
アメリカ、香港に暮らし、児童書の翻訳を手がける/中井川玲子さん
「Never been to Hokkaido? 你真係日本人呀(ネイジャンハイヤップンヤンア)?(北海道へ行ったことないの? あなたほんとうに日本人?)」8年前にカリフォルニアから香港へ引っ越してきた頃、英語でも広東語でも、こんなことをよく言われたものです。香港人は日本への観光旅行が大好きで、とりわけ北海道は大人気。いっぽう私は25年の米国暮らしの間、何年も帰国しなかったり、久しぶりに帰っても短い実家滞在だけだったり。日本に近い香港に住みだして、やっと日本国内の旅をできるようになりました。
日本では外国人旅行者に近いのかもしれませんが、ふだん家の中では英語、家の外では広東語と英語ですので、帰国して日本語に囲まれると、ぽかぽか温かいお風呂の中のような心地よさを感じます。
留学後、会社員を経てアメリカで翻訳者に
私は日本で大学を卒業して米国に留学後、シリコンバレーの地元企業や日系企業に十数年勤務していました。その間に子ども達がお世話になった保育園や学校では、毎月児童書ブッククラブのカタログが配られ、安価にペーパーバックを購入することができました。忙しい中で子ども達と絵本を楽しむ時間はとても貴重で、やがて週末に図書館や児童書書店へ行くようになりました。いつしか児童書の魅力にはまり、何か児童書に関わる活動ができないだろうかと思うようになりました。
そんなとき、ネット上で「やまねこ翻訳クラブ」という、児童書の翻訳者をめざす人達のクラブを見つけて入会しました。絵本の翻訳勉強会、メルマガの編集等、熱心な仲間とオンラインで勉強しているうちに、漠然とした児童書への興味が、翻訳をやりたいという具体的な夢につながっていきました。
そして数年後、海外ドラマ「フルハウス」の小説版を出すというマッグガーデンさんの企画に、クラブの仲間達と参加したのが、初めての出版翻訳の仕事です。能力も取り組む姿勢もまだまだだった私を支えてくれた仲間には今も感謝しています。
その後いくつか共訳作品等を手がけることができ、翻訳の仕事に専念することを決心しました。海外在住で日本の出版社とのご縁が作りづらいのですが、東京の翻訳仲間に恵まれ、ともに組んだり、仕事を紹介してもらったり、ポプラ社「グレッグのダメ日記」シリーズやほるぷ出版『ワンダー』の翻訳協力等、ここ十年ほど児童書中心に翻訳の仕事を続けてきました。
日本語力を磨き続ける
翻訳業に専念するようになってからは在宅作業のため、日本語の会話をする機会がぐっと減りました。人生の半分以上をほとんど英語で過ごしている私にとって、日本語力をいかに磨いていくかは大きな課題です。できるだけ日本の優れた作家の本を読み、日本の映画やテレビ番組を見るように心がけています。同時に、米国で身につけた英語力を元に英語も学び続けていかなければなりません。ネイティブである子ども達と毎日話していたときには自然に口から出ていた英単語でも、子ども達が成長して家を出てしまった今、ふと忘れて慌てて調べることがあります。インターネットを活用してネイティブの英語を耳にするようにしていますが、他のことをしながら聴いていられるポッドキャストやオーディオブックは非常に便利です。
また、多くの場所では英語で事足りてしまうのですが、地元社会に入って香港人と本音でつきあうには広東語。6つの声調に悩まされながら、口語ならではの表現を楽しみ、他の言語の学習時には感じられなかったおもしろさを味わっています。
限られた時間の中でこの3つの言語の学びをどう配分していくかは難しいのですが、まわりは広東語と英語と中国語を使いこなす香港人だらけ。日本語や外国語を学ぶ人も少なくありませんので、お手本には事欠きません。移住や留学をする人も多く、多言語を使い国境を越えた活躍をする大勢の人たちが香港の発展を支えているのでしょう。
移民作家の活躍がめざましい昨今、いつの日か、この環境で学んだからこそ自信を持って翻訳できる作品を日本へ紹介できたらと思います。
★『通訳・翻訳ジャーナル』2019年春号より転載★