アメコミ翻訳家の御代しおりさんが、翻訳の工夫や苦労&アメコミ作品の魅力を語り、季刊「通訳翻訳ジャーナル」で人気を博した連載「アメコミ翻訳WONDERLAND」をWebでも公開!
新キャラクターの訳をイチから手がける!
今回取り上げる作品は「グウェンプール」シリーズです。
これまで扱った作品に比べると、キャラクターの知名度がグッと低くなったかと思いますが、それもそのはず、主人公グウェンプールは2015年に誕生した歴史の浅いキャラクターで、邦訳にあたっては一人称から口調まで、まだ業界で若輩といえる私がイチから手がけさせていただきました。とはいえ、国内外で大変人気の高い日本人アーティストのグリヒル先生が主なアート(作画)を務めたこともあり、最近の邦訳コミックスの中ではスマッシュヒットを決めたシリーズでもあります。
何しろ、今までやってきた作品はいずれもすばらしいものではありましたが、ひたすら先人の偉業を引き継ぐ作業でもありました。それが今回はまだ誰の手垢もついていないキャラクターを私色に染めながら翻訳できるのです。無論、キャラクターの個性を無視しての訳は論外ですが、それでもかなりの決定権が私に託されたのは確かであり、出版社からそれだけの信頼をいただいていることや、純粋にコミックファンとしての喜びが怒涛のように押し寄せてきたのを覚えています。
しかしながら、このグウェンプールは一筋縄ではいかぬキャラクターだったのです…。
台詞にマニアックな情報が満載
問題は彼女の設定にありました。グウェンプールは私たち読者と同じ世界の住人で、重度のコミックオタク(ゲームなど他のオタク趣味も一通り嗜んでいる)なのですが、ひょんなことからコミックの世界に紛れ込み、もとの地球には戻れなくなります。
しかし彼女はたくましく、己のコミック知識を生かしてヒーロー活動を行いつつ、コミック世界での生活をエンジョイし始めます。何しろコミックの登場人物や組織・機関のあらゆる情報を知っているわけですから、特別な力がなくてもそれが大きな武器となります。
つまり、この作品を翻訳するには彼女ほどの「重度のオタク」である必要がありました。
例えば、とあるキャラ(モードック)に向けた「ど田舎のあばら家に猿の科学者と引っ込んでたはずよ」という台詞。これは台詞の中身が妙なだけに、そのキャラの設定などを確認する必要がありました。
また新たにできた仲間たちを「こてこてのRPG パーティ(You’re like a classic adventuring party!)」と呼び「タンクはどこよ(Who’s your tank)」と聞くのですが、この「タンク」はRPGゲームの役割分担で敵の攻撃を一手に受ける「殴られ役」のことを示し、決して戦車の意味ではなかったりします。
他にも彼女はさまざまな用語をおもしろがって使っています。例えば登場シーンの「Hello,world」。これはプログラミング言語を学ぶときに最初に作る言葉で、世界一有名なプログラムとも称されますが、邦訳では「ども〜!」という彼女の性格の軽さを体現した挨拶文句に変えました。
グウェンプールというアクの強いキャラクターを表すために、台詞は意訳も多用してポップに仕上げており、今まで手がけたどのキャラクターよりも「話し言葉」らしさに重心を傾けつつ、読み物として違和感のないギリギリを攻める、というのに大変