多いようです。そんなお客様を雲にまきながら、案内しずらいと感じる通訳ガイドも少なくないのではないでしょうか。かく言う私も若きガイド時代、あまり訪れる機会がなかった伊勢参りには冷や汗苦労をしたものでした。

初めから伊勢に参詣する意義をお客様が深く理解して興味を持ってくれていたら話は違います。「ほお~、ここが伊勢の神宮なのか!」と深い感動が呼び起こせれば、一歩一歩踏み出す歩みにも元気が入ります。

伊勢神宮詣では江戸時代の庶民に一生に一度許されたイベント
豊富な当時の旅行産業ネタで盛り上げてはいかが?

旅行文化を研究されている専門家からこんな話を聞いたことがあります。
江戸時代には一生に一度、伊勢参りの旅行をすることが公に許されていました。それは厳しい日常の現実から飛び出し、非凡な旅行を通じて人生を見つめる絶好のチャンスだったに違いありません。江戸中期で2000万人の人口の内、年に100万人以上、つまり20人に1人が(!)伊勢に詣でたという記録があるそうです。個人旅行は許可されないために集団を組み、「御師」(おんし)という、今でいえば総合旅行業者に対して積立金システムで大金を支払って、宿の手配、案内、平民には通常発行されぬ伊勢神宮のありがたいお札をもらうための代参、祈祷手配サービスなどを得ていたのです。料金は5両、7両、10両という3つのコースがあったのですが、10両とは江戸の長屋ではない普通の一戸建てに住む一般庶民家族が、一年間それで十分生活できるくらいの金銭でした。伊勢神宮前の御師の宿では食べきれぬぐらいの数膳に及ぶ豪華な食事が出され、寝具は羽二重の掛け布団が2枚重ねという、「まるで大名気分」というキャッチフレーズがぴったりのツアーだったそうです。その手あついもてなしの非凡さはあまりにも普段の生活とは異例なレベルであったので、書物にもたくさん書き残されているそうです。伊勢の評判を上げてお客を呼ぶためには口コミが一番大切と、伊勢の人々はさぞかし一生懸命にサービスを尽くしたことでしょう。いつの時代も同じです。

日本人にとっては、あこがれの伊勢路だったのですね。そして御師というのが日本の旅行会社の先駆けのひとつだったのでしょうし、伊勢参りや富士山登りの頃から一般日本人は団体旅行に慣れたのかもしれません(今でこそ個人旅行も増えましたが)。来日された外国人のお客様の母国ではそれに似たようなことがなかったでしょうか? そんなことからお客様との文化交流の話題が盛り上がるかもしれません。

ちなみに伊勢神宮では内宮と外宮がありますが、観光客のほとんどが外宮を参詣します。内宮は天皇家の祖先とされる天照大御神を祭るのに対し、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭っています。豊受大御神は衣食住、産業のまもり神とされているので、江戸庶民には生活に密着した外宮に人気がありました。御師も内宮前には120軒、外宮前には400軒と圧倒的な数を誇ったそうです。「二つあるけど、外宮しかいかない」というような説明のしかたで不服に感じた外国人から「なぜだ!」と攻め寄られたときには、そんなこともお話してみてはいかがでしょうか。