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2024.10.17 UP

第7回 洋画の中の名台詞

第7回 洋画の中の名台詞
※本連載は『通訳翻訳ジャーナル』2015年秋号~2017年夏号掲載のコラムを一部加筆・修正して再掲載しています。

アメリカ文学の研究者である、立教大学文学部 教授の舌津智之先生が、英語圏の小説や映画、曲のタイトルや、多くの人が一度は聞いたことがある名台詞・名フレーズの日本語訳に見られる独創的な「誤訳」に着目して、その魅力を解説します!

誤訳が照らし出す女性の強さ

本連載ではこれまで、アメリカの大衆文化作品に付されたタイトルの「偉大なる誤訳」に注目してきたが、今回は少々趣向を変えて、洋画の中の名台詞にスポットを当ててみたい。
以下に取り上げる3つの台詞は、いずれもとりわけ日本では知名度が高く、石原裕次郎が主演する映画の題名になったり(『明日は明日の風が吹く』)、東野圭吾が小説の表題に使ったり(『君の瞳に乾杯』)、テレビドラマのタイトルとして再利用されたり(『愛とは決して後悔しないこと』)しているものばかりである。これらに共通しているのは、フェミニズムとは言わないまでも、女性の強さや主体性を打ち出す視点なのではあるまいか。女性蔑視のトランプ大統領に抗議するデモが世界中へと広がっていく時代であればこそ、名誤訳と男女観との関係に思いを馳せてみよう。

「明日は明日の風が吹く」

“Tomorrow is another day”(1939年)

日本の「風」に託された希望と自立

原文にはない「風」のイメージを強調し、『風と共に去りぬ』のタイトルと響きあうよう工夫された和訳。映画を締めくくるスカーレット・オハラの台詞だが、近年は、この訳だと何だか投げやり感が漂うからと、「明日は別の日」「明日という日がある」といった直訳的かつ前向きな表現が好まれているようだ。
いささか直感的な物言いになるが、英語の「風」は、ボブ・ディランの「風に吹かれて」に象徴されるように、不確かなもの、何かを消し去るもの、というニュアンスが強いのに対し、日本の「風」は、かつての和歌から堀辰雄/松田聖子/宮崎駿の『風立ちぬ』に至るまで、時として哀感に彩られつつも、英語圏のそれより抒情と希望の色を帯びているのではないか。
映画の中で南北戦争の敗北から立ち上がって自立する女性像に自国の戦後復興を重ね見た日本人は、今なお「明日の風」に特別な思いを持っており、とりわけJポップのタイトル(LINDBERG やTOKIO の楽曲)や歌詞(AKB48 の「恋するフォーチュンクッキー」など)には、かなりの頻度で「明日は明日の風が吹く」という和製名台詞が使われている。

「君の瞳に乾杯」

“Here’s looking at you, kid”(1942年)

見つめ合う恋、交わる視線

言わずと知れた『カサブランカ』の名台詞である。直訳は「君を見ていられることに乾杯」であり、自分の瞳の話をしているはずのところ、この訳ではいつの間にか相手の瞳の話になっている。実は、ハリウッド映画のジェンダー批評において、「見る」か「見られる」かの違いは大問題となる。フェミニストによれば、多くの場合、欲望する男(と一体化したカメラ)は女に視線を注ぎ、女は受け身に視線を注がれて、その結果、欲望の対象として「モノ」化されてしまうからである。その点、「君の瞳に乾杯」における女性の瞳は、見つめられる対象であると同時に、それが瞳である以上は見る主体でもあり、実際、作品中でこの台詞が(都合4回)発せられるとき、二人の男女は常に見つめ合っている。男女平等なのである。
ちなみに、ディスコ・ソングとしてカバーされた名曲の邦題である「君の瞳に恋してる」も、「君から目を離せない(Can’t Take My Eyes off You)」という原題における自分の瞳を相手の瞳へと移し変えている。

「愛とは決して後悔しないこと」

“Love means never having to say you’re sorry”(1970年)

愛する決意と女性の解放

映画の邦題も名誤訳といえる『ある愛の詩』(原題はLove Story)の中で、薄幸のヒロインが口にする名台詞。まず、和訳版は、原文にある never having to…(決して〜する必要がない)の部分を訳出していない。文脈的には、ヒロインの恋人が、結婚に反対する父親の問題をめぐって“I’m sorry”と言ったあとに来る台詞なので、正しくは「愛があるなら何も謝ったりしなくて良い」というニュアンスになる。もしそれを「愛とは決して後悔しないこと」と訳したら、いくぶん大袈裟に過ぎ、会話の流れからは浮いてしまう。
しかし、日本版の映画ポスターにも使われたこの一文は、格言風の決め台詞として、元の文脈からは切り離されてひとり歩きを始めたのである。若くして悲劇的な最期を迎えることになる女性の口から発せられる言葉であるだけに、「短い命でも、思い通り生きた人生に悔いはない」という、きっぱりした決意が伝わってくる。父権に屈しない女性が自分の生き方を自分で決める、女性解放/ウーマンリブの70年代にふさわしい名誤訳の台詞である。

★前回のコラム

立教大学教授・米文学者 舌津智之
立教大学教授・米文学者 舌津智之Tomoyuki Zettsu

1964年生まれ。東京大学大学院修士課程、米国テキサス大学オースティン校博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ文学、日米大衆文化。主な著書に、『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫、2022年)、『抒情するアメリカ―モダニズム文学の明滅』(研究社、2009年)、共訳書に『しみじみ読むアメリカ文学』(松柏社、2007年)など。