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2024.08.27 UP

個性はおのずと出るもの
作者と読者に誠実に訳す/久野郁子さん

個性はおのずと出るもの<br>作者と読者に誠実に訳す/久野郁子さん

季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーコラムをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。

個性はおのずと出るもの
作者と読者に誠実に訳す

翻訳者としての一歩を踏み出したのは、20年以上前のことだ。

いまはおもに文芸翻訳を手がけているが、入口は実務翻訳だった。当時勤務していた金融機関が別の会社に吸収合併されることが決まり、希望退職者の募集がはじまった。地下鉄サリン事件の現場に遭遇して以来(幸い自分は喉の違和感程度ですんだが)、満員電車での通勤がつらくなっていたこともあり、思いきって手を挙げた。そして自宅でできる仕事として頭に浮かんだのが、翻訳だった。

翻訳スクールで
経験を生かした金融を学ぶ

まずは前職でなじみのある分野に絞り、翻訳学校の経済・金融コースを受講した。久しぶりに通う学校は新鮮で、終了後の飲み会も楽しかった。そのときの先生に声をかけていただいてはじめた通信講座の添削の仕事は、20年以上経ったいまでも続けている。

勉強と並行し、実際の仕事も少しずつはじめた。元同僚から頼まれて金融関連のレポートを訳したのが、最初の仕事だったと記憶している。それから『ジャパン・タイムズ』紙に載っていた求人に応募し、IR専門のコンサルタント会社に翻訳者として登録された。経験が少ないのに、よく採用してもらえたものだと思う。このときも仕事をするたび、社長から直接、丁寧なフィードバックが送られてきた。翻訳料をいただきながら勉強もさせてもらえるという、いま考えると信じられないような好環境だった。また、前職のつてで、米系の資産運用会社からアナリスト・レポートの翻訳の仕事も定期的に受けるようになった。実務翻訳者時代の自分は、ほんとうに恵まれていたと思う。

やがて昔から興味のあった出版翻訳の勉強をしてみたくなり、また翻訳学校の文芸翻訳講座に通うことにした。通いはじめてまもなく、講師の紹介でリーディングしたロマンス小説が日本で出版されることになり、いきなり翻訳をまかされた。それとほぼ同時期、アメリア主催のコンテストで優勝し、経営に関するビジネス書の翻訳も手がけた。

文芸翻訳者デビュー後も
プロの指導を受け続ける

こう書くと順風満帆のキャリアのように思われるかもしれないが、まったくそんなことはない。当時わたしは長期の講座に通いながら、興味のある講座もいくつか単発で受けていたのだが、講師からばっさり斬られることが何度かあった。「こういう訳文は個人的に嫌いですね。文学というものをはき違えている」とは、ある大御所の先生からいただいたおことば。また、「あなたの文章はそつがないけど華もない」と、別の先生から言われたこともある。翻訳者は黒子に徹するべきだというけれど、原文が同じでも翻訳者によって訳文はがらりと変わる。黒子ならば大きく変わるのはおかしいのではないか。個性とはいったいなんだろう? ありがたいことに、ロマンス小説の仕事は順調に入ってきていたが、わたしは袋小路にはいりこんだ気分だった。そんな時期が何年も続いた。

もう一度、基礎から勉強しなおそう───。そう覚悟を決め、越前敏弥先生の講座の門をたたいた。そして徹底的にたたきなおされた(まだなおっていないかもしれない)。そこでわかったことは、「個性は出そうとして出すものではなく、おのずとにじみでるもの」。黒子に徹するというのは、作者と読者に対して誠実であろうとすることだ。使い古された言いまわしだが、まさに目からうろこが落ちた。

その後、大病を患った時期もあり、それほど順調にキャリアを積んでいるとは言いがたい状況ではあるものの、何くれとなく気にかけてくださる越前先生や仲間たちに励まされ、翻訳と向き合っている。これからも細く長く続けていけたら、自分の人生もなかなか悪くないな、などと還暦を目前にして思ったりしている。

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2024年秋号より転載

久野郁子
久野郁子Ikuko Kuno

翻訳者。1965年生まれ。おもな訳書に『大統領失踪』(共訳。ビル・クリントン&ジェイムズ・パタースン著/早川書房)、『この夜が明けるまでは』(トレイシー・アン・ウォレン著/二見書房)、『ブラッドシュガー』(サッシャ・ロスチャイルド著/ KADOKAWA)など。