季刊『通訳翻訳ジャーナル』本誌で連載し、ご好評をいただいていた「出版翻訳入門ドリル」がweb版になって登場!出版翻訳家の布施由紀子さんと課題文に取り組みます。
登場人物の五感をリアルに表現する
今回も課題文に取り組みます。第9回の続きからはじめますので、まだ読んでいない方はこちらも読んでみてくださいね。
第9回 登場人物の五感をリアルに表現する【前半】
訳してみよう! 課題文
〇課題文
Now it was the start of a new day, and my legs were getting cold. I watched the light blue numerals of the dashboard clock flip, and with each change of the number, it seemed like the air in the cruiser was getting thicker and harder to breathe.
Then it clicked over to one in the morning. I yawned. Roland said, “You want to go back to the precinct, head on home?”
“No, I’m okay,” I said.
“Whatever,” Roland said. We were driving past another burnt-out collection of tenements and he said, “There’s a story for you. Someone should trace the deeds of those properties, see who owns what. Bet if you dig enough, you’ll find that somebody’s making a lot of money off those arsons—”
The radio crackled to life. “Unit 19.”
Roland picked up the handset. “Unit 19, go.”
“Unit 19, 14 Venice Avenue, the Gold Club. Robbery in progress. Other units responding. Caller said robbers appear to be armed.”
Roland said, “Unit 19, responding.”
He replaced the hand mic, brought the cruiser to a shuddering halt, and then made a U-turn and flipped on the overhead lights. He punched the accelerator and I felt myself thrust back against the seat as we roared down the center of Market Street.
“What’s the Gold Club?”
“Jewelry store. Only one in this area. I know them … got a large inventory.”
“No siren?” I said.
“Nope,” he said. “Sirens just let them know we’re coming.”
(出典:Harlan Coben, Otto Penzler ed., The Best American Mystery Stories 2011. Mariner Books. 2011)
では、レッスンに移りましょう。英文を少しずつ区切って示し、生徒訳例を紹介したあと、解説を加えていきます。
③ 人物のせりふを取り違えないこと
〇課題文
The radio crackled to life. “Unit 19.”
Roland picked up the handset. “Unit 19, go.”
“Unit 19, 14 Venice Avenue, the Gold Club. Robbery in progress. Other units responding. Caller said robbers appear to be armed.”
Roland said, “Unit 19, responding.”
〇生徒訳例
無線がパチパチと鳴った。「こちら十九号車」
ローランドは無線機を取り上げた。「十九号車、出動せよ」
「十九号車、ベニス・アベニュー十四番地のゴールドクラブで、強盗事件発生中。ほかの車両も応答している。通報者によると、強盗は武装しているようだ」
ローランドは言った。「十九号車、応答中」
③ 解説
無線連絡が入り、一気に緊張が高まります。しかしこの訳文では会話の流れがなんだか不自然です。おそらく、訳したご本人は最初(1行目)のせりふはローランド、次が無線係、強盗事件の連絡も無線係と理解したのでしょう。それにしても通信が成り立っているのにいまさら「応答中」と言うのはおかしいですね。
英語では、言葉使いによって人物の性別や年齢を表せないからでしょう、たいてい(必ずではありませんが)、せりふは1段落あたりひとり分にとどめてあります。段落ごとに主人公が決まっていると考えてください。この範囲で言えば、1段落目は無線係(十九号車を呼び出した)、2段落目はローランド(応答した)。4段落目もローランドですから、3段落目は無線係、ということになります。出動命令が下り、ローランドが現場に向かおうとしている場面になるよう、論理的に訳しましょう。それではじめて緊迫感が出てきます。
☆講師訳例
無線がパチパチと音を立てて息を吹き返した。「十九号車」
ローランドがハンドセットを手にとる。「はい、こちら十九号車」
「十九号車、ヴェニス通り十四番地、〈ゴールド・クラブ〉で強盗事件発生。ほかのユニットも現場に向かっている。通報者によれば、犯人は武器を携行しているもよう」
ローランドは言った。「十九号車、急行します」
④ 自分が理解できていないことを文字にしない
〇課題文
He replaced the hand mic, brought the cruiser to a shuddering halt, and then made a U-turn and flipped on the overhead lights. He punched the accelerator and I felt myself thrust back against the seat as we roared down the center of Market Street.
