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2023.10.27 UP

第5回 マリリン・モンロー映画のタイトルからひも解く名誤訳

第5回 マリリン・モンロー映画のタイトルからひも解く名誤訳
※本連載は『通訳翻訳ジャーナル』2015年秋号~2017年夏号掲載のコラムを一部加筆・修正して再掲載しています。

アメリカ文学の研究者である、立教大学文学部 教授の舌津智之先生が、英語圏の小説や映画、曲のタイトルや、多くの人が一度は聞いたことがある名台詞・名フレーズの日本語訳に見られる独創的な「誤訳」に着目して、その魅力を解説します!

マリリン・モンロー映画は名誤訳の宝庫

連載初回に続き、再びアメリカ映画のタイトルを紹介したい。

取り上げるのは、1950年代に封切られた3作品。GHQによる占領期が終結した1952年以降もしばらく、国内における映画の興行収入は、『ひめゆりの塔』や『君の名は』など、戦争の記憶を刻印した邦画がトップを守っていたが、やがて高度成長期が訪れ、追いつき追い越すべき(銀幕の中の)アメリカがあまねく日本人を魅了するようになる。洋画が最も輝いていたそんな時代に、いかなる名誤訳タイトルが考案されたのか。
 

『地上(ここ)より永遠(とわ)に』

From Here to Eternity(1953年)

「に」と「へ」の一文字で変わる意味

この映画はたぶん、ストーリーの中身より、「波打ち際で抱き合いキスを交わす男女」のシーンで有名な作品である。それは、日本人にとって、憧れとしての「進んだアメリカ」の象徴でもあっただろう。大瀧詠一が「浜辺の濡れた砂の上で抱き合う幻を笑え」と歌った「恋するカレン」(作詞・松本隆)の曲名は、このシーンでバート・ランカスターと抱き合うデボラ・カーが演じた人妻カレンへのオマージュではあるまいか?

さて、「地上」を「ここ」、「永遠」を「とわ」と読ませる本作の邦題は、一見きれいな直訳に見える。けれども、原題を正しく訳すなら、「この世からあの世まで」の意味になる。英語の here に対置される eternity とは、「現世」に対する「来世」の意味であり、もしそれを「永遠」と言い換えるなら、to eternity は「永遠へ」と助詞を「へ」にすべきだろう。「永遠に」(=いつまでも)なら、英語は until eternity となるはずだ。つまり、この誤訳は、原題ににじむ宗教的な死生観よりも、永遠に色褪せない恋、というロマンチックなイメージを打ち出したのである。
 

『帰らざる河』

River of No Return(1954年)

河の流れにノスタルジーを感じる

マリリン・モンローと西部劇を同時に楽しめる古典的名画だが、よくよく考えてみると、名詞の「河」と動詞の「帰る」は、日本語のコロケーションとしてどうもしっくり結びつかない。自然な直訳を目指すなら、「戻らざる河」か「引き返せない河」とでもすべきところだろう。しかし、原題における riverreturn の頭韻を、「か」の音の重なりに置き換えた邦題の響きは耳に心地よい。

また、日本語では、「帰らざる」と言うと、「日々」や「昔」など、時間の概念を想起させやすい。1970 年代に青春を過ごした世代であれば、アリスのヒット曲「帰らざる日々」や中村雅俊主演の青春学園ドラマの主題歌「帰らざる日のために」を思い出すだろうか。

つまり、河の流れを時の流れに見立て、不可逆の人生――そして、過去に消えた開拓者たちの時代を振り返るこの映画には、『帰らざる河』という実はちょっとユニークな邦訳タイトルこそがふさわしい。もっとも、本作品が懐古する昔とは、先住民(インディアン)を見かけたら迷わず撃ち殺す白人至上主義者たちが生きた時代にほかならず、お世辞にも今日的な良識を持った人が帰るべき過去とは言えませんので念のため……。
 

『お熱いのがお好き』

Some Like It Hot(1959年)

わらべ歌→ジャズ→お色気ムード

もう一本、モンロー映画から。女性ばかりのジャズ楽団に女装の男たちが紛れ込む、お笑いセクシー系の作品である。まず、「お好き」は、1953年の『紳士は金髪がお好き』Gentlemen Prefer Blondesにそろえた工夫であろう(同じ「お好き」だが、英語の動詞は違う)。

一方、本作の原題は、「熱いエンドウマメ粥」(“Pease Porridge Hot”)という、わらべ歌の歌詞に出てくる一節を引いている。「熱いのが好きな人もいるし、冷たいのが好きな人もいる」という、無邪気な内容である。それを、この映画は、クラシック音楽と対比した「ホット」(=リズムやサウンドが「熱狂的」)なジャズの演奏の意味に掛けている。映画中には、そのような文脈でタイトル・フレーズに言及する台詞がある。が、口語のhot には、「卑猥な」「性的に興奮した」という意味もある。そこで、ただの「熱い」ではなく「お熱い」とすれば、ジャズの連想は失われるが、お色気ムードがにじみ出る。作品中、“I Wanna Be Loved by You” を歌うモンローの姿を一見すれば、誰もこの邦訳に文句はつけられまい。

★前回のコラム

立教大学教授・米文学者 舌津智之
立教大学教授・米文学者 舌津智之Tomoyuki Zettsu

1964年生まれ。東京大学大学院修士課程、米国テキサス大学オースティン校博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ文学、日米大衆文化。主な著書に、『どうにもとまらない歌謡曲―七〇年代のジェンダー』(ちくま文庫、2022年)、『抒情するアメリカ―モダニズム文学の明滅』(研究社、2009年)、共訳書に『しみじみ読むアメリカ文学』(松柏社、2007年)など。