
映像翻訳者が、海外映画やドラマなどの字幕&吹替翻訳で「すごい!」と感心したフレーズや、印象に残ったフレーズを紹介! 月1回のリレーコラム形式でお届けします。
今回の執筆者は、英日字幕翻訳者の松永昌子さんです。
協力:映像翻訳者の会Wakka
アカデミー賞 作品賞受賞作の字幕を紹介!
こんにちは。英日字幕翻訳者の松永昌子と申します。
この仕事を始めてから、映画館で気になる字幕をメモするようになりました。暗闇で書きなぐるため、あとから見ても解読不能なことも多いのですが、それでも書きとめておきたくなるのは、映像翻訳者の性でしょうか。
さて、翻訳業界に機械翻訳やAI翻訳の影が忍び寄ってきて久しくなりましたが、エンタメの字幕翻訳は、まだ“人にしかできない翻訳”なのではないかと思っています。今回は、これまでに鑑賞した作品の中から、“なるほど”と思った字幕をいくつかご紹介したいと思います。
1. 映画『ANORA アノーラ』より(字幕)
【英語原文】
Hi.
【日本語字幕】
お待たせ
(『ANORA アノーラ』Anora/2025年/配給:ビターズ・エンド/字幕翻訳:吉川美奈子氏)
こちらは、今年3月のアカデミー賞で作品賞に輝いた『ANORA アノーラ』より。
アノーラは、ニューヨークでストリップ・ダンサーとして糊口をしのぐ23歳の女性です。ご紹介するセリフは、この映画で最初に登場する字幕で、アノーラが勤務先のストリップクラブのフロアで男性客に声をかけるシーンのものです。
原文は「Hi」。単に「どうも」や「こんにちは」と訳すこともできますが、ここでは「お待たせ」と訳されており、少し高飛車な印象を受けます。搾取される立場にあるアノーラが、その状況にあらがおうとする心情や彼女の強気な性格が、この映画冒頭の字幕に表現されていると感じました。
作品にもよりますが、映画1本あたりの字幕枚数はおよそ1500枚前後でしょうか。そのうちのたった1枚にすぎない字幕ですが、1枚たりとも無駄にせず、その場面で最適な言葉を出されているように思いました。
2. 映画『オータム・イン・ニューヨーク』より(字幕)
【英語原文】
There’s no excuse for what I did to you, Lisa
You were a child…
and you needed me…
【日本語字幕】
君には どう侘びるべきか…
父親なのにー
何もせず
(『オータム・イン・ニューヨーク』Autumn in New York/2000年/配給:日本ヘラルド映画/字幕翻訳:栗原とみ子氏)
こちらは25年前のリチャード・ギアとウィノナ・ライダーの共演作です。
リチャード・ギアが演じるウィルはいわゆる独身貴族。ビジネスで成功した“イケおじ”ではあるものの、ウィノナが演じるシャーロットと出会うまでは自分勝手で女遊びが激しく、妊娠させた女性と連絡を絶ってしまうような最低な男でした。
ご紹介するのは、娘のリサが大人になって会いに来た時のウィルのセリフです。
原文の2行目と3行目は、直訳すると「君は子どもだった…」「そして君は私(父親)を必要としていた…」と、主語は「君」です。
しかし、字幕では話者であるウィルを主語に据え続けています。その理由は恐らく2つあり、1つ目は主語を固定することで、2行目以降の主語が省略できるということです。短いセリフなので、これによって表現の幅が格段に広がったはずです。
2つ目は、彼の自責の念がよりストレートに伝わっているということです。このセリフを通して、彼が過去の自分とは変わったことが印象づけられており、ストーリー上の大切な転換点が字幕でも的確に表現されていると感じました。
作品全体の流れ、その場面の意味、登場人物の心情などを理解したうえでの自然で分かりやすい字幕に、さすがだなと思いました。
3. 映画『オールド』より(字幕)
【英語原文】
Look, let’s stop talking about it.
The kids are scared.
I can stay here with them, but everyone else should try to find a different pathway off this beach.
【日本語字幕】
今は行動の時よ
子どもたちは私が見てるからー
他にビーチを出る道がないか
全員で探して
(『オールド』Old/2021年/配給:東宝東和/字幕翻訳:風間凌平氏)
こちらはナイト・シャマラン監督によるスリラー映画で、人里離れた美しいビーチを訪れた家族が、通常より早いスピードで老化していくという怪奇現象に見舞われる恐怖とサバイバルを描いた作品です。
ご紹介するのは、異常が発生する中、登場人物の1人が他のメンバーに今後の行動を指示する場面です。
原文の2行目 “Kids are scared” は字幕では割愛されていますが、その分、前後の字幕がスムーズにつながるよう工夫されていることが分かります。
また、“Let’s stop talking about it” は直訳すれば「その話はやめよう」や「話すのをやめよう」ですが、字幕では「今は行動の時よ」と訳されています。一見すると誤訳に見えるかもしれませんが、場面全体の流れを踏まえると意図としては正確ですし、戦略的に選ばれた言葉ではないかと思いました。なぜなら、視聴者は自然と「次に何か具体的な行動が示されるのだろう」と予測し、続く字幕を読むことになるからです。
言い換えによって視聴者の思考の流れを巧みに促し、流れる字幕を作り出す技術には感服しました。
なお、省かれた “Kids are scared” については、怖がっている子どもたちの様子が映像でしっかり描写されており、字幕で明示しなくても伝わると判断されたのだと思います。
字幕翻訳者は字数制限のため常に情報の取捨選択を迫られますが、どの情報を字幕で伝えるかは、映像作品全体を見たうえで判断すべきであり、こうした判断は人間にしかできない(といいな)と思います。
映像翻訳者の会Wakka
2023年4月に発足した、映像翻訳者による集まり。フリーランスが多い業界において、映像翻訳者ならではの悩みの相談や、同業者間での情報共有、助け合いができる場づくりを行う。また映像翻訳者の地位向上、映像翻訳者が働きやすい環境作りへの貢献をめざす。
Webサイト:https://wakkaeizouhonyaku.wixsite.com/wakkaweb
*本コラムはWakka会員の翻訳者の方によるリレー連載です*
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20代で映像翻訳を学び始め、30代でデビュー、40代で専業となった英日字幕翻訳者。ようやくやりたいことを仕事にできたので、できるだけ長く続けていきたいと考えている。映画、ドラマ、アニメ、産業字幕などジャンルを問わず対応しているが、個人的に好きなジャンルは動物や自然のドキュメンタリー作品。最近の担当作にはアニメ『Devil May Cry』や映画『バッド・インフルエンス』など(いずれもNetflix 配信、日本語版制作:AC クリエイト)。
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