第6回(最終回) 文体の一貫性を保つ

応募訳文 その1

【1】
狐のあやかし(キジ・ジョンスン著)

 日記は男がするものだ。なめらかな楮紙こうぞがみに力強い水茎みずくきの跡、束ねたものを帯封でくくり、漆塗りの箱に収める。あたしがそれを知っているのは、そういう日記のひとつを見たことがあるから。位の高い女たちも日記を書くらしい。都で、あるいは地方を旅するなかで書くのだという。こうした日記は(聞いた話では)たいてい嘆きの声で満ちている。なぜなら、女の生は、悲しみと、男を待つことで成り立っているからだ。
 人間の男や女は、その人たちなりの日記を書いている。ならば狐の女にも書けるものか試してみよう。
 あの人を見て、あたしは恋をした。わが君、賀陽良藤かやのよしふじどの。こうして口に出してみると、そっけないし、険があるし、みやびさに欠ける。ひと声吼えただけみたい。だけど、これ以外にどう書き始めればいいのか、あたしにはわからない。ただの狐なんだもの。雅な言葉なんて知らない。

【2】
 日記とは男がつけるもの。力強い筆の走りをのせる滑らかなわら紙が束になり、ひもでゆわれて、うるしの箱に収められている。それを知っているのは、以前、そのような日記をひとつ、みかけたことがあるからです。貴族の女性のなかにも日記をつけるひとがいると聞いています。みやこにいるときや地方の旅の途中で筆を走らせるとか。こうした女性たちは深い悲しみの中にいることが多い(といわれています)。悲しみにくれ、ひたすら待つことが女の人生だからです。
 男も女も思い思いに日記をかくわけですが、狐が化けた小娘が日記を書けるわけがないのかどうか、さて、わたしがあきらかにいたしましょう。
 わたしはその人に会い、好きになりました。わたしのあるじ、賀陽良藤さまです。そういいましても、わたしの言葉は、ぶっきらぼうで、ぞんざい、品がなく、吠え声のようです。だって、他にどんな言葉で語りはじめたらよいのか、わからないのです。わたしは狐にすぎず、つやのある言葉をしらないのです。

【3】
 日記は男たちにより書き続けられていた。ライスペーパーを力強い筆が優しく撫で、一束に纏められてリボンで縛られ、漆の箱の中に収められる。私はそれを知っている、以前そのような日記を見たことがあるから。貴族の女たちも、首都にいる時や国々を渡り歩いている時に日記をつけているそうだ。それらの日記は(聞いた話によると)たいてい、悲しみや給仕で満たされた女性の人生による悲痛な叫びで満たされている。
 男も女も様々な日記をつける。若い女狐も日記を書けるのだろうか。
 私は彼と出会い、彼を愛した。ご主人さまの賀陽良藤である。そのことを短く、飾らずに辛らつに綴る、まるで鳴き声のごとく。しかし、どのように始めれば良いのかが分からない。私はただの狐だから。美しい言葉の作法など知らぬ狐だから。

【4】
 日記というのは、人間が書くものだ。なめらかな薄紙に書く力強い毛筆のひと筆、束ねて紐で結び、漆塗りの箱に入れられている。日記を見たことがあるから、そういうことを知っている。高貴な女性たちも日記をつけているらしい。都にいるときや、地方に旅したときなどに書いている。女性の日記に内容は往々にして嘆きに満ちている。というのも女性の人生は悲しみがいっぱいで、待つことばかりだからだ。
 男性も女性も色々なことを日記に書く。そこで女狐も日記を書けるかどうか確かめてみたい。
 彼を見てとても気に入った。私のご主人さまの賀陽良藤さまのことだ。この気持ちを短く端的に、優美さもなく語る。吠えるように。今のところ、どう始めていいかもわからない。私はただの狐だから。言葉の優美さは持ち合わせていない。

【5】
日記というものは、男がつけるものでございます。滑らかなわら半紙の上を走る力強い筆運び、束にまとめられ、紐で結び漆箱に入れておく。なぜこんなことを知っているかと言うと、このような日記を一つ見たことがあるからでございます。聞くところによると、都での生活や、地方の旅路を日記に綴る高貴な女性もいるそうでございます。彼女らの日記は、悲哀に満ちたものが多いそうでございます。女の人生というのは、悲しみと辛抱で一杯でございますもの。
男も女も様々な日記を書き綴っておりますが、狐が化けた娘もまた日記を書けないものだろうかと考え、ひとつ書いてみようと思います。
私は彼に出会い、彼を愛してしまったのでございます。私の主人、賀陽良藤のことでございます。私が言うと、素っ気なく、とげとげしく、優雅さもございません。吠え声のようなものでございます。ですが、他にどのように書き始めたらよいのか私には全く分からないのでございます。私はただの狐でございますもの。ですので、私には上品な言葉遣いなぞできないのでございます。

