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2024.03.14 UP

第12回 英和辞典だけに頼らず、事実確認を【後半】

第12回 英和辞典だけに頼らず、事実確認を【後半】

季刊『通訳翻訳ジャーナル』本誌で連載し、ご好評をいただいていた「出版翻訳入門ドリル」がweb版になって登場!出版翻訳家の布施由紀子さんと課題文に取り組みます。

英和辞典だけに頼らず、事実確認を

今回も課題文に取り組みます。第11回の続きからはじめますので、まだ読んでいない方はこちらも読んでみてくださいね。
第11回 英和辞典だけに頼らず、事実確認を【前半】

訳してみよう! 課題文

〇課題文
 Roland eased his way up a narrow alleyway, then switched off the headlights. He slowly inched his way forward. Up ahead was an overflowing Dumpster, and he parked the cruiser. The handset was in his hand. “Unit 19, off at the scene.”
 “Ten-four, Unit 19. Be advised, other units about ten minutes in-bound.”
 The handset went back, and with a rattle of keys he unlocked the pump-action shotgun and got it out. My heart was racing right along, and I knew my face was pale and my eyes were wide.
 Roland opened the cruiser door and said, “Erica …”
 “I’m not moving. You just be careful.”
 “Just my job, that’s all,” and he got out and closed the door behind him.
 I saw his shadow move in front of the cruiser, to the side of the Dumpster. I watched for a minute or two and then, with shaking hands, reached down and took off my shoes.
 I picked up my purse and then got out of the cruiser.
 The pavement was cold on my bare feet and I prayed for no broken glass or discarded syringes to be in my way. I reached into my purse and found a comforting object, which I withdrew and then extended. A collapsible police baton. The definition of irony, I guess one could say.
 I whispered my way up to Roland, kneeling on one knee, shotgun in hand, looking out across Venice Avenue and the shuttered doors of the Gold Club and some construction supplies and the footbridges that went over one of the canals. I raised up the collapsible baton and brought it down hard against the base of his neck.
(出典:Harlan Coben, Otto Penzler ed., The Best American Mystery Stories 2011. Mariner Books. 2011)

では、レッスンに移りましょう。英文を少しずつ区切って示し、生徒訳例を紹介したあと、解説を加えていきます。

③ 言葉遊びをどう表現するか

〇課題文
 I saw his shadow move in front of the cruiser, to the side of the Dumpster. I watched for a minute or two and then, with shaking hands, reached down and took off my shoes.
 I picked up my purse and then got out of the cruiser.
 The pavement was cold on my bare feet and I prayed for no broken glass or discarded syringes to be in my way. I reached into my purse and found a comforting object, which I withdrew and then extended. A collapsible police baton. The definition of irony, I guess one could say.

〇生徒訳例
 彼の影がパトカーの前、ゴミ容器のわきで動いているのが見えた。わたしは一、二分、見守ってから、震える両手を下に伸ばし、靴を脱いだ。
 わたしはバッグを手にとり、パトカーの外へ出た。
 はだしの足には舗道が冷たく、割れたガラスや捨てられた注射器が行く手にありませんようにと祈った。わたしはバッグに手を突っ込み、慰めとなる物を見つけた。それを引っぱり出して、伸ばした。折りたたみ式の警棒を。これは皮肉そのものだと言えるだろう。

③ 解説
第1文のto the side of~toに気をつけましょう。なんとなく訳さずに、どの動詞を受けた前置詞なのか考えてほしいのです。もちろん、moveですね。「ゴミ容器のわきのほうへと移動するのを見た」と言っているのでしょう。

