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2025.04.21 UP

翻訳家 白石 朗さんインタビュー
~スティーヴン・キング作家デビュー50周年に寄せて~

翻訳家 白石 朗さんインタビュー<br>~スティーヴン・キング作家デビュー50周年に寄せて~
※『通訳翻訳ジャーナル』2024年AUTUMN掲載の内容を一部再編集しています(インタビューは2024年7月実施)。

翻訳の際に意識する「ベクトル感覚」とは?

「読者を飽きさせまいとする強い意思」

キングの作品を翻訳する際は、常に「ベクトル感覚」を大事にする。これはSF作家・平井和正氏が残した言葉で、読者を最終ページに向けて疾走させる力の方向のこと。白石さんがキングの文章から感じる「読者を飽きさせまいとする強い意思」は、この「ベクトル感覚」にピタリと重なる。

「ある章を『あんな大災厄が待っていようとは、このときジョンは知る由もなかった』という文章で締めくくっているのであれば、『ここで読者を食いつかせたい』という意図を汲んで、ちょっと大げさな日本語にするぐらいの演出は許されると思うんです。読者にページをめくらせようと作者が工夫しているのだったら、日本語でもそうなるように全力で頑張らないと。その結果、仮に電車で読んでいた人に『危うく乗り過ごすところだった』と言われたら、翻訳者冥利に尽きますよね」

かつては完全な夜型だったが、現在ではすっかり昼型になった。朝8時に起床し、食事を済ませたら翻訳作業を開始。途中、健康のための散歩を挟み、遅くとも午後7時半までには仕事を切り上げる。休みは特に決めず、特別な用事がなければ日曜も仕事する。今回の50周年記念刊行にあたっても、1作品を半年で仕上げるペースを淡々と維持した。

「翻訳者としては憑依型なので、いったん中断してしまうと勢いを取り戻すのに時間がかかるんです。だから、なるべく同じペースで仕事をしたい。作業用のファイルを常に開きっぱなしにしておくのも、気持ちが途切れないようにするためです」

どれだけキングの作品を訳そうと「慣れる」ということはない。キングであれ、グリシャムであれ、どんな作家であれ、新しい作品に取りかかるときは「エンジンをかけ直す感覚」があるのだという。

「逆に言えば、だからこれだけ長く翻訳をやっていても、マンネリに陥ることがないのだと思います」

翻訳書の「多様性」が新たな読者を育む

キングの作品を訳し始めた90年代半ばと比べて、出版翻訳界は大きく変わった。翻訳書の刊行点数が減り、1冊あたりの部数が減り、翻訳書の新刊を置く書店が減ってしまったことが、なんとも寂しい。

「翻訳書が読者の目に触れる機会が減ってしまいました。一方で、海外から原書を取り寄せたり、海外の情報を集めたりするのは格段に楽になっているわけですよね。そういうことを考えると、この残念な状況は、出版翻訳に関わる僕たちの努力が足りず、タコツボ化してしまった結果なのかなと」

だが、決して悲観一色というわけではない。刊行点数が減ったとはいえ、大御所キングはまったくの衰え知らず。後に続くダン・ブラウンやジェフリー・ディーヴァーという2人のベストセラー作家も「若い世代に読まれていると聞いています」。また非英語圏に目を向ければ、中国発のSF大作『三体』シリーズ(早川書房)や韓流文学など、アジア圏の作品が続々と翻訳されている。「多様性が広がっていけば新しい読者も生まれるだろうし、いろんなものが読めるのは一読者としてうれしい」と期待を寄せる。

「一昨年ぐらいから〈新感覚ホラー〉とでも呼べそうな作品が各国から出ていて、『生贄の門』(宮﨑真紀訳、新潮社)の著者マネル・ロウレイロは〈スペインのスティーヴン・キング〉、『ブラッド・クルーズ』(北綾子訳、早川書房)のマッツ・ストランベリは〈スウェーデンのスティーヴン・キング〉と言われています。こういった「御当地キング」の本をどんどん出してほしいし、こちらがキングの新刊を出すときには〈本家〉と謳って、お互いに盛り上げていければいいですよね」

キングを含むエンタメ作品の翻訳について、「著者の〝フリ〞をして読者を笑わせたり、怖がらせたり、泣かせたりできるところが醍醐味」だと語る白石さん。『キャリー』の永井淳氏、『シャイニング』の深町眞理子氏、『IT』の小尾芙佐氏、『デッド・ゾーン』の吉野美恵子氏、『ミザリー』の矢野浩三郎氏、『不眠症』の芝山幹郎氏ら、偉大な先人たちからバトンを受け継いだ一人として、これからも巨匠の翻訳を手がけていく。「50周年」はあくまで通過点だ。

『ビリー・サマーズ』(上・下)
(文芸春秋/2024年4月6日発売)
出版社Webサイト Amazon

『ビリー・サマーズ』(上・下)

[訳者・白石朗さんが語る]
海兵隊上がりの凄腕の殺し屋ビリーが「最後の仕事」を請ける物語。ビリーは切れ者で読書家だけれど、身の安全のため、雇い主のまえでは愚鈍なフリをしています。そんなビリーが、暗殺の決行までに時間があるため、田舎町に逗留し、住民に怪しまれないよう作家として潜伏生活を送ることに。作家のフリをするために「小説」を書き始め、それが次第に重要性を増していくところに、キングの巧さが光ります。
そして後半では予想外の方向に物語が進み、心揺さぶられるラストへ。キングが「小説の力」というものをここまで信じているのかと、胸が熱くなることうけ合いです。

翻訳者をめざす人へ―白石さんからのMessage

読めるうちにたくさん本を読もう

文芸翻訳をめざすのであれば、翻訳書に限らず本をたくさん読み、いろんな文章に触れてほしいですね。「読ませる文章」、エンタメであれば「人に受ける文章」がどういうものかをつかんでほしいと思います。適性としては、「人におもしろさを伝えたがる人」かつ「そのおもしろさを損なわずに伝えられる人」が向いているでしょう。
いまは本の値段も高いですから、とくに若い人たちは図書館でも古書店でも無料レンタルでも、使えるものは何でも利用して、読めるうちに多読してください。そして作家でもジャンルでも好きなものが見つかったら、しつこく読む。そうすることで、翻訳に必要な素地みたいなものが培われていくと思います。
僕ぐらいの年齢になってくると、もはや新しい作家や作品にまで目が届きません。文芸翻訳をやりたい、エンタメを訳したいという若い世代の方には、未紹介のおもしろい作品をどんどん発掘してほしいと思います。そういうものが翻訳されることを、一読者として楽しみにしています。

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2024年AUTUMN掲載の内容を一部再編集。取材/金田修宏

白石 朗さん
白石 朗さんRou Shiraishi

1959年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。英米文学翻訳家。主な訳書に、スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』『異能機関』『アウトサイダー』『任務の終わり』『11/ 22/ 63 』『ファインダーズ・キーパーズ』『ミスター・メルセデス』『ドクター・スリープ』『悪霊の島』『アンダー・ザ・ドーム』(文藝春秋)、ジョー・ヒル『ファイアマン』(小学館)、ジョン・グリシャム『ペリカン文書』『冤罪法廷』(新潮社)、バリー・ランセット『トーキョー・キル』(ホーム社)など。