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2024.10.22 UP

第17回 松本陽子さん:映画『オッペンハイマー』ほか の字幕を語る!

第17回 松本陽子さん:映画『オッペンハイマー』ほか の字幕を語る!

映像翻訳者が、海外映画やドラマなどの字幕&吹替翻訳で「すごい!」と感心したフレーズや、印象に残ったフレーズを紹介! 月1回のリレーコラム形式でお届けします。
今回の執筆者は、映画の台詞についての連載コラムも執筆されている松本陽子さんです。
協力:映像翻訳者の会Wakka

アカデミー賞受賞の話題作の字幕を紹介!

こんにちは、英日映像翻訳者の松本陽子です。
最近観た映画やドラマの中から、印象に残った字幕や吹替を紹介します。

1. 映画『オッペンハイマー』より(字幕・吹替)

【英語原文】
You’d get caught holding the knife yourself.

【日本語字幕】
保身のためだろう

【日本語吹替】
手にナイフを持ってたら 隠したいだろう

(『オッペンハイマー』Oppenheimer/2024年/配給:ビターズ・エンド/字幕翻訳:石田泰子氏、吹替翻訳:木村純子氏)

「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの栄光と挫折を描いた歴史映画です。劇場で字幕版を鑑賞した時、あまりにも膨大かつ難解なセリフに圧倒されました。

ご紹介するセリフは、ロバート・ダウニー・Jr.演じるストローズ少将のものです。彼は「オッペンハイマーを共産主義者として告発したのは自分ではなく、別の人間だ」と言います。「その人物は、なぜFBIに告発したと思うか」と聞かれた少将は、告発者の心境について推測しています。

字幕はセリフの直後にカットが切り替わるので、通常より少ない字数で収めなくてはいけません。吹替は原文どおりに訳されており、この内容を一言で表すためには「保身」という訳語がぴったりで、無駄のない美しい字幕です。

2. 映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』より(字幕)

【英語原文】
and even began to take on private commissions as a dog portraitist,
visiting dukes and duchesses, lords and ladies, and their pampered canine friends.

【日本語字幕】
また 犬の肖像画家として
依頼を受けーー
貴族の紳士淑女と
お犬様を訪ねるようになった

(『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』The Electrical Life of Louis Wain/2021年/配給:キノフィルムズ/字幕翻訳:岩辺いずみ氏)

ユーモラスな猫のイラストで人気を集めたイギリスの画家ルイス・ウェインの生涯を、ベネディクト・カンバーバッチ主演で描いた伝記映画です。

日本で映画が公開された当時、“cattier”という猫の比較級と思われる造語を「(ルイスが私たちの人生を)猫まみれにした」と訳していたことで、猫好きの翻訳者の心をわしづかみにしました。

取り上げた部分はナレーションで、“canine friends”「お犬様」と訳しています。単なる“dogs”ではないので、「飼い犬」よりも高貴な雰囲気を出したいところ、「お犬様」という表現がすばらしく、思わずほほ笑んでしまう訳です。

原文のもつユーモアを最大限に生かしながら、初めて作品を鑑賞する人にも分かりやすい字幕を作ること、それが本当に難しく、字幕翻訳の醍醐味だと思います。

3. ドラマ『メディア王 ~華麗なる一族~』より(字幕・吹替)

【英語原文】
Stewart, are you goin’ to the Sad Sack Wasp Trap tonight?

【日本語字幕】
“寄付金ホイホイ”には
出るのか?

【日本語吹替】
お前さんは今夜の“寄付金ホイホイ”に出るのか?

(『メディア王 ~華麗なる一族~』Succession/2018年/制作:HBO ※U-NEXTで配信中/字幕翻訳:杉田朋子氏、吹替翻訳:李静華氏)

ニューヨークを舞台に、世界屈指の巨大メディア企業の後継者争いを描くドラマシリーズ。世界的メディア王のルパート・マードックをモデルにしています。父親が一代で築き上げたメディア帝国のトップの座をめぐって、4人の子供たちや取り巻きが奔走するさまを、皮肉とユーモアたっぷりに描いています。

取り上げたセリフはシーズン1の第4話から。ブライアン・コックス演じるメディア王のローガン・ロイが、客人に今夜行われるパーティーに来るのかを尋ねる場面です。ローガンが主催するパーティーの正式名称は“Roy Endowment Creative New York ball”(日本語字幕:ロイ家のチャリティー晩餐会)ですが、ロイ家ではこっそり“Sad Sack Wasp Trap”(日本語字幕:“寄付金ホイホイ”)と呼んでいます。

“Sad Sack”「お人好し」「マヌケ」の意味、“Wasp Trap”は「蜂を捕まえるための罠」で、“Wasp”はここではアングロサクソン系プロテスタントの白人のことを指しています。さらに“Sad Sack”の頭韻、“Wasp Trap”の脚韻で言葉遊びも入った造語で、翻訳者の力量が試されます。「寄付金ホイホイ」という訳は意味と音の響き、さらに字数もぴったりで、見事だと思いました。

本作はシーズン4ですでに完結しましたので、ぜひ観てみてください。

映像翻訳者の会Wakka
2023年4月に発足した、映像翻訳者による集まり。フリーランスが多い業界において、映像翻訳者ならではの悩みの相談や、同業者間での情報共有、助け合いができる場づくりを行う。また映像翻訳者の地位向上、映像翻訳者が働きやすい環境作りへの貢献をめざす。
Webサイト:https://wakkaeizouhonyaku.wixsite.com/wakkaweb
*本コラムはWakka会員の翻訳者の方によるリレー連載です*

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松本陽子
松本陽子Yoko Matsumoto

映画館で年間約180本の映画を観る英日映像翻訳者(字幕・吹替)。大学卒業後、レコード会社や映画配給会社に勤務。アメリカに1年留学後、レコード会社で働きながら映像翻訳学校で学び、退職後はフェロー・アカデミーのアンゼたかし氏のゼミに通う。2017年から映画やドラマの翻訳を手がける。日本会議通訳者協会のサイトで「この台詞に注目! 映像翻訳の楽しみ方」を連載中。