第3段落のcollapsibleの訳し方には悩まれたことでしょう。辞書の訳語を採用すれば「折りたたみ式」ですが、インターネットで確認すると、実際は伸縮式のようです。その警棒についての最後のコメントは、直訳すれば、「皮肉の定義だと言こともできると思う」となりますが、これではわからないので、原文の意図が伝わるようにする必要があります。「これは皮肉そのものだと言えるだろう」という訳はがんばっていますが、何がどう皮肉なのかは伝わりません。

collapsibleを、collapse+ibleに分解すると、「つぶすor倒す+ことができる」という意味になります。つまり、これは「つぶして小さいサイズにできる警棒」ではあると同時に、「誰かを昏倒させることができる警棒」でもある、と言っているわけです。一種の言葉遊びですけれども、ここはある程度、説明的に表現するしか手はないだろうと思います。ただし、娯楽小説ですので、訳注をつけて、「○○と××というふたつの意味をかけている」などと解説するのは感心しません。

☆講師訳例
 彼の影が車の前を通って大型ゴミ容器のわきへ移動した。わたしは一、二分見ていてから、震える手を下におろし、靴を脱いだ。
 そしてバッグを持って車の外へ出た。
 舗道が足の裏にひんやり感じられる。ガラスの破片や使用済みの注射器が落ちていませんようにと祈ってから、バッグの中に手を突っ込み、心丈夫な品をさぐりあてて取り出し、それをぐいっと引き伸ばした。伸縮式コラプサブルの警棒だ。ぶっ倒せるコラプサブル警棒だなんて、ずいぶんと皮肉な名前をつけたものだ。

④ 原文の書き方があいまいなときは、文脈を手がかりにして解釈を

〇課題文
  I whispered my way up to Roland, kneeling on one knee, shotgun in hand, looking out across Venice Avenue and the shuttered doors of the Gold Club and some construction supplies and the footbridges that went over one of the canals. I raised up the collapsible baton and brought it down hard against the base of his neck.

〇生徒訳例
 わたしは片膝をつきながら、ショットガンを構えてローランドにそっと近づいた。そしてベニス通りを見渡し、〈ゴールド・クラブ〉のシャッターのおりた入口、いくつかの建築資材、運河のひとつにかかる歩道橋を眺めた。それから警棒を振りあげ、彼の首の付け根に激しく振りおろした。

④ 解説
突然、張り詰めた静寂を破って、一気に物語が動きます。訳すほうもちょっとテンションがあがりますね。おおいにアガッてください。それがシーンを力強くします。

この生徒さんもはりきって訳してくれましたが、あわてて誤訳をしてしまいました。エリカがショットガンを構えていたらおかしいでしょう。確かにkneeling以下の主語は、文法上はエリカともとれるのですが、これまでの文脈からして、それはありえません。インターネット公開版では、紛らわしさを解消するためか、kneeling以下が“He was kneeling ~”と書き改められています。

the shuttered doors以下には、文法上はローランドが見たものを並べてありますが、エリカは彼の背後にいますから、実際に彼が見ているかどうかはわからないはずです。ローランドが目にしていると彼女が想像したもの、あるいは彼女が眺めているものとして訳したほうが自然な流れになると思います。

☆講師訳例
 わたしは足音をしのばせてローランドに近づいた。彼は片膝をつき、ショットガンを手にして、ヴェニス通りを見わたしている。その向こうには、〈ゴールド・クラブ〉の閉まった扉、建設資材の山、運河のひとつをまたぐ数本の歩道橋……。わたしは警棒を振り上げ、彼の首の付け根に思い切りたたきつけた。

今回も、調べ物の必要な箇所がいくつかありました。そんな細かいことまで……と思われるかもしれませんが、わたし自身も最初からこのような配慮ができたわけではありません。作品ごとに、編集者、校正者の指摘や助言を受けて、そういう力を育ててもらいました。勉強はプロになってもずっと続きます。では、次回もお楽しみに。

講師 布施由紀子
講師 布施由紀子Yukiko Fuse

ふせ・ゆきこ/出版翻訳家。フェロー・アカデミー講師。訳書に、『ライトニング・メアリ』『壁の向こうの住人たち』(ともに岩波書店)、『アウグストゥス』『ブッチャーズ・クロッシング』(ともに作品社)、『ブラッドランド』(筑摩書房)、『1493』『魔術師と予言者』(ともに紀伊國屋書店)、『日本のカーニバル戦争』(みすず書房)などがある。