• 翻訳

2024.05.16 UP

第31回 「前後右左」を「東西南北」で言わなければならない言語

第31回 「前後右左」を「東西南北」で言わなければならない言語

英語のみならず、独語、仏語、西語、伊語、中国語を独学で身につけ、多言語での読書を楽しんでいるという作家・翻訳家の宮崎伸治さんに、多言語学習の魅力を余すところなく語っていただきます!

「地理座標系に依存する言語」とは?

私が多言語を学んでいる最大の理由は、外国語を学ぶことで狭い狭い“自分の殻”を破ることができると信じているからです。ちょっとカッコつけていえば、“日本人的単眼思考”を脱却することができると信じているから。「自分の考え方が絶対正しいというわけではない」ということに気付けば、自分と異なる考え方をする人がいても、その人のことを「おかしい人」と決めつけることもなくなるだろうし、なによりイライラせずに済むと思うのです。

そんな私が多言語を学んできて最も驚いたことは「地理座標系に依存する言語」の存在を知ったことでした。その存在を知ったときは、(え! そんな言語がありえるの?)とまったく度肝を抜かされました。

では、「地理座標系に依存する言語」とそうではない言語(それを「自己中心座標に依存する言語」といいます)とはどう違うのでしょうか。

「前」「後」「右」「左」をどう表現するか

「自己中心座標に依存する言語」とは、自分を中心に「前」「後ろ」「右」「左」を使って話す言語のことで、例えば日本語では「後ろから犬が走ってきているよ」というような言い方をします。

ところが、「地理座標系に依存する言語」は「前」「後ろ」「右」「左」という言葉を使わないので、同じことを言おうとしても「東」「西」「南」「北」などの地理座標を使わなければならず、例えば「後ろ」が「北」の方角であれば「北のほうから犬が走ってきているよ」などと言わなければならないのです。これって信じられますか?


ただ、日本語が「自己中心座標に依存する言語」とはいえ、日本人でも「東西南北」という地理座標を使うことはあります。例えば、「東京の大阪の右にある」などとは言わず、「東京は大阪の東にある」といったほうが自然な言い方です。また、野原をハイキングする場合も地理座標を使ったほうがいいかもしれません。しかし道を尋ねられた場合は、「そこのビルを左に曲がって」などと自己中心座標を使うほうが簡単です。なぜなら、どこが「前」でどこが「後ろ」でどこが「左」でどこが「右」から常に分るからです。

私が「地理座標系に依存する言語」(オーストラリアの先住民の言語であるグーグ・イミディル語などがそれにあたります)の存在を知ったとき、まず感じたのが、「どっちが『北』でどっちが『南』かなんて四六時中わかるわけでもないのに、もしわらなかったらどう言えばいいの?」でした。そんな言語が存在すること自体、まったく信じられなかったのです。

「絶対方位感」をもつ人たち

しかし、そう考えるのも私の“日本人的単眼思考”のなせる技であり、世の中には絶対音感ならぬ、“絶対方位感”をもっている民族がいるらしいのです。彼らはいわば四六時中休みなく働く心的磁石というものを持っているのです。絶対音感という言葉を聞いたことがある人は多いでしょうが、それと同じように、世の中には“絶対方位感”を持っている人が存在しているらしいのです。

“絶対方位感”を持つ人は「いつ何時でも、固定した基本方位に照らして自分の方位感覚を維持する。視界良好か不良かに関係なく、深い森の中にいようと草原にいようと関係なく、戸外か室内か、じっとしているか動いているかに関係なく、正確な方位感感覚を持つ」(『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』早川書房、ガイ・ドイッチャー著、椋田 直子訳より引用)らしいです。

では彼らは何をもとに方位感覚を持つのでしょうか。太陽が最有力候補であることは想像しやすいことですが、同書によれば、その他にも、ある特定の木々の幹の側面の明るさの違い、蟻塚の向き、ある特定の季節の風向き、コウモリや渡り鳥の飛行、海岸地域の砂丘の並び方などだそうです。

私たち日本人は「あのビルの右」など「あの信号の左」などと「前」「後」「左」「右」を使うのが普通です。しかし、ビルとか信号など“目印となるもの”がないところで遊牧生活をしている人たちにとっては「あの川の南」とか「あの山の東」などと「東」「西」「南」「北」を使って言ったほうが分りやすいのかもしれませんね。そう考えると、なるほどそういうわけで「地理座標系に依存する言語」が存在するのか~と合点がいったのでした。

ところがこの「地理座標系に依存する言語」、世界各地に存在していることを知ってますます驚いたのでした。ああ、こういう事実があることを知っただけでも世界が広がった気がします。

★宮崎伸治さんの連載一覧はこちら

作家・翻訳家 宮崎伸治
作家・翻訳家 宮崎伸治Shinji Miyazaki

著書に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)などがある。ひろゆき氏など多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。http://www.joqr.co.jp/blog/main/2021/03/110.html