昨今、特に映画やドラマなどの映像作品では、LGBTQ関連のテーマが取り上げられることが増えている。性的マイノリティを描いた映像作品の翻訳を多数手がけてきた翻訳者の今井祥子さんに、翻訳において気をつけていることや、近年の傾向を解説していただく。
(※こちらの記事の内容は2021年2月時点のものです)
LGBTQに関する基礎知識は
エンタメ翻訳者に必須
近年、社会の変化を反映するように、LGBTQをはじめとする性的マイノリティをテーマにした映画やドラマが増えています。かつてはニッチなものとされてきたLGBTQ作品が、アカデミー賞やエミー賞などの権威ある賞を続々と受賞し、大衆の人気を集めるようになりました。
LGBTQであることをオープンにして活動する俳優やクリエイターも増え、エンタメ界におけるダイバーシティは進行中。今やLGBTQについての基礎知識は、エンタメ翻訳を手がける映像翻訳者にとって必要不可欠と言えます。
翻訳の難しさ
■スラングや侮蔑語の翻訳
私はこれまで多くのLGBTQ作品の字幕翻訳をしてきましたが、10年ほど前と比べると翻訳やリサーチの苦労は減ったと感じています。以前は、日本ではLGBTQ関連の用語や概念があまり浸透していなかったため、翻訳の際に用語がそのまま使えないことが多く、また日本語の資料も少なかったので、情報を探すのに苦労することもありました。
今では日本語の書籍やWebサイトなどが充実し、海外の情報もSNSを通してリアルタイムで知ることができます。何よりもLGBTQにまつわる様々な言葉が一般に浸透したことにより、限られた文字数の中で説明を補足したり、わかりやすく言い換えたりする必要が少なくなりました。
とはいえ、いまだに英語のニュアンスを日本語で伝えるのに頭を悩ませることはあります。特にスラング。
先日とある映画を見ていたら、“Sheʼs kind of butch, isnʼt she?”というセリフが「(彼女って) 男役ブッチだよね」と訳されていました。“butch”はマスキュリンな外見のレズビアンを指す言葉ですが、「男役」という訳語は異性愛の男女の役割をレズビアンに当てはめるようで、個人的にはあまり使いたくありません。が、「ブッチ」で通じるのはごく一部の人だけでしょうから、翻訳者としても苦渋の選択だったのだろうと察します。自分ならどう訳すかと考えると、う~ん……「タチっぽいよね」でしょうか。
侮蔑語も悩みどころです。例えば、誰かが“faggot(fag)”などの攻撃的な言葉でゲイの人物を罵倒しているシーンがあったとします。「ホモ」「オカマ」といった差別的な訳語はいかなる場合でも使うべきではないので「ゲイ」に言い換えるべきだという人もいれば、ゲイの人々が受けている差別を翻訳によって矮小化するべきではないという人もいます。個人的には後者の意見を支持しますが、作品が上映されるプラットフォームによって方針は様々です。判断に迷う場合は、クライアントと相談したほうがいいでしょう。
最近の傾向
■セクシュアリティと役割語
最近はLGBTQ作品に限らず、字幕に「~だぜ」「~なのさ」「~だわ」「~かしら」といった男言葉/女言葉(いわゆる役割語)をなるべく使わずニュートラルな言葉使いにするようにとクライアントから指示されることが多くなりました。
Netflixの人気シリーズ『クィア・アイ』(各分野のエキスパートであるゲイ5人組「ファブ5」が依頼人を変身させるリアリティ番組)では、配信初期に視聴者から言葉使いが女性的すぎるという意見があったようですが、現在ではその点が修正され、それぞれの人物のキャラクターに合った字幕になっています。
ファブ5の中で言葉使いがやや女性的なのは美容担当のジョナサンのみ。彼の自伝『どんなわたしも愛してる』(安達眞弓訳/集英社)も所々「~だわ」「~ね」「~よ」といった言葉使いで訳されていますし、セリフの字幕に女言葉が混じっても違和感はありません。一方、他の4人の話し方に女性的なところはありませんが、一人称は「俺」より「僕」、語尾も男性的すぎない「~だよ」「~だね」など、ソフトな言葉使いのほうが合っています。
当然ながら、ゲイといっても十人十色。大事なのは、「ゲイならこういう言葉使いをするはず」と決めつけずに、その人物のキャラクターやシーンの状況、会話の相手などに合う言葉使いを選ぶこと。そのために翻訳者は、自分の中に偏見や先入観がないかを常に疑ってみることが必要です。
それに、いつでも誰に対しても同じ言葉使いをする人はそうそういません。普段は男言葉を使っているゲイ男性だって、ゲイ仲間と軽口を叩く時には女言葉を使うかもしれませんし、ビジネスの場では敬語を使うでしょう。原語の口調、キャラクターの個性、シーンの状況、会話の相手などによって、ケースバイケースで判断することが肝心です。
※ ※通訳・翻訳ジャーナル2021年春号「通訳者・翻訳者が知っておきたいことばの新常識」より転載
→Next 人称代名詞にも変化が
日本大学藝術学部映画学科卒業後、フリーランスの映像翻訳者としてデビュー。翻訳作品に、映画『ゴッズ・オウン・カントリー』『ダンサー そして私たちは踊った』『ラフィキ:ふたりの夢』『ボーイズ・イン・ザ・バンド』など。LGBTQ映画祭「レインボー・リール東京」のプログラマーとしても活動し、2017年にはベルリン国際映画祭でテディ賞(LGBTQ映画賞)の国際審査員を務めた。「第31回レインボー・リール東京(東京国際ゲイ&レズビアン映画祭)」は、2023年7月15日~17日に大阪、7月21日~23日に東京で開催予定。