季刊『通訳翻訳ジャーナル』本誌で連載し、ご好評をいただいていた「出版翻訳入門ドリル」がweb版になって登場!出版翻訳家の布施由紀子さんと課題文に取り組みます。
原書の感動を
最良の形で読者に届ける
わたしは近年、ノンフィクションを中心に訳していますが、翻訳学校ではおもに短編小説を教材に使っています。一作をていねいに訳すことで、「ストーリーを語る」という出版翻訳の基本を学んでもらうのが狙いです。じっくりと物語を読んで味わい、心理描写や言葉のやりとり、情景描写、時代背景や社会的背景の翻訳に取り組むなかで、文芸的な表現力だけではなく、人物や文脈を理解する力や調査力を磨く。それがノンフィクション翻訳の基礎固めにもなると考えているのです。
初心者のなかには、フィクションでは感情を込めて表現する必要があるが、ノンフィクションは淡々と事実を書けばいいと思い込んでいる人がいますが、それは大きなまちがいです。ノンフィクションは著者が丹念に調査を重ね、心を込めて書いた長大なモノローグです。訳者が著者に深く共感していなければ、作品の魅力を伝えることはおぼつかないでしょう。原文を読んで、自分のなかに生まれた感情を言葉に乗せてはじめて、力強い語りが生まれます。また、著者の思いをしっかり受けとめてこそ、緻密な翻訳もできるのです。つまり、原書の感動を、その作品にとって最良の形で読者に届けるという点では、フィクションもノンフィクションもめざすところは同じです。今回もそうしたことを念頭において課題に挑みましょう。
訳してみよう! 課題文
今回もブレンダン・ドゥボイズの短編、“Ride Along”からの出題です。ジャーナリストのエリカがローランド・パイパー巡査の夜間パトロールを取材中、宝石店the Gold Clubで強盗事件が発生、現場に急行することになりました。ローランドは店の近くまで来たところで、とある路地へと車を乗り入れます。その細い道を出ると、大きな通りをはさんで宝石店の向かい側に出るそうなのですが……。
〇課題文
Roland eased his way up a narrow alleyway, then switched off the headlights. He slowly inched his way forward. Up ahead was an overflowing Dumpster, and he parked the cruiser. The handset was in his hand. “Unit 19, off at the scene.”
“Ten-four, Unit 19. Be advised, other units about ten minutes in-bound.”
The handset went back, and with a rattle of keys he unlocked the pump-action shotgun and got it out. My heart was racing right along, and I knew my face was pale and my eyes were wide.
Roland opened the cruiser door and said, “Erica …”
“I’m not moving. You just be careful.”
“Just my job, that’s all,” and he got out and closed the door behind him.
I saw his shadow move in front of the cruiser, to the side of the Dumpster. I watched for a minute or two and then, with shaking hands, reached down and took off my shoes.
I picked up my purse and then got out of the cruiser.
The pavement was cold on my bare feet and I prayed for no broken glass or discarded syringes to be in my way. I reached into my purse and found a comforting object, which I withdrew and then extended. A collapsible police baton. The definition of irony, I guess one could say.
I whispered my way up to Roland, kneeling on one knee, shotgun in hand, looking out across Venice Avenue and the shuttered doors of the Gold Club and some construction supplies and the footbridges that went over one of the canals. I raised up the collapsible baton and brought it down hard against the base of his neck.
(出典:Harlan Coben, Otto Penzler ed., The Best American Mystery Stories 2011. Mariner Books. 2011)
おやおや、びっくりするような展開になりましたね。みなさんはどんなふうに訳されたでしょうか。いつものように英文を少しずつ区切って示し、生徒訳例を紹介したあと、解説を加えていきます。
① ゴミ収納器?―日本で使われている呼称を確認する
〇課題文
Roland eased his way up a narrow alleyway, then switched off the headlights. He slowly inched his way forward. Up ahead was an overflowing Dumpster, and he parked the cruiser. The handset was in his hand. “Unit 19, off at the scene.”
“Ten-four, Unit 19. Be advised, other units about ten minutes in-bound.”
