第68回 言葉の定義を考える

1.
長年、私の人生はこの格言そのものだった。毎日のようにたくさんのチャンスにめぐり合うことさえあったのに、今まで一度だってそのチャンスをつかんだためしがなかった。だが、2007年の春先の頃、ついに私にも転機が訪れたのだった。

<コメント>全体になかなか良い感じなんですが、春先というのは「春のはじめ頃」なので、それ自体に「頃」のニュアンスがあるんですね。ちょっと惜しいな。

2.
俺の人生の大半はまさにその格言を体現してきたと言っていい。今までにたくさんのチャンスが、時には毎日といっていいほどの頻度で、目の前に現れた。そして、どのチャンスも物にすることが出来なかったのだ。けれども、2007年の春のはじめ、ようやく流れが変わり始めた

<コメント>この口調の人だとあまり「俺」って言わない気がするんですね。あと少し文章を切りすぎているかなあ。必要な場合を除いて、基本的にはあまり文章はぶつぶつと切らない方が読みやすくなるし、思考の流れも伝わります。

3.
その名言が本当だと分かるまでに人生の大半を費やした。数多くのチャンスが、時に毎日のようにやってきた。それを長いこと掴み損ねていた、そんな時、2007年春先のこと、ついに様子が変わり始めた。

<コメント>人生の大半としてしまうと、何かもういい歳のように響きますよね。せめて「これまでの人生」。「つかみそこねていた」まで開いてもいいかな。「様子が変わる」はちょっと違う気がします。「流れ」とか。
<余談> ぬこはかわいいですねえ。ストレスがたまったら、Googleの画像検索で「ぬこ 萌え死に」で検索ですね。

4.
僕は、その教訓を地で行くような人生の大半を送っていた。時として、日常的に多くのチャンスが巡ってきたりした。長い間、それらをつかみ損ねていたのだが、2007年の早春に、ようやく変化が起こり始めていた。

<コメント> センスは悪くないというか、かなり好みなんですが、細かなところが微妙にもったいないんですね。たとえば「僕のこれまでの人生の多くは、その教訓を地でいくようなものだった」とか「長い間、つかみそこねていたのだが……」のようにもう少し手を入れるととても良い訳文になると思います。敢闘賞まであと一歩。

5.
僕はその言葉を証明するために、人生の大半を費やしてきたようなものだ。僕は時には毎日のようにたくさんのチャンスを与えられていながら、長い間それに賭けることができなかった。しかし2007年の春先、ついに変化が訪れた。

<コメント>人生の大半はその通りなんですが、何かもうずいぶん長く生きている気がしてしまうんですね。「賭ける」ではなくて、つかめなかったんですね。

6.
この言葉を引用して、人生の大半を過ごしてきた。時には毎日のように、多くのチャンスが巡ってきた。長い間、何一つチャンスをつかめずにいたものの、2007年の春が訪れた頃に、ようやく変化し始めた。

<コメント>いや、引用して過ごしてきたわけではなく、この言葉が本当であることを証明してきたんですね。全体に色気がないかなあ。「変化し始めた」の主語は何でしょう?
<余談> 大きく見て、なお細部にまで注意を払う、ですね。実行はなかなか難しいんですが(^-^;

7.
この格言の正しさを示すのに、私は人生のとほうもない時間を費やした。ときには毎日のように、私のもとにはやり直すきっかけがごろごろと転がりこんだ。長きにわたり、私はことごとくそのきっかけをつかみそこねてきたのだが、2007年の春先、ついに何かが変わり始めた。

<コメント>「自分の人生の大きな部分が実際にこの格言が正しいことを証明するものであった」ということですね。「ごろごろ」は少しごろが悪いかな。やや饒舌過ぎる感じがするんですね。「春先になって」かな。

8.
僕の人生の大部分は、その引用を立証するものだった。時には、毎日のように沢山の機会に直面することもあったが、長い間それらの機会を活用することはなかった。しかし、2007年の春先にその状況は変わり始めた。

<コメント>全体にちょっと硬いかな。二行目はこれだと「一日ごとにたくさんあった」とも読めますから交通整理が必要。活用もちょっと硬いかな。

9.
僕は今まで大半この言葉を証明するために費やしてきた。たくさんの機会を与えられ、時には日に何度もあった。長い間、どれも取り逃がしてきたが、とうとう、二〇〇七年の初春、ようやく変化が始まった。

<コメント>大半何を費やしたんでしょう。「日に何度もあった」はちょっとわかりにくい。「とうとう」と「ようやく」は意味が重なっていますね。

10.
ぼくはその格言を証明するのに人生の大半を費やした。たくさんのチャンスが、それこそ毎日のように与えられることもあったのに、長い間どれひとつとしてものにできなかった。けれども2007年早春、ようやく変化が訪れた。

<コメント>「費やした」だと何か人生がもう終わりかかっている気がするんですよねえ。若者だから「費やしてきた」の方がすんなりくる。それ以外は割と流れがいいかなあ。

11.
僕の人生の大部分は、まさにこの言葉どおりだった。チャンスは豊富にあったし、時には毎日のようにめぐってきた。けれど、僕はずいぶん長いこと、やってみようとしなかった。しかし、2007年の春先のことだ。そんなふうだった生活が、とうとう変わりはじめた。

<コメント>やや多弁に過ぎる気もしますが、流れが良いので敢闘賞。「やってみようとしなかった」はちょっと違和感あります。「一つもチャンスをつかめなかった」ですね。
<余談> をを、楽しんでいただければ幸甚。最近新作が出たみたいですよ。

12.
この言葉の正しさを、ぼくは人生のかなり長い期間をかけて証明したようなもんだ。チャンスにはたくさん恵まれたし、毎日チャンスが訪れたときだってある。だけど、ずっとものにできなかった。ようやく風向きが変わってきたのは、2007年の春先だった。

<コメント>「したようなもんだ」は少し荒っぽいかなあ。「してきたようなものだ」くらいで。あとは良い感じです。
<余談> 自分はカラーだと長時間読めないので、kindle paperwhiteを使っていますが、短時間だったら多彩な使い方が出来るタブレットの方が便利ですね。日本の古典だと無料でダウンロードできるし、文章自体も素晴らしいものが多いので、ぜひお試しを。

13.
この格言を実現する為に、ぼくは人生の大半を費やしてきたようなものだ。たくさんのチャンスは、与えられてきた。ときには、日常を根底から変えてしまうようなチャンスまで。そして長いこと、ぼくはどんなチャンスもことごとく逃してきた。それが、とうとう変わりはじめた。2007年、春の初めの頃だった。

<コメント> 「日常を根底から変える」わけではなく、毎日チャンスがきたこともあるんですね。「はじめたのは、……」かな。

14.
僕はその引用文を証明するまでに、かなりの時を過ごしてしまった。日々の中には、機会が山ほどあった。なのに僕は、長い間、それをものにできずにいた。けれど2007年の春の初め、ようやく変化が起こり始めた。

<コメント>要するに、自分の人生の大半はこの格言を地でいくものだったという話です。とにかくチャンスはいっぱいあって、時には毎日のようにあったこともあるけど、どれも逃してしまったと。その状況が変わったのが2007年のことだと。
<余談> 猫好きですが、いまはURの賃貸なので、飼うこともできません……。

15.
その引用を証明するようなことが人生でたくさんあった。時には日常の中で、多くの機会が与えられた。長い間、私はそれをつかみ損ねていたが、2007年の早春、遂に何かが変り始めた。

<コメント>人生がそのまま証明だった感じなんですね。ここでは毎日のように。thatは何かというよりも、そういうチャンスはあるけどつかめないということが変わり始めたんです。

16.
私は人生の大半を、その教訓を証明しながら過ごした。私はたくさんの機会に、時には毎日のように恵まれた。長い間、いずれの機会も活かせなかったが、2007年の春の初めに状況は変わりだした。

<コメント> 「過ごした」だと動きが少ないんですね。「過ごしてきた」とか。もう少し色気があれば敢闘賞。

17.
その引用文を証明するのに、人生の大半を費やした。毎日のようにたくさんのチャンスが訪れたこともある。長い間、どのチャンスも手に入らなかったが、2007年の早春に、とうとうその状況は変わり始めのだ。

<コメント>「証明するのに」とすると、意識して証明しようとしたように読めます。そうではなくて、そういう人生だったんですね。たくさんのチャンスが毎日というわけではないと思います。チャンスはいっぱいあって、時には毎日訪れたこともあるくらい。
<余談> ぬこ6匹。すごいなー。

18.
その名言そのままに、わたしは人生のかなりの時間を過ごした。チャンスはいくらでもあった、どうかすると毎日のようにあった。長い間そんなチャンスをひとつもものにできなかった、しかしその後2007年の早春に、それもとうとう変わりだした。

<コメント>けっこう惜しい感じ。特に「その後」「それも」のあたりがリズムを悪くしています。
<余談> 昔のミステリーはおおらかでいいですよね。リンカーン・ライムものとか読んでいると、それはそれで面白いんですが、ガス灯の時代の推理小説に戻りたくなることも多々あります。

19.
私は、その有名な引用文を検証するために、人生のかなりの時間を費やしてきた。日常生活においてその機会は何度もあったが、長きにわたり、失敗に終わっていた。しかし2007年の春先に、ついに変わり始めたのだ。

<コメント> 主人公は学者ではないので、「検証」はしないと思います。これだとまったく違う人の人生になってしまうので。前後も読んでね。

20.
僕はその言葉が真実であると確信するのに半生を費やした。日常生活の中に時折、2回目のチャンスは溢れていたのだが僕は長いことそのチャンスを手にすることができずにいた。しかし2007年の春初、ついに変化の兆しが訪れたのだ。

<コメント>確信するのにだと、「長い年月を経てそこに到った」ということになってしまいます。チャンスはいっぱいあって、時に毎日のようにくることもあったけど、逃していたという話ですね。

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