【6】
 日記は男が記すもの。だから、わら半紙に力強い筆遣いでしたため、 飾り紐で結い束ねた状態で、漆塗りの箱に納められている。そのような日記を一つ見たことがあるから、私はこのことを知っているのだ。都暮らしや地方各地での旅路において、高貴な女性も日記を記すと言われている。女というのは、悲しみと待つことに生涯を費やす身であるから、日記は多くの場合、憂いに満ちている(と話に聞いている)。
 男も女も様々な日記を書き綴る。ならば、小娘狐の私にもできるものかと、一つ試しに記してみる。
 私は彼を、愛しの彼を、我が主人あるじ賀陽良藤様を見つめた。このように述べると、無愛想な上に激しく、優雅さが微塵もなくて、まるで吠えているかのようだ。しかし、こうでもしない限り、どう書き始めればよいのか皆目見当もつかないのだ。所詮、私はただの狐。言葉を巧みに操る術(すべ)など持ち合わせていない。

【7】
 日記は男のすなるもの。力強い筆致で、すべらかなる薄紙に文字を記し、束ねて、綴じ紐にて綴じ、漆の箱に納めしものと存じております。と申しますのは、一つだけ見たことがある日記がそういうものだったからでございます。聞けば、日記をしたためる貴いご身分の女人もおられ、都やら、地方へ下る旅でのことどもを記しておられるとか。そうした日記は、悲しみに満ちていることが多く、女人の暮らしは待つ身のつらさに満ちておるものでございますれば、それも、ゆえなきことではございません。
 男も女もさまざまな日記を書いております。ならば、狐のおなごも書くことはかなわぬものでありましょうか。
 わたくしは、わが夫、賀陽良藤を一目で好きになりました。こんな短く、簡単で、雅さに欠けたものしか、わたくしには書けません。まるでコンコンという鳴き声のようです。けれども、ほかにどう書き出せばよいものか、わたくしにはわかりません。わたくしはただの狐、洗練された言葉を持ってはおりませぬ。

【8】
 日記は男がつけるものです。なめらかな和紙に力強い筆遣いでしたため、束にしてこより・・・で綴じ、漆塗りの文箱に収めます。こんなことをわたくしが存じ上げておりますのは、そのような日記をひとつ、目にしたことがあるからです。やんごとなき身分の女が日記をつけることもあるそうで、みやこで筆をとったり、ひなを旅する道すがら書きとめたりすると聞きます。こうした例では(伝え聞きますところ)嘆きをただよわせていることが多いのですが、それは女の人生には悲しみと待ちわびが満ちあふれているからです。
 男も女もさまざまにおのれの日記をしたためます。ならば若い女狐にも日記をしたためられないか見てみましょう。
 わたくしはあの方を、わたくしのご主人様にあたります賀陽良藤様をお見かけしてお慕い申し上げました。これをわたくしが口にしますと、短く甲高く響き、みやびさを欠いて、まるで鳴き声です。それなのに、ほかにどう始めてよいやらわたくしには見当もつきません。わたくしはただの狐です。雅な言葉など持ちあわせておりません。

【9】
 日記は、男の方がつけるものです。滑らかなわら紙に力強い筆さばきで書かれ、束ねられ、飾り紐で結わかれ、漆の箱にしまわれます。このような日記は見たことがありますので、知っています。都での暮らしや、地方への旅の様子を日記に書いた高貴なご婦人もいるそうです。ご婦人の日記は、とかく悲痛な思いで溢れているとのこと。女の一生は悲しみに満ちて、待つことに明け暮れるのですから。
 男も女も思い思いの日記を書くなら、狐の乙女にだって書けないものかしら。
 わたしはその方にお会いして、好きになりました。その方のお名前は、賀陽良藤さまです。なんと味も素っ気もない言い方でしょう。上品のかけらもありません。まるで心の叫びのようです。それでも、他にどのように書き始めたらいいのかわかりません。なんといっても、わたしは狐です。だから、優雅な言葉など知らないのです。

【10】
 殿方は日記を記されます。なめらかな薄紙に力強い筆遣いで記し、束にまとめてひもで結え、漆器の中に収めます。なぜわたしがこのようなことを知っているかというと、そういう日記を一冊見たことがあるからです。都や、地方への旅中に日記をつける身分の高いご婦人もおられるそうです。こういった日記は(聞いたところによると)深い悲しみに満ちていることが多いのです。ご婦人方の人生は、悲しみと殿方を待つことにあけくれているからです。
 殿方やご婦人はさまざまな日記を記されます。狐の娘が日記を書けないか調べてみよう。
 わたしはあのお方、わたしの主人である賀陽良藤に出会い恋に落ちました。わたしは自分の気持ちを打ちあけましたが、短くて鋭く、気品がなくてほえ声のような告白でした。それでいてわたしは、他にどのようにして切り出せばいいのかわからなかったのです。わたしはただの狐にすぎず、言葉の持つ気品がありません。

【11】
 男が書く日記。力強い筆づかいで、滑らかな通草紙に記したものを、束にして、紐で結び、漆塗りの箱にしまってある。知っているのは、そんな日記を見たことがあるから。聞いた話では、日記を綴るやんごとなき女もいるらしい。都や旅の途中の遠国で記すとか。女の日記は(噂によると)とかく悲哀に満ちている。女の一生は寂しさにあふれ、想い人を待ちあぐねて暮れてゆくから。
 男も女も、それぞれ好き好きに日記をかく。生娘の狐にも書けるだろうか。
 あのひとを見初めた。主人、賀陽良藤を。わたしの文章は、短く、たどたどしく、優雅さとは程遠くて、まるで吠え立てているようだ。でも、ほかにどのようにして書き始めたらいいのか、まったくわからない。わたしはただの狐にすぎないのだから。優雅な言葉など出てくるはずがない。

【12】
 日記は男が書くものだ。滑らかな藁紙の力強い筆さばき、その紙を束にし、蝶結びで結わえて漆塗りの箱に入れる。これを知っているのは、以前にそういう日記を見たことがあるからだ。日記を書く高貴な女性もいるそうだ。執筆は都か、旅先の地方でらしい。(話では、)こういう日記は悲哀に満ちていることが多いが、それは女の人生が悲しみに溢れ、待ってばかりだからだ。
 人間は様々な日記を書く。狐娘には書けないかどうかも、そのうち分かるだろう。
 私は主人の賀陽良藤様に会い、そして愛した。こう私は言う。簡潔に、はっきりと、優雅さはなく、吠えるように。だが、知らないのだ、他の切り出し方を。私はただの狐。言葉の優雅さは持ち合わせていない。

【13】
 日記を殿方はつづる。なめらかな和紙に力強い筆致で記された日記は、束ねてひもで結ばれ、漆塗りの箱に収められる。実際に見たことがあるので確かだ。高貴な女人も、都においてや地方への旅すがら、日記を書くことがあるという。内容は、嘆きに満ちたものであるらしい。女人の一生は、待つことが多い、悲しいものだからだろう。
 さまざまな日記が、殿方や女人によって書かれている。女狐でも書けるかどうか、ひとつ、試してみようと思う。
 私が姿を見かけ、お慕いするようになったのは、賀陽良藤さまだった。
 このような言い方は性急で洗練さに欠け、まるで木の皮のように無骨だが、こう始める以外に思いつかない。しょせん私は狐。優雅なもの言いなどできるはずもない。

【14】
日記は男性によって記されていた。なめらかな薄い和紙に力強い筆運びで書かれ、束ねて紐で結び、漆塗りの箱に納められた。私は実際にそういう日記を見たことがあったので知っているのだ。日記を書く高貴な女性もいると聞いた。都でしたためたり、領地内の旅の道すがら記すのだという。こうした日記は深い悲しみに満ちているそうだ。それは女性の生涯が悲しみと待ちわびることに満ちているからだ。
男も女もさまざまな日記をつける。ならば狐巫女にも書けないものだろうか。
私はあの方にお会いして恋に落ちた。主人である賀陽良藤様に。この告白は短く、単刀直入で優雅さに欠ける。まるで吠える声。しかし、他になんと言えばよいのだろう。私はだだの狐。上品な言葉など持ち合わせていない。

【15】
 男達は日記を書き留める。力強い筆跡の乗ったなめらかな薄葉紙が、束に纏め、紐で綴じ、漆塗りの箱に入れられる。私はこの日記というものを知っている。こういった日記の一つを見たことがあるから。聞くところでは女にも、都に暮らす者や、地方へ向かう長旅にある者の中に、日記をつける貴族の女達がいるらしい。そしてその日記は、悲嘆に満ちていることが多いのだと。女達の人生は悲しみと待ち続けることで一杯だから。
 男も女も色んな日記を書く。だから私も、化け狐の女にも日記が書けないものか確かめたい。
 貴方を見て、貴方に恋をしてしまったのです、賀陽の良藤様。
 私はこう言うのだけれど、それでは短く鋭く品の無い、一つ吠えのよう。だけど私にはそれ以外にどう始めたらいいのか分からない。
 私は一匹の狐。言葉などという上等なものは私にはない。