〇生徒訳例
ローランドはおもむろに狭い路地をのぼっていって、ヘッドライトのスイッチを切った。彼はじりじりと前に進んだ。前方にゴミがあふれそうになった大型ゴミ収納器があり、彼はパトカーをとめた。無線機が彼の手のなかにあった。「十九号車、現場到着」
「了解、十九号車。ご承知いただきたい、ほかの車が十分ほどで到着する」
① 解説
第一文はリズムのよい仕上がりですが、坂道を「のぼって」いったわけではありません。「up + 道」は、前回出てきた“down the center of the Market Street” のdownとまったく同じ用法で、単に「(道)を進んで」という意味なのです。
じりじり進んだその先にあるDumpsterについては、英和辞典を引くと、なるほど「ゴミ収納器」と説明されていますが、この名称で画像検索してみると、台所の流しの排水口に取りつけるゴミ受けの写真がたくさん出てきます。本国のDumpster にあたる商品は、日本では「大型ゴミ容器(または~収集容器)」と呼ばれるようです。英和辞典の訳語をうのみにせず、実際の製品名を確認しましょう。ちなみに、https://www.youtube.com/watch?v=LeVEO2XuvXoで、アメリカのゴミ収集車の豪快な仕事ぶりが見られます。ぜひのぞいてみてください。
最後のせりふ中の“Be advised”は、確かに「ご承知ください」という意味ですが、無線指令係にしては悠長な感じがします。日本語なら、この流れではわざわざこんなふうにことわらないと思いますので、わたしはあえて訳さないことにしました。
☆講師訳例
狭い横道をそろそろと進み、ローランドはヘッドライトを消した。そのまま少しずつ車を前へ転がしていく。行く手に中身のあふれた大型ゴミ容器が見えたところで車をとめ、彼は無線機を手にとった。「十九号車、現場に到着」
「了解、十九号車。ほかのユニットも十分ほどで到着の予定」
② 銃のことはよく調べましょう
〇課題文
The handset went back, and with a rattle of keys he unlocked the pump-action shotgun and got it out. My heart was racing right along, and I knew my face was pale and my eyes were wide.
Roland opened the cruiser door and said, “Erica…”
“I’m not moving. You just be careful.”
“Just my job, that’s all,” and he got out and closed the door behind him.
〇生徒訳例
無線機を戻し、ローランドは鍵をがちゃがちゃさせて、ポンプ連射式の散弾銃のロックを解除し、外に出た。わたしの心臓はずっと早鐘を打っていた。きっと顔は真っ青で、目が大きく開かれている。それはわかっていた。
ローランドがパトカーのドアをあけて言った。「エリカ……」
「わたしはじっとしています。気をつけてください」
「おれの仕事ってだけだ」彼は外に出て、後ろ手にドアを閉めた。
② 解説
まず、ローランドの動作がおかしい。いったんパトカーの外に出たのに、またドアをあけて外に出ています。こういうときは誤訳を疑って見直しましょう。すると、第1文のgot it outのitを読み落としていることに気づきます。彼はshotgunを「取り出した」のですね。
pump-action shotgunを英和辞典を頼りに訳せば、確かに「ポンプ連射式の散弾銃」となります。正しい訳ではあるのですが、Googleで検索してみると、用例がきわめて少なく、「ポンプアクション式ショットガン」という呼称のほうが一般的らしいとわかります。紙幅の都合上、ここではどのような銃なのか説明できませんが、必ず調べておいてください。銃については、出くわすたびに勉強して知識を増やしましょう。
この訳文のように、銃本体のロックを解除したのであれば、まず先に銃を取り出したはずですが、原文では逆で、先にunlockしてから、got it outしています。よく調べてみたところ、パトカー内には、運転席と助手席のあいだにショットガンを立てて収納できる「銃架(gun rack)」という装置が取りつけられていて、錠付きのリングで銃身を固定する仕組みになっていることがわかりました。ローランドは、鍵でそのリングを開いて銃を取り出したのです。ここは訳注代わりの説明を補いましょう。
close the door behind~は、わたしも昔は「後ろ手に閉める」という意味だと思っていたのですが、友人から、これは単に部屋などを出た(入った)あと、自分の立ち位置より後ろになった扉をふつうに閉めることを指すのだと教えてもらいました。とくに車のドアは、後ろ手で閉めるのはむずかしいでしょう。
“I’m not moving”は、たまたま(?)うまく訳せていますが、念のために説明しておくと、「わたしはいま動いていない」という意味ではなく、近未来を指しています。「わかってます、動いたりしませんってば」と言っているのです。
☆講師訳例
無線機が元の場所におさまった。ローランドが鍵束をじゃらつかせて運転席のわきに取りつけられた銃架の固定装置を解錠し、ポンプアクション式ショットガンを取り外した。そのあいだもずっと、わたしの心臓は早鐘のように打っていた。顔から血の気が引き、目が大きく見開かれているのが自分でもわかる。
ローランドが車の扉をあけた。「エリカ……」
「絶対動きません。気をつけていってらっしゃい」
「これがおれの仕事だ。それだけのことさ」彼は外に出て扉を閉めた。
いかがでしたか。先の気になる展開ですが、今回はここまでです。第12回はこの続きからはじめます。次回も一緒に課題文に取り組みましょう!
ふせ・ゆきこ/出版翻訳家。フェロー・アカデミー講師。訳書に、『ライトニング・メアリ』『壁の向こうの住人たち』(ともに岩波書店)、『アウグストゥス』『ブッチャーズ・クロッシング』(ともに作品社)、『ブラッドランド』(筑摩書房)、『1493』『魔術師と予言者』(ともに紀伊國屋書店)、『日本のカーニバル戦争』(みすず書房)などがある。