季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーコラムをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。
1983年に大学を卒業後、2年間、会社勤めをして退職。翻訳を仕事にしたいと考えるようになりました。文章を書くことと英語が好きで、勉強したら翻訳者になれるかも、と単純に思ったのがきっかけでした。大学でアメリカ史を専攻し、卒業論文を書いたときに国会図書館に通い、古いニューヨーク・タイムズ紙の記事を訳すのがおもしろかったのも理由のひとつです。
翻訳学校の通信教育(1年間)を受けようと決め、その前に短期の夏期講座を受講しました。そのときの講師だった鈴木主税先生が主催するワーショップに入れたことが大きな転機となりました。「稼げるようになるまで10年かかりますよ」と、最初に言われ、「10年やめなければ翻訳者になれるんだ」と喜んだのを覚えていますが、のんきなものです。
下訳の予定が翻訳者に マドンナの本で話題となる
それから3年ほどで下訳の仕事ができるようになりました。バブル最盛期ですから、翻訳書も今とは比べものにならないほど出版されていました。どの大手出版社の「今月の文庫」にも、翻訳ものは3、4点、含まれていたと思います。今は1点あるかないかで、寂しいかぎりです。
何年かして、マドンナの『Sex』(日本では修正版が『Sex by Maddona』として出版された)という写真集の下訳をすることになりました。マドンナ作というエロチックなショートストーリーが何篇か、日本の出版社を通じて自宅のファクシミリに届いたときの高揚感は忘れられません。世界の真ん中と自分の部屋がつながっているような気がして、わくわくしました。
出版されるまで内容は極秘扱い。過激な内容を推測する記事が、連日、スポーツ紙をにぎわすほど話題になりました。写真週刊誌に数枚の写真がすっぱ抜かれ、同時に訳文も掲載されたのは驚きでした(もちろん、うれしかったです)。そのうち、出版する会社が変わるというトラブルがありました。その結果、下訳のはずだったわたしの名前が翻訳者として奥付に記されるという、トラブルどころか、予想もしなかった幸運に恵まれました。
すると、マドンナ関連の書籍(マドンナが出演した映画『プリティ・リーグ』や『マドンナを夢みて』など)や、雑誌記事を翻訳する仕事を立て続けに依頼されました。エロチックな内容のフィクションやハウツーものの翻訳も何冊か手がけました。1989年4月に雑誌『an・an』に初めて「セックスできれいになる」という特集が組まれ、1992年に、女性による女性のための初めてのハウツーもの『ジョアンナの愛し方』が出版されて話題となり、その手の内容の書籍が次々と出版されていたのです。
ロマンスも多数担当 翻訳は根気と体力
ハーレクイン・ロマンスのリーディングの仕事もしました。それまでハーレクインは読んだことがなく、初めて読んだノーラ・ロバーツのヒストリカルロマンス、『Rebellion』( 邦題『反乱』)が感動するほどおもしろく、彼女の作品を訳すことが目標になりました。その後、何冊かノーラ・ロバーツの作品を訳す機会に恵まれたのは大きな喜びでした。現在もノーラ・ロバーツが別名J・D・ロブで手がけている近未来のニューヨークを舞台にしたロマンチック・ミステリー、「イヴ&ローク・シリーズ」の翻訳チームのひとりでいられるのは、ほんとうにラッキーとしか言いようがありません。
ドラマチックだったのはマドンナがらみの最初だけで、翻訳の仕事はとにかく根気と体力が必要な、とても地味な仕事です。若い方々は想像できないかもしれませんが、インターネットによって、調べ物作業はとても楽になりました。と同時に、パソコンに向かう日々で、腱鞘炎にも悩まされます。駆け出しのころ、今はこういう時代なのでなかなかむずかしいですが、翻訳者や編集者で集まる飲み会や食事会がよくありました。あの頃、同じテーブルにいらっしゃると緊張した先輩翻訳者の方たちと、年齢だけは同じになったのだと思うと、とても不思議な気持ちです。
※ 『通訳翻訳ジャーナル』2021年春号より転載
翻訳者。1983年成蹊大学文学部文化学科卒。最新訳書は『レディ・ジャスティスの裁き』(ヴィレッジブックス)。趣味は書道と剣武。週に一度は武道場で模擬刀を振っている。書道は師範弐段で、昨年から自宅で書道教室を始めた。
*『通訳翻訳ジャーナル』2021年春号・掲載当時*