〇生徒訳例
彼はマイクを元に戻し、ブレーキをかけて、ぞっとするような停止をさせた。そしてUターンをして、頭上の赤色灯をつけた。アクセルを強く踏むと、車はマーケット通りを勢いよく走り、わたしは背もたれに押しつけられているのを感じた。
④ 解説
いよいよ現場に向かいますが、「ぞっとするような停止」とは、どのような止まり方なのか、よくわかりません。自分でも釈然としなかったはずです。鮮明にイメージできないことをとりあえず文字にするのではなく、いったん立ち止まって、用例がないか調べてみましょう。インターネットで検索すると、ロングマン英英辞典のサイトに用例とともに、a shuddering halt(=one in which a vehicle shakes noisily as it stops moving)という説明が出ていました。急ブレーキをかけたので、車が「激しく震えて(=揺れて)停止した」のですね。
下記のわたしの訳例では、第2文の構成を原文と同じ順序にしました。“I felt myself thrust back against the seat”は、車が急加速した瞬間を表しています。Uターン→急加速→高速走行という順に事態が進んでいることがわかります。roarという音やcenterという走行位置も表現しました。エリカが肌で感じ、耳で聞き、目で見たことを追っています。
☆講師訳例
彼は無線機を戻し、車体を震わせて停止させると、Uターンをし、警光灯のスイッチを入れた。それからぐいっとアクセルを踏み込んだ。とたんにわたしは座席の背に押しつけられた。パトカーは轟音をあげ、マーケット通りのど真ん中を走っていく。
⑤ プラスの意味か、マイナスの意味か
〇課題文
“What’s the Gold Club?”
“Jewelry store. Only one in this area. I know them… got a large inventory.”
“No siren?” I said.
“Nope,” he said. “Sirens just let them know we’re coming.”
〇生徒訳例
「ゴールドクラブって?」
「宝石店だ。このエリアではただ一軒のな。おれの知っている店だ……大量の在庫をかかえている」
「サイレンは鳴らさないの?」
「いいや」彼は言った。「サイレンはおれたちが来るのをやつらに知らせるだけだ」
⑤ 解説
大きな問題はありませんが、2点だけ、引っかかりました。まず、「大量の在庫をかかえている」という表現。これでは「商品が売れなくて困っている」という悪い意味になります。ここでは、「在庫が豊富」というプラスの意味で言っています。だから強盗に狙われたのです。もう1点は、最後のせりふがもたついていること。日本人としての感性を呼び戻し、ローランドになったつもりで表現してみましょう。
☆講師訳例
「〈ゴールド・クラブ〉って?」
「宝石店だ。この地区でただ一軒のな。おれの知ってる店で……在庫をたくさん持っている」
「サイレンは使わないんですか」
「ああ」彼は答えた。「警察が向かってることを知らせるようなもんだからな」
毎回、同じことを言っているような気がしますが、フィクションの翻訳では、いつも感性(感じ取る力)と知性(論理的思考力)の両方をバランスよく働かせておくことが鍵となります。次回もその心構えで取り組みましょう。
ふせ・ゆきこ/出版翻訳家。フェロー・アカデミー講師。訳書に、『ライトニング・メアリ』『壁の向こうの住人たち』(ともに岩波書店)、『アウグストゥス』『ブッチャーズ・クロッシング』(ともに作品社)、『ブラッドランド』(筑摩書房)、『1493』『魔術師と予言者』(ともに紀伊國屋書店)、『日本のカーニバル戦争』(みすず書房)などがある。