順調なデビュー後に壁 取引先の変更で好転

「字幕翻訳家になるための学校がある!」新宿西口の書店で翻訳関連誌を見つけ天啓を得た(と思い込んだ)私は、まもなくしてそのとき買った本に出ていた映像翻訳の学校に通い始め、そこで憧れの“字幕”…ではなく“吹替翻訳”のおもしろさに魅了されました。木原たけし先生や佐藤一公先生など、吹替翻訳のレジェンドである先生方の講義を受ける幸運に恵まれたためかもしれません。先生方には繰り返し「簡単には食べていけないぞ」とたたき込まれていたので「10年以内になんとかプロに……」くらいに覚悟を決めていたところ、CS放送黎明期の人手不足のおかげで卒業と同時に吹替のドラマシリーズのお仕事をいただき、デビュー。ここまでは自分でも驚くほど順調な第1幕となりました。

第2幕。専業翻訳者となってしばらくしたところで、深い穴に落ち込みます。CS開局ラッシュが落ち着くと、それまでのような依頼をいただけなくなったのです。いま思えば、忙しいのをいいことに見ないふりをしていた力不足と心構えの甘さが招いた結果だったのでしょう。声をかけてもらえる仕事はなんでも引き受けましたが、名前がクレジットされることのない作品がほとんど。報酬も低く、当然、翻訳だけでは“食え”ません。アルバイトをしながら続けていましたが、“映像翻訳者”と名乗るときに「いつまでそう名乗れるのだろう……」と気弱な思いがつきまとっていたことを覚えています。

現状打破のために新たな取引先へ

第3幕が開いたのは、デビューしてから10年ほど経った頃。その少し前に取引先との関係を見直したのがきっかけでした。それまで取引先はほぼ1社のみ。新人の頃から育てていただいて感謝していましたが、年々「自分の目指すところとは違う方向に進んでいる」という思いが大きくなり、そこを離れる決断をしたのです。その会社からの依頼をお断りしたことがなかった私にとっては勇気のいる行動でしたし賭けでもありましたが、新しい場所へ踏み出してみると、思いのほか好意的に評価していただけてうれしい驚きでした。

しばらくして、あるTVドラマシリーズを担当するチャンスが巡ってきました。上質なその作品は話題になり、クレジットされた私の名前も少しずつ知っていただけるように。取引先も増えました。担当作品が次の扉を開けてくれたのです。その扉はまた次の扉へとつながり、いつからか何の曇りもなく「映像翻訳者です」と名乗れるようになっていました。

と、映画の3幕構成ならここでエンディングへ向かうのですが、翻訳者人生はまだまだ波乱含み。なんとかハッピーエンドにしたいものです。

思えば“映像翻訳”は、今あるものをより小さな箱へ移し替えるような作業。ある意味、“欠落”が約束されています。字幕なら字数、吹替なら尺(長さ)の制限があるため、全訳から何かしらこぼれ落ちることになるからです。

何を残して何を落とすのか、何を落とせば残ったものが輝くのか。日々、パズルを解くように頭をひねり、途方に暮れることもしばしば。でもその“欠落”は新たな魅力が生まれる余地になると信じています。

吹替版については、俳優本人の声が消えてしまうこともまた“欠落”と呼べるのかもしれません。けれど、日本の役者さんや演出家、音響スタッフによる“世界一”と言われる吹替技術により、音声で日本語表現の幅広さを楽しんでもらえるという大きなプラスがあります。消えたものを補って余りある別の魅力が加わりますし、ストレートに言葉の響きが胸に届くという点では母語のパワーは計り知れないとも感じます。

その台本を担当する身としては、役者さんに気持ちよく演じてもらえて、見ている方の胸にすっとしみいるような台詞を書きたいところ。でもこれが相当に難しく、行けども行けども目指すゴールは遠ざかり、毎度反省点ばかり。その奥深さ、果てしなさに呆然とすることもありますが、日本語吹替版を楽しんでくださる方たちに少しでもいいものをお届けできるよう、これからもひとつひとつ、ご縁のあった作品と取っ組み合い、たくさん苦しんでゆきたいと思います。

『通訳・翻訳ジャーナル』2018年冬号より転載★