映像翻訳者が、海外映画やドラマなどの字幕&吹替翻訳で「すごい!」と感心したフレーズや、印象に残ったフレーズを紹介! 月1回のリレーコラム形式でお届けします。
今回の執筆者は、英日・露日の字幕・吹替翻訳を手がけている大石千恵子さんです。
協力:映像翻訳者の会Wakka
ロシア&東欧映画の名訳字幕を紹介!
英日・露日の字幕・吹替翻訳者の大石千恵子と申します。学生の頃ロシア映画に魅せられて、ロシア語を学び始めたこともあり、ロシア・旧ソ連・東欧の映画は特に好んで観ます。
距離的には近くても、今や多くの人にとって気持ちの面では遠く感じられる国となってしまったロシアですが、ソ連時代を含め、映画史に残る名作を数多く生み出している国でもあります。
そんなロシア映画から2作品、東欧のセルビアの作品から1作品を字幕の名訳と共にご紹介します。
1. 映画『エルミタージュ幻想』より(字幕)
【ロシア語原文】
Ваше начальство не хочет, чтобы у вас были собственные идеи. В сущности, ваше начальство и все вы, ну, ленивы…
【英訳】
Your authorities don’t want you to have ideas of your own. In fact, your authorities and all of you are lazy…
【日本語字幕】
お上は人民独自の/理想を望まない
貴国のお上もあなた方も皆/怠惰ですよ
(『エルミタージュ幻想』Русский ковчег,英題:Russian Ark/2002年/配給:パンドラ/日本語字幕:太田直子氏)
ロシア映画界の巨匠アレクサンドル・ソクーロフの代表作である本作。エルミタージュ美術館を舞台にロシア300年の歴史を、過去と現在、現実と幻想の境から解き放たれて縦横無尽にたゆたう、何とも贅沢で心地よい映画体験ができる一本です。
引用した字幕は、作中で観客とカメラを美術館へといざない、案内役を務めるフランス人外交官のセリフですが、19世紀の外交官という立場を踏まえて、「貴国」などの古風で洗練された敬語表現を用いています。同時に「お上」という言い回しによって、原文にある皮肉のニュアンスも引き出していて、「人民」という言葉には、のちに社会主義国へと移行する未来への示唆も感じられます。
当時のロシアだけでなく、現代ロシアにも通じる痛烈な皮肉である原文を、豊かな日本語で19世紀の外交官にふさわしいセリフとして表現し切った名訳です。
本作は史上初めて全編ワンカットで撮影されたという映画史的にも重要な作品なので、太田直子さんの名訳と共にぜひお楽しみいただきたい一作です。
2. 映画『LETO -レト-』より(字幕)
【ロシア語原文】
Мои друзья всегда идут по жизни маршем, и остановки только у пивных ларьков.
【英訳】
My friends always march through life, and the only stops they make are at the beer stalls.
【日本語字幕】
俺の友達はみんな/人生を歩き続ける
一息つくのは/店でビールを飲む時だけ
(『LETO -レト-』Лето, 英題:Leto/2020年/配給:キノフィルムズ/日本語字幕:神田直美氏、原語監修:松澤暢子氏)
本作は、ロシアの実在の伝説的なロックバンド「Кино(キノ)」のヴォーカルであるヴィクトル・ツォイを主役にした、ロックミュージカルとも言える作品です。
西側諸国の文化の輸入に厳しい制限がかけられていたソ連時代、それでも西側ロックに憧れる反骨精神にあふれた若者たちのひと夏を描いています。公には決して交わることのなかった西側ロックとソ連ロックを、作中で皮肉めいた「フィクション」として融合させた、ロックファンには垂涎の一本です。
引用した字幕は、実在のロックシンガー、マイク・ナウメンコがツォイの才能を見いだすシーンで、ツォイが歌う曲の歌詞です。英語訳の“the only stops”は原文直訳で、このままだとやや無機質に感じられるのですが、ここを「一息つくのは」と情感豊かな言葉で訳していることで、まさに“march(行進)”さながらに脇目も振らず「人生を歩き続ける」若者たちが、お酒にひと時の安らぎを求める哀愁あふれる情景が、目に浮かぶような歌詞になっています。
この他にも実際のキノの曲が作中で何曲も登場するのですが、学生時代から幾度も聴いたキノの曲を、映画館で素敵な和訳と共に聴けることに熱い感動を覚えたものです。
3. 映画『アンダーグラウンド』より(字幕)
【英訳】
Marko: Forgive me?
Blacky: I can forgive but I cannot forget.
【日本語字幕】
マルコ:許してくれ
クロ:許そう でも忘れないぞ
(『アンダーグラウンド』Подземље,英題:Underground/1996年/配給:エース ピクチャーズ/日本語字幕:清水馨氏)
※本作については正確なセルビア語原文が確認できないため、英文スクリプトのみ掲載しています。セルビア語とロシア語は類似の言語なので、音声から英訳はほぼ原音直訳であることを確認しています。
かつて存在し、今は失われた多民族国家ユーゴスラヴィア。一つの国が消滅するまでの戦後50年にわたる激動の歴史を、まるでダークなお伽噺のように、軽妙かつエネルギッシュに描き切った傑作です。
共産党パルチザンであり親友同士でもあるマルコとクロは、戦争に身を投じながらも、横恋慕や相手への壮絶な裏切りなどを重ね、二人の関係は移り変わる時代とともに「兄弟のような親友であり同志」では終わらないものへと変化していきます。
引用の字幕は、ラストシーンで交わされる二人のセリフなのですが、私自身もまさに決して「忘れられない」セリフの一つです。
昔は兄弟のように肩を並べながら、激動の時代を生き抜いたマルコとクロ。かつては兄弟のように同じ国で共に過ごしたさまざまな民族たちが、彼らの姿と重なり合うシーンです。
「許そう でも忘れないぞ」という言葉は、血で血を洗う内戦を経験した旧ユーゴスラヴィアと、そして戦争を経験したすべての国に生きる人々に訴えかける普遍的なメッセージに思えます。
セリフ自体は実にシンプルですが、日本語訳では「許そう」と「でも忘れないぞ」をはっきり二文に分けることで、後半の文章に重みをもたせています。またどちらの文も文末を温かみのある語尾にすることで、二人の中から消えることのない友情が感じられ、シンプルながらも胸に響くセリフになっています。
映像翻訳者の会Wakka
2023年4月に発足した、映像翻訳者による集まり。フリーランスが多い業界において、映像翻訳者ならではの悩みの相談や、同業者間での情報共有、助け合いができる場づくりを行う。また映像翻訳者の地位向上、映像翻訳者が働きやすい環境作りへの貢献をめざす。
Webサイト:https://wakkaeizouhonyaku.wixsite.com/wakkaweb
*本コラムはWakka会員の翻訳者の方によるリレー連載です*
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英日・露日の字幕・吹替翻訳者。主な字幕翻訳作品は、英語作品では『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』、『サタンがおまえを待っている』、BBCドキュメンタリー番組、ロシア語作品では『スパイを愛した女たち リヒャルト・ゾルゲ』など。
