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アメリカ文学の研究者である、立教大学文学部 教授の舌津智之先生が、英語圏の小説や映画、曲のタイトルや、多くの人が一度は聞いたことがある名台詞・名フレーズの日本語訳に見られる独創的な「誤訳」に着目して、その魅力を解説します!
アメリカ文学における誤訳の妙技
邦題が訳し直された『ライ麦畑でつかまえて』
作品タイトルを原文の発音のまま表記するというカタカナ化の波は、映画やポップスのみならず、翻訳文学の世界にも押し寄せている。
象徴的なのは、何十年も人々に親しまれていた野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』を、村上春樹が2003年、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の邦題で訳し直したことであろう。もっとも、今から数十年が過ぎた頃、サリンジャーの小説タイトルとして、野崎版と村上版のどちらがより日本人に親しまれているかは予断を許さない。今のところ、主だった検索エンジンのヒット数でみる限り、歴史の長い野崎訳が勝っている。もうひとつの注目すべき一騎打ちは、ビート派の聖典であるケルアックの小説タイトルをめぐる新旧対決である。福田実訳の『路上』が生き残るのか、青山南訳(2007年)の『オン・ザ・ロード』に取って代わられるのか……。
今さら誰も疑わないタイトルだが……?
『誰がために鐘は鳴る』
For Whom the Bell Tolls(1940年)
言わずと知れたヘミングウェイの名作であり、完全に定着した邦題である。22世紀になってもたぶんこのままだろう。これほどの名タイトルが誤訳では……などと今さら疑う人はいないと思うが、よくよくその意味を考えてみると、決して直訳ではない。「鐘は鳴る」の部分だけだと、「鐘は鳴ります」という平叙文のように聞こえるが、最初に「誰」と言っている以上、疑問符は略されているものの、「誰のために鐘は鳴るのでしょう?」と問う邦題だと理解せざるをえない。が、原題は、疑問文ではなく、名詞節である。題名の出典となる英国詩人ジョン・ダンの言葉は、“never send to know for whom the bell tolls”なのだから、文法的には「誰がために鐘は鳴るのか」と訳すのが正しい。とはいえ、最後に「のか」をつけると、いささか間延びする。わずか5音節の原題に対し、12音では長過ぎるのだ。
思えば、文語調の「タガタメ」もすっきりと印象的で、Mr. Childrenの曲名になったのもうなずける。文法より、リズム感で勝負した古典的名誤訳と言ってよい。
難しい話は簡単かつ親切に!
『カッコーの巣の上で』
One Flew Over the Cuckoo’s Nest(1962年)
ジャック・ニコルソンが主演した1975年の映画版のほうが有名かもしれないが、原作は反体制のメッセージを打ち出すケン・キージーのカリスマ的小説である。その題名は「ある鳥は東へ、ある鳥は西へ、ある鳥はカッコーの巣の上を飛んでいった」という、童謡の一節に由来する。つまり、原題の副詞句のみを日本語に移すなら、直訳は『カッコーの巣の上を』となるはずである。
が、邦題は最後の「を」を「で」に変えている。この一文字の差は侮れない。英語のcuckooには俗語で「気の狂った奴」の意味があり、「カッコーの巣」とは比喩的に「精神病院」――すなわち、この物語の舞台を指している。そして、上記の童謡はさらに、巣の上を飛ぶ鳥が急降下して巣の中にいる一羽の鳥を外へ出す、というストーリーを語るのだが、これは、精神病院に送られた主人公が病院内の仲間の脱走を促す、という作品プロットを透かし出す。が、そこまでわかるはずのない日本人読者には、とある場所「で」の出来事である、とひとまず伝えるのが良い。親切な意図的誤訳である。
「血」とは誰の血なのか?
『冷血』
In Cold Blood(1965年)
英語の“in cold blood”は、「冷酷に」とか「容赦なく」という意味の熟語的な副詞句である。必ずしも、文字通りの血のイメージが前面に出てくるわけではない。しかし、トルーマン・カポーティが実話にもとづき紡ぎあげたノンフィクション・ノヴェルの邦題は、副詞句を名詞に変え、『冷血』と二文字の漢字をあてている。これはちょうど、ケルアックのOn the Roadが、「放浪中」ないしは「旅回りの」という熟語であるにもかかわらず、『路上』と文字通りに訳されたのと同じパターンである。
けれども、『冷血』に限っていえば、血のイメージの前景化は作品テーマにふさわしい。農家の一家4人が惨殺されるというセンセーショナルな殺人事件を扱っているからだ。とはいえ、このタイトルは加害者の冷酷さを意味しているのだから、冷たい「血」とは犯人の血を指すことになる。が、邦題の「血」の文字は、散弾銃に倒れ、冷たくなった被害者の「血」をも喚起し、事件の恐ろしさをさらに強く印象づける。創造的誤解を誘う名訳と言うべきだろう。
★前回のコラム
1964年生まれ。東京大学大学院修士課程、米国テキサス大学オースティン校博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ文学、日米大衆文化。主な著書に、『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫、2022年)、『抒情するアメリカ―モダニズム文学の明滅』(研究社、2009年)、共訳書に『しみじみ読むアメリカ文学』(松柏社、2007年)など。