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2024.10.21 UP

第8回(最終回) 日常生活に広く浸透した誤訳

第8回(最終回) 日常生活に広く浸透した誤訳
※本連載は『通訳翻訳ジャーナル』2015年秋号~2017年夏号掲載のコラムを一部加筆・修正して再掲載しています。

アメリカ文学の研究者である、立教大学文学部 教授の舌津智之先生が、英語圏の小説や映画、曲のタイトルや、多くの人が一度は聞いたことがある名台詞・名フレーズの日本語訳に見られる独創的な「誤訳」に着目して、その魅力を解説します!

言葉と文化の差異から生まれる微妙なスキマの味わい

最終回となる今回は、「翻訳タイトル」という従来のテーマから少々外れるものの、日米間の翻訳に関する雑多な実例を「番外編」として取り上げたい。最初はとある有名なアメリカ人の名言、もうひとつは日米双方の歴史に関わる政治用語、さらにもうひとつはテレビCM のキャッチコピーである。
こうした例が示すとおり、言葉と文化の差異から生まれる微妙なスキマの味わいは、いかなる場所に目を向けても何かしら見出しうるものである。以後、読者の皆さんも自ら「偉大なる誤訳」を見つけ出すことにチャレンジしていただければ幸いである。

「少年よ、大志を抱け」

“Boys, be ambitious.”

何歳までが「少年」!?

1870年代、北海道大学の前身である札幌農学校へやって来たクラーク博士ことウィリアム・スミス・クラークが、その教え子たちに送ったとされる言葉。日本では、ジャニーズのTOKIOがこれにちなんで(なかにし礼の作詞による)「AMBITIOUS JAPAN!」(2003年)を歌い、そのメロディーはJR 東海の新幹線で車内チャイムとして使われることとなった。
我々はboyと聞くと反射的に「少年」と訳したくなるが、農学校に通うのは大学生なのだから、本来なら、「若人(わこうど)よ」とでも訳すべきである。英語のboy は、girlと同様、日本語の「少年/少女」より幅広い年齢層を指し示しうる。しかし、この誤訳は、あまりにも人口に膾炙したため、幸い、小中学生に対して使える人生訓となったわけである。大志は人生の早期から抱くに越したことはない。また、ambitious は直訳すれば「野心的」となり、これは日本語としてあまり良いニュアンスではないのだが、この形容詞を「大志を抱く」という気品ある表現に置き換えたところも名訳と言ってよいだろう。

「赤狩り」

“Red purge”

暴力としての思想弾圧

左翼的思想の持ち主を摘発・弾圧する「赤狩り」とは、主として1950年代、アメリカや日本でも行われた活動である。アメリカでは通常これを「マッカーシズム」(McCarthysim)と呼ぶが、とりわけ日本における共産党員の弾圧は「レッドパージ」と呼ばれる。赤狩りという日本語は必ずしもred purge の翻訳語ではないかもしれないが、これらの表現は互いに呼応するものであり、両言語間のズレはある種の「誤訳」とみなしうる。英語のpurgeは「追放」や「一掃」を意味する抽象概念であり、「狩り」という直接的な言葉が持つ野蛮さや暴力性のイメージはない。そのようなイメージを有するのは、歴史上、しばしばマッカーシズムと比較されるところの「魔女狩り」(witch-hunt)の概念である。
異端分子は力づくでも排除するという、植民地時代以来のアメリカ的な暴力をはっきり呼び覚ますという意味において、「魔女狩り」と連鎖的に響きあう日本語の「赤狩り」は、実に鋭く的確な言葉ではなかろうか。

「お金で買えない価値がある。 買えるものはマスターカードで。」

“There are some things money can’t buy. For everything else there’s MasterCard.”

理想主義 vs. 現実主義

46の言語に訳され、98の国で流れたとされる、アメリカ発のクレジットカードCM(本国での初放送は1997年)である。「プライスレス」というカタカナ言葉が日本語に定着したのも、このCM の効果である。さて、前半の「お金で買えない価値がある」はひとまず良いとして、後半は、直訳すると、「他のものはすべてマスターカードで」となる。あくまで、「他のもの」はどうでもよく、本当の価値は「お金で買えない」のだ、というメッセージが前面に出ている。しかし、和訳版では、「買えない価値」と「買えるもの」が同列に置かれ、まるで、「お金で買えるものも大事ですよ」と言っているように聞こえてしまう。実際、アメリカ版のCMは、日常に即した庶民的買い物を描くパターンが多いのに対し、日本版では、海外旅行など、それなりの富裕層をターゲットにしたシチュエーションをしばしば押し出し、マスターカードで得られるモノや経験じたいの魅力を強調しがちな傾向にある。
……とここでふと我に返ると、このコラムは「偉大なる」誤訳を紹介すべき場であったが、本CMについてはついつい単なる誤訳批判になってしまった。最後に、「理想論を言わず、現実主義に徹したところが偉いかも!?」……と一応フォローのひとことを言い添えておこう。

★前回のコラム

立教大学教授・米文学者 舌津智之
立教大学教授・米文学者 舌津智之Tomoyuki Zettsu

1964年生まれ。東京大学大学院修士課程、米国テキサス大学オースティン校博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ文学、日米大衆文化。主な著書に、『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫、2022年)、『抒情するアメリカ―モダニズム文学の明滅』(研究社、2009年)、共訳書に『しみじみ読むアメリカ文学』(松柏社、2007年)など。