【16】
 日記は男が書くものです。つるつるした上等な紙の上の力強い筆跡、それを紐で束ね、漆塗りの箱にしまっておきます。どうして私がこんなことを知っているかというと、見たことがあるからです。また、江戸や旅先の地方で日記をつける高貴な女性もいるそうです。そのような日記は、(うわさによれば)嘆きで埋め尽くされています。なぜって、女の人生は悲しみと待つことばかりだから。
 男も女も様々な日記を書きますが、それでは、(娘に化けた)狐には書けないものでしょうか。
 私はその方に会い、恋してしまいました。私のご主人、賀陽良藤かやのよしふじ様に。こんな風に、短く、はっきりと、はばかりもなく書きます。動物の鳴き声と同じです。でも、ほかにどんな言葉で始めたらよいのか分かりません。所詮、狐ですから。上品な言い方など知らないのです。

【17】
 日記とは、男の人が書くものだという。鮮やかな筆の線が並んだなめらかな薄紙を、ひと束にして、ひもで綴じ、漆を塗った箱にしまっておくもの。なぜ知っているかというと、そんな日記帳を一冊見たことがあるからだ。身分の高い女の人も日記をつけるらしい。都にいるときや、都のそとを旅しているときなんかに。そんな日記はたいてい、(話によればだが)悲しみでいっぱいで、それはなぜかというと、女の人というものは、ずっとだれかを待っていて、その人生は悲しみでいっぱいだからだそうだ。
 男の人の書く日記にも、女の人の書く日記にも、いろんなものがある。それならキツネの女の子にも書けないものかどうか、ためしてみようじゃないか。
 あの人に出会って恋をした、お屋敷の主人カヤ・ノ・ヨシフジ様に。口に出してみると、短いしそっけないし気品もないし、「コーン」と鳴いたのといっしょ。それなのに、ほかにどう書きはじめたらいいか何も思い浮かばないなんて。やっぱりただのキツネだ。美しい言葉でつづるなんてできやしない。

【18】
 男たちがつけた日記です。滑らかな和紙に力強い筆跡で書かれており、紐で結ばれた束がいくつか漆の箱に入っていました。これが日記だと分かったのは、以前似たようなものを見たことがあったからです。身分の高い女たちも、都での日々や地方への旅のようすを日記につけているそうです。このような日記(と言われているもの)は悲しみにあふれたものがほとんどです。というのも、女の暮らしとは寂しくて、待つことばかりだからです。
 男も女もいろいろな日記をつけております。雌の狐にもできないものか、ひとつやってみましょう。
 私は主人の賀陽良藤さまを見た瞬間、恋に落ちました。はじめに、これは狐の鳴き声のように短く鋭いものであり、情緒的ではないことを申し上げておきます。どのようにして書き始めたらよいのでしょうか。私はただの狐です。情緒的な言葉を持ち合わせてはおりません。

【19】
 日記とは殿方が書くものでございます。稲わらを漉いたすべらかな紙に力強い筆づかいで書かれたそれは、重ね整えてひもで綴じられ、漆塗りの箱にしまわれます。このようなことを私が知っているのはなぜかと申しますと、一度実際に目にしたことがあるからでございます。また、高貴な女人の中にも日記をつけるかたがあると耳にいたします。京の都での暮らしや、都を離れた旅の日々をつづっておられるとのこと。漏れ聞くところによれば、女人の日記には嘆きの言葉があふれているそうな。女の一生とは、悲しむことと待つことばかりなのでございましょう。
 殿方も女人も思い思いに日記を書くのなら、私のような狐女にも書けないものか、ためしてみようと存じます。
 私は、わが背の君、賀陽良藤さまと出会い、恋をしました。このように出来事だけを味も素っ気もなく書き留めるのであれば、狐がひと鳴きするのと何も違いません。ただ、こう書き始めるしか、すべがないのでございます。私はただの狐。趣味のよい文章など、どうして書けましょうか。

【20】
 日記をつけるのは男性だ。力強い筆遣いで滑らかなわら紙に記し、束にまとめ、紐で結び、漆箱にしまっている。なぜ私が知っているのかというと、いつだったかそんな日記を目にしたことがあったからだ。高貴な女性もまた、都であるいは地方への旅の途中で日記をつけるという。彼女たちの日記は深い悲しみであふれていることが多い(らしい)。というのも、女の人生は悲しみや待つことばかりだからだ。
 男も女もいろいろな日記を書いている。雌狐にも書けないものかやってみようと思う。
 私はあの方と出会い、恋をした。そう、私の旦那様、賀陽良藤様のことだ。こんなふうにあっさり、ずけずけと下品に言ってしまう。まるで吠えているようだ。でも、ほかにどう切り出せばいいのかさっぱりわからない。だって私はただの狐なのだから。言葉という上品さを持ち合わせていないのだ

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