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2024.06.11 UP

SEから実務翻訳を経て
文芸翻訳者の道へ/岩瀬徳子さん

SEから実務翻訳を経て<br>文芸翻訳者の道へ/岩瀬徳子さん

季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーコラムをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。

SEから実務翻訳を経て文芸翻訳者の道へ

子どものころから翻訳者になるのが夢でしたと言えればいいのですが、わたしの場合はそれほど格好よくはありません。システムエンジニアとして働いていた会社を三十歳のころにやめて、次にどうしようか考えていたとき、翻訳を勉強してみようかとふと思い立ちました。

英語はどちらかと言えば苦手意識があったのですが、海外旅行をきっかけに、聞きとりはできても思いのほかしゃべれない自分をなんとかすべくはじめた英会話の勉強が楽しかったことと、本が好きだったことから翻訳を志すという、ふんわりとした成り行きでした。

IT翻訳をしながら文芸翻訳を学ぶ

翻訳学校へ通い、文芸、実務、映像と各分野を学んでみて、本好き、物語好きとしては小説の翻訳がやはり一番楽しいと思うようになりました。もともと文章を書くのは好きでしたが、原文という制約があるなかで、頭に浮かんだ映像を日本語にする作業が無性におもしろかったのです。そこで、前職の知識が多少は役に立ちそうなIT系の実務翻訳の仕事をしながら、文芸翻訳を学び続けました。

翻訳学校のクラスのほかにも、オンラインの勉強会や翻訳者の方の個人的な勉強会にも参加しました。第一線で活躍されている複数の先生がたの教えを受けられたのは幸運だったと思います。先生がたに共通している姿勢が浮かびあがってくる一方で、こだわっている部分はそれぞれ違う。それまで、こうしなくてはいけない、ああしなくてはいけないと自分を縛って苦しくなってしまうこともあったのですが、もっと柔軟でいいのだと思えたことはとても大きく、いまも仕事をする際の核になっています。理想の訳文に近づけるよう、安易な妥協はしないという前提のうえで、いい具合に肩の力が抜けた気がします。

勉強会にはかれこれ十年以上通っていました。期間としては長いほうだと思いますが、ゼミクラスに入れたとか、下訳をやらせてもらったとか、コンテストに入賞したとか、リーディングの仕事を受けたとか、年ごとに達成したことを思い返して、少しずつでも前に進んでいることをひとり確認していました。まず目標を立てて努力するのが王道なのでしょうが、振り返り型で自分を励ましていたわけです。つい最近、この方法が自己肯定感を高めるのにいいという文章を偶然目にして、こんなゆるいやり方でもあながち間違いではなかったのだと驚いているところです。

コンテストきっかけで文芸翻訳デビュー

とあるコンテストで入賞して短篇を訳したのが文芸でのはじめての仕事でした。そのあとかなりたってから、また別のコンテストで訳者として採用していただき、ロマンス小説を訳すようになりました。一般の文芸作品を訳す機会に恵まれたのは、先生の紹介で下訳の仕事をしたときの編集者さんから声をかけていただいたのがきっかけです。縁があって自分のもとへやってきた作品一つひとつにとにかく全力で取り組んで、いまに至っています。

翻訳にはどんな経験も役に立つと言われますが、システムエンジニア時代に正確さやダブルチェックの大切さを叩きこまれたこと、実務翻訳でさまざまな翻訳ツールに触れたことは、貴重な財産になっています。訳語や漢字の閉じ開きを統一したり、自分がやりがちなタイプミスをまとめて検索したりするのに、正規表現を簡単にでも使えると労力をかなり減らせますし、目が疲れにくいように各ソフトの背景色やフォントを設定してみるのもミスを防ぐのに有効だと思います。パソコンに詳しい方からすれば笑われそうなレベルではありますが、そういう工夫に抵抗がないだけでも助けになっていますし、趣味も含めて何が役に立つかわからない翻訳の世界は本当に奥深いなと思います。

これからやりたいこと、目標はいろいろありますが、気負わずに、振り返ったときには前に進んでいられるよう、一日一日を大切にしていきたいと思います。

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2024年夏号より転載

岩瀬徳子
岩瀬徳子Noriko Iwase

翻訳者。主な訳書に『となりのブラックガール』ザキヤ・ダリラ・ハリス、『ピュリティ』ジョナサン・フランゼン、『アイリーンはもういない』オテッサ・モシュフェグ(以上早川書房)、『マーメイド・オブ・ブラックコンチ』モニーク・ロフェイ(左右社)など。