季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーコラムをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。
産業翻訳からスタート
SNSで積極的に発信
アメリカの大学を卒業後、日本で就職して9年が経った頃だった。せっかく留学したのに英語の使い方を忘れてしまうと、30歳を過ぎてから週2回、夜間と土日に翻訳者・通訳者養成学校に通い始めた。1999年10月のことである。
そのうちに本格的に勉強したいという気持ちがどんどん強くなり、数カ月後には退職してスクール一本の生活を始め、必死に勉強した。ビジネス通訳やビジネス翻訳のほか、出版翻訳のクラスも含め、1年半で計9クラス受講した。修了後、スクール系列のエージェントから紹介してもらったのが、翻訳の初仕事である。
その後、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災と社会が大きく揺れ動いたが、なんとか乗り切った。この間に息子が10歳になったのをきっかけに仕事のやり方を見直し、同業者と交流してみようと考えた。
ここが転機となった。スクールに通学し始めた当初から『通訳翻訳ジャーナル』は購読していた。指南書や辞書なども買い求めては情報を得ており、なかでも参考にしていたのが、翻訳者の井口耕二さんの著書『実務翻訳を仕事にする』だった。
震災を機にSNSを始めてみたら、業界誌を通して知っていた人たちの声が、日々直接入ってくるようになった。特に、スクールで受講していた出版翻訳というものがすぐそばにあった。隣の芝生のなんと青いことか!
当時は経済面が優先だったので、出版は無理だろうとなんとなく思っていた。だが、産業翻訳と出版翻訳の両方を手がけ、どちらも第一線で活躍している先輩が周りに何人もいることがわかった。
「出版、夢だよな」とつい口に出したら「やってみれば?」と背中を押してくれる人がいた。行動しようと決心し、出版翻訳のクラスや、仲間内で切磋琢磨する勉強会に通うようになった。
出版翻訳へのチャンスをつかむ
思い返すと、あのころは未熟ながらバイタリティに溢れていた。出版のことは右も左もわからないながら、だめで元々と割り切り、できる限り、思いつく限り行動に移した。
たとえば、紹介で知り合った編集者の方に、鉄道分野の翻訳をしていると伝えた。すると、ちょうど鉄道の図鑑をやっているからゲラ読みをしませんかと話がきた。2014年のことである。初の出版仕事であった。
その後に『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』の話をいただいた。共訳ではあったが、これが初の訳書となった。同書の刊行が2015年6月で、意気揚々とあちこちに献本した。すると、ある編集者が「図鑑ができるなら」と別の編集者に紹介してくれて、『科学大図鑑』の翻訳協力が決まった。3年後のことだった。奥付にも出版社のサイトにも「翻訳協力 矢能千秋」と名前を入れてもらって感激し、またもやあちこちで宣伝して歩くこととなった。
ハチの図鑑、科学図鑑と続き、理科系統の風が吹いていたのだろうか。翌2019年に別の出版社から『きみがまだ知らない恐竜』シリーズの話をもらった。ツイッターで息子に関する呟きが多かったので、男の子の母親なら児童書向きかも、と声をかけてもらえたのかもしれない。
こうして、初の単独訳書は児童書に決まり、翌年、「恐竜」シリーズが3冊刊行された。
その後にコロナ禍が到来。ステイホームで毎日家にいる家人のために料理をよく作っていた。特にたこ焼き、パン、おやき、ピザなど粉ものの写真をツイッターに投稿していた。
そんなとき『サートフード・ダイエット あなたが持っている「痩せ遺伝子」を刺激する方法』の話をいただいた。料理をするなら本書の翻訳者として適任だと判断してもらえたのかもしれない。単独訳書2冊目はこの経緯で発行された。
そして現在、ジャンルとしてはヤングアダルトの先生が主宰する勉強会に参加して一年が過ぎた。フィクション翻訳の勉強を始めたのが2016年なので、それから8年だ。
今後については、児童書・ヤングアダルトの本を訳せるといいな、と考えている。欲を言えば、謎解きがあるとなおうれしい(笑)。新しい本、そして人との出会いを求めて呟く毎日である。
※ 『通訳翻訳ジャーナル』2023年夏号より転載
翻訳者。主な訳書『ネコ全史 君たちはなぜそんなに愛されるのか』(日経ナショナル ジオグラフィック)、『サートフード・ダイエット あなたが持っている「痩せ遺伝子」を刺激する方法』(光文社)、『きみがまだ知らないティラノサウルス』『きみがまだ知らないトリケラトプス』『きみがまだ知らないステゴサウルス』(早川書房)など。