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2023.05.26 UP

第16回 外国語とは何かについての誤解を解く
「言語」は「経験」である

第16回 外国語とは何かについての誤解を解く<br>「言語」は「経験」である

英語のみならず、独語、仏語、西語、伊語、中国語を独学で身につけ、多言語での読書を楽しんでいるという作家・翻訳家の宮崎伸治さんに、多言語学習の魅力を余すところなく語っていただきます!

言語の成り立ちに対する大きな誤解

誤解が解ければ、学習意欲が湧く可能性が高まる

今までさまざまな観点から外国語についてお話ししてきました。しかし、そもそも外国語とはいったい何でしょうか。(え? いまさら?)と思われる人もおられるかもしれませんが、じつは外国語とは何かについて誤解している人が少なくないようですので、今回はその誤解を解きたいと思います。というのも、その誤解が解ければ、「そうだったのか! それなら今まで習っていなかった外国語を学んでみよう」という意欲が湧いてくる可能性が高まると思うからです。

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さて、では質問です。あなたは外国語とは何だと思いますか。

(そんなの決まっているじゃないか、外国人が話す言葉のことだよ)

そんな答えが返ってきそうです。もちろんそれはそれで“ほぼ正しい”のですが、それは外国語の表面的な一面に過ぎません。その本質に迫ろうというのが今回の主旨なのです。

では、外国語の本質に迫るために次の質問を考えてみてください。日本人はどうやって日本語を話すようになり、中国人はどうやって中国語を、イタリア人はイタリア語を、ドイツ人はドイツ語を… 話すようになったのでしょうか。

(そんなの決まっているじゃないか、世の中に存在している「物」とか「概念」に日本人は日本語を付け、中国人は中国語を付け、イタリア人はイタリア語を、ドイツ人はドイツ語を… 付けたってことじゃないか)

きっとこう答える人が多いことでしょう。しかしそれは大いなる誤解なのです。現代言語学で考えられているところによれば、世の中にもともと存在している「物」とか「概念」に名前を付けて「言語」ができたのではなく、人間が経験(見たり聞いたり味わったり考えたり… )したことを言語化したものが「言語」になったのです。例えば、ある日本人が経験したことを言語化し、それが周りに広がって定着したのが日本語であり、ある中国人が経験したことを言語化し、それが周りに広がって定着したのが中国語なのです(イタリア語、ドイツ語なども同様)。

それがわかる例を1つ挙げてみましょう。図を見て下さい。大昔、ある日本人が飲食物を口にした快感を「おいしい」と言ったのでしょう。それを周りの日本人たちが真似して「おいしい」というようになり、やがてそれが定着し、長年の時を経て正式な日本語になりました。


一方、中国ではある中国人が食べ物を口にしたときの快感を「ハオチー(好吃)」といい、飲み物を口にしたときの快感を「ハオフー(好喝)」といい、それらが広まり定着して正式な中国語となりました。このように中国では「食べ物を口にしたときの快感」と「飲み物を口にしたときの快感」は別物として捉えられているのです。このことから明らかなように、人間の存在とは独立して「飲食物を口にしたときの快感」とか「食べ物を口にしたときの快感」とか「飲み物を口にしたときの快感」というものが世界共通の概念として存在していたというわけではないのです。

「食べ物を口にしたときの快感」と「飲み物を口にしたときの快感」を1つの言葉で表現するのが正しいのか2つの異なる言葉で表現するのが正しいのかについては“正解”などありません。日本語では1つの言葉で表し、中国語では2つの言葉で表しているだけなのです。ちなみに日本語では空気も「おいしい」と形容することがありますが、中国語ではおいしい空気を吸ったときの快感は「チンシン(清新)」と言います。

(でもそれは「目に見えない概念」だけについて言えることではないの? 「物」に関しては世界のだれが見てもはっきりと区別がつくような気がするのだけれど)

そう思う人も多いでしょう。しかしじつはそうでもないのです。例えば、「蝶」と「蛾」を考えてみましょう。日本語ではこの2つの昆虫は別物として捉えられています。英語でも「蝶」はbutterfly、「蛾」はmothと区別していますね。ですから「蝶」と「蛾」は別々の昆虫だと思うのが当然だと思う人は多いことでしょう。

ところがフランス語では「蝶」も「蛾」もどちらもpapillonといい、区別しません。きっとフランス人の目には「蝶」も「蛾」も“同じような昆虫”に映っていて、わざわざ区別する必要性を感じないのでしょう(注:どうしても区別しなければならないときは、「蝶」を「papillon de jour(昼のpapillon)」、「蛾」を「papillon de nuit(夜のpapillon)」と言うようですが)。

「言語」とは人間が経験したことを言語化したもの

こうした例からも明らかなように「言語」とは世界にもともと共通して存在する「物」や「概念」に名前を付けたものではなく、私たち人間が経験したことを言語化したものなのです。ですから当然、「言語」によりカテゴライズ化の仕方も様々ということになります。

この誤解が解ければ、外国語とは外国人が経験したことを言語化したものにすぎず、したがって外国語を学ぶことはすでに知っている「物」や「概念」の新しい名前を知ることではなく、母国語にない「新たなカテゴライズ化(新たな視点)」を知ることであることがわかるでしょう。日本語だけで生活していてはこうした「新たな視点」に触れる機会はまずありませんから、日本的思考の枠の中でしか生きられないことになります。しかし外国語を学習すれば「新たな視点」に触れることができますので、自らの偏見に気づきやすくなるのです。私はそこに大きな魅力を感じているのですが、皆さんはいかがでしょうか。次回はその魅力についてさらに深掘りしてみましょう。

★前回のコラム

作家・翻訳家 宮崎伸治
作家・翻訳家 宮崎伸治Shinji Miyazaki

著書に『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(三五館シンシャ)などがある。ひろゆき氏など多くのコメンテーターに対して翻訳業界の現状を語る番組に出演した際の動画が無料で視聴できる。https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p3575(ABEMA TV)。また「大竹まことのゴールデンラジオ」に出演したときのようすが、次のリンク先のページの「再生」ボタンを押すことで無料で聴くことができる。http://www.joqr.co.jp/blog/main/2021/03/110.html