• 翻訳

2023.05.15 UP

戸田奈津子さん Special Interview

戸田奈津子さん Special Interview
※『通訳者・翻訳者になる本2024』より転載。こちらのインタビューは2022年11月に実施しました。

映画の邪魔にならない
字幕を作る

40代や50代の頃より本数は減ったが、今もシリーズものや米アカデミー賞受賞作など話題作の字幕を手がける。1本にかける時間は約1週間と、数十年間ほぼ変わらない。スクリプトと音声を手がかりに台詞を作り、最後に映像と合わせる。はやりの字幕制作ソフトは使わない。

1969年の字幕翻訳デビューから半世紀以上が過ぎたが、変わらず信条としているのは、映画の邪魔にならない字幕を作ることだ。監督や製作者は、作品に字幕が入ることなど想定して映画を作ってはいない。ゆえに、字幕はもともと「必要悪」の存在。だからこそ、短い時間で読みきれて、画を見ながらでもすっと入ってくる字幕が必要なのだ。

「どんなに名訳でも、観客が読みきれなかったら意味がないですよね。観客に考えさせてしまう字幕も落第。映画の邪魔にならない字幕とは、そういう意味です。原語がわかることは翻訳の大前提ですが、いい字幕を作るには日本語力が8割だと思っています」

言葉は生き物で、日々変わっていくが、台詞を無理に今の時代に引き寄せることはしない。言葉は作品が決めるもの。翻訳者はただ、作品の声に耳を傾けていればいいという。

「イギリスの貴族、アメリカのギャング、現代の渋谷の若者など、映画のキャラクターにはそれぞれに〝らしい言葉〟があります。映画を観ると、作品のほうから『こういう言葉を使って』と私たちにアプローチしてきますから、こちらはそのメッセージを捉えてふさわしい言葉を使うだけのこと。それが映画なんです」

「ふさわしい言葉」を自分の中に蓄積するため、日本文学を読んで格調高い表現にふれ、電車で女子高生と乗り合わせれば、聞き耳を立てて若者言葉を収集する。アンテナにかかったものはすべてインプットして、いつ使うかわからない台詞の引き出しにしまっておくのだ。

「周りで話している人がいればもちろん聞き耳を立てますし(笑)、メモも取ります。でも、それを使うか使わないかはまったく別問題。言葉を扱う仕事をしている人にとって、勉強とはそういうものでしょう」

「配信などでエンターテインメントの楽しみ方が変わっても、翻訳者はひたすらに人間が紡ぐドラマを翻訳するだけ」と語る。

後輩たちへ――
名作を観ること、日本語を磨くこと

映画が好きで、「もっと多くの人に洋画を楽しんでほしい」という気持ちから始めた仕事だ。1500本以上の字幕作品を送り出した今も、変わらぬ熱量で映画を愛し続けている。

世界同時公開という興行事情やテクノロジーの発展により、翻訳者の作業環境は著しく変化した。配信形態の映画やドラマなどのコンテンツも増えた。戸田さん自身は映画館という人々が集う場所が好きだが、現代人のライフスタイルの変化により、エンターテインメントの楽しみ方が多様になるのは自然なことと受け止める。字幕翻訳者としては、これまでと変わらぬスタイルで人間が紡ぐドラマを翻訳するだけだ。

「映画を楽しむこと自体は変わらないわけだから、私たちは映画の力を受け止めて、台詞の表面ではなく、キャラクターの感情を訳すだけです。つまり、訳者は役者と同じ。役者は自分と違う人間になりきってそのキャラクターの感情を表現するし、字幕はそれと同じことを言葉でやっているんです」

子どもの頃は海外文学が好きで、イマジネーションを働かせて日常を飛び出し、見知らぬ世界を旅したものだ。映画を観るようになってからは、映画の中でさまざまな人生を生きた。「本の延長線にあるのが映画でしょ。そう考えると、私はずっと一本の線を歩いてきているんです」。

ビデオやDVDがない頃、どんなに昔の名作を観たくても、過去に埋もれていて観ることは叶わなかった。だが今は、配信でいつでも『市民ケーン』が観られる恵まれた時代だ。映画に関わる仕事がしたい人は、とにかく名作を観ることだと戸田さんは言う。そして、字幕翻訳者をめざす人には、日本語を磨くことの大切さを説く。

「人の気持ちを訳すのって、感性の部分だから、教えることが難しい。結局自分でいい本を読んで、日本語の文章にふれて、語彙や表現を増やすしかないのだと思います。あとはやはり、映画をたくさん観ることですね」

23年夏には、「ミッション:インポッシブル」シリーズの7作目「デッドレコニング PART ONE」が全国公開される予定。同シリーズで過去6作すべての字幕を手がけている戸田さんとトム・クルーズの絆は、これからも続くだろう。

 


映画字幕翻訳者
戸田奈津子さん

とだ・なつこ/1936 年生まれ。津田塾大学英文科卒。生命保険会社勤務を経て、フリーで翻訳・通訳などに従事し、1980年『地獄の黙示録』で本格的に字幕翻訳者デビュー。字幕作品に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『シンドラーのリスト』『パイレーツ・オブ・カリビアン』「007」シリーズなど多数。著書に『字幕の中に人生』(白水社)、『KEEP ON DREAMING』(共著、双葉社)などがある。

※ 『通訳者・翻訳者になる本2024』より転載  取材/岡崎智子 撮影/合田昌史