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2023.07.20 UP

第2回 名訳?誤訳? 日本の感性に合わせて翻訳された英語の曲名

第2回 名訳?誤訳? 日本の感性に合わせて翻訳された英語の曲名
※本連載は『通訳翻訳ジャーナル』2015年秋号~2017年夏号掲載のコラムを一部加筆・修正して再掲載しています。

アメリカ文学の研究者である、立教大学文学部 教授の舌津智之先生が、英語圏の小説や映画、曲のタイトルや、多くの人が一度は聞いたことがある名台詞・名フレーズの日本語訳に見られる独創的な「誤訳」に着目して、その魅力を解説します!

英語の原題とは異なる意味に翻訳されたアメリカの楽曲

愛の意味や性別が逆転した邦題

洋画のタイトルを扱った前回に続き、今回は、英語の曲名が「誤訳」されたケースを取り上げたい。とはいえ、洋楽のタイトルは、MTVの普及した1980年代以降、どんなヒット曲でも原題をカタカナ化するのが基本となった。一世を風靡したマイケル・ジャクソンの場合でさえ、せいぜい原題の前に「今夜は」を足した「今夜はビート・イット」があるくらいで、日本語化された曲名はほとんど見当たらない。

カバーポップスの流行った60年代なら「ステキな初体験」とでも訳されたであろうマドンナの大ヒット曲も、「ライク・ア・ヴァージン」ままである。「明日に架ける橋」とか「素顔のままで」とか、邦訳タイトルがしっくりきたのは70年代までだった。ので、今回は開き直って古典ばかり3曲を選んでみる。
 

永遠の愛を信じる? 信じない?

「時の過ぎゆくままに」

As Time Goes By(1931年)

邦題の誤訳で有名なジャズ・スタンダードといえばこの一曲。歌の歌詞は、「時が過ぎても基本的なことは変わらない」ので、「月の光やラブソングが古びることはなく」、「世界はいつだって恋人たちを歓迎する」と、時代をこえた愛の普遍性をうたう。それが「過ぎゆくままに」だと、愛が移ろうかのように聞こえ、意味が逆になってしまう(一方、移ろいのイメージには諸行無常の日本的情緒があって良い、と誤訳を擁護する人もいる)。が、歌詞をよく読んでみると、この歌は決して、個々の愛が永続するとは言っていない。愛の物語自体は永遠に繰り返されるが、それは「嫉妬や憎しみ」や「闘い」を生み、ハッピーエンドに至るとは限らない。

もし「時が過ぎても」と正しくタイトルを訳したら、なんだか、この世にはずっと不変の価値があるから大丈夫と、人生を楽観しているようには聞こえないだろうか。「覚悟を決めて前に進むしかない人生なのだから、結果を恐れず、愛に身を任せなさい」というのがこの歌のメッセージであり、「時の過ぎゆくままに」こそ、歌詞の教えを実は的確に伝えた名訳なのである。
 

アメリカの夢 vs. 日本の祈り

「星に願いを」

When You Wish upon a Star(1940年)

ディズニー映画『ピノキオ』のテーマソング。「星に願えば、あなたの夢は叶う」という歌で、その際、願う人が「誰であっても違いはない」と、アメリカ的な平等・民主主義の理想を打ち出している。何しろ、木で作った人形が命ある人間になってしまう映画の主題歌なので、「心を込めて夢見るなら、どんなリクエストだって極端すぎることはない」。

しかし、直訳である「星に願えば」に対し、邦題は「星に願いを」と訳されている。この差は、微妙に見えて、実は大きい。後者は、願ったらどうなるのかは何も保証せず、ただ、願いをかけましょう、としか言っていないからである。いわば、願えば叶う「アメリカの夢」という幻想から距離をおき、控えめな祈りのスタンスにとどめた「誤訳」である。

ちなみに、カーペンターズのヒット曲として知られる「遥かなる影」の原題は“Close to You”であり、「近づきたい人」という原曲のイメージが、日本では「遥か遠い人」になる。

過度の自己主張と楽天主義を避け、遠い目の美学を是とする和の精神も、決して侮ってはならない。
 

男が歌う「女心」の伝統を広めた一曲

「知りたくないの」

I Really Don’t Want to Know(1953年)

1960年代、菅原洋一が、「あなたの過去など/知りたくないの」と、なかにし礼の訳詞(というか、ほぼ翻案)によるカバーソングを大ヒットさせた。原曲との違いは、語り手の性別である。「これまで何本の腕が君を抱き/決して離すまいとしたのだろう」とか、「いくつの唇が君に口づけて/その心を燃え上がらせたのだろう」とか、男の嫉妬心を歌うカントリーの元歌は、かなり生々しい。曲名は本来、「知りたくないんだ」など、男言葉で訳すべきところである。

しかし、男性歌手の菅原があえて女言葉で歌うこの大ヒット曲は、歌い手の性別と歌われる言葉の性別が交差する、日本に独特な大衆歌謡伝統の確立に貢献した。歌謡曲における性別交差の伝統は、とりわけ60年代以降、演歌の分野で顕著になったと見るのが定説だが、たとえば男性歌手プレスリーの“Don’t Be Cruel”「冷たくしないで」と訳されるなど、洋楽タイトルの邦訳も、アメリカンな男のイメージにひねりを加え、ソフトな男の美学を広めるのに一役買っていたのである。

★前回のコラム

立教大学教授・米文学者 舌津智之
立教大学教授・米文学者 舌津智之Tomoyuki Zettu

1964年生まれ。東京大学大学院修士課程、米国テキサス大学オースティン校博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ文学、日米大衆文化。主な著書に、『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫、2022年)、『抒情するアメリカ―モダニズム文学の明滅』(研究社、2009年)、共訳書に『しみじみ読むアメリカ文学』(松柏社、2007年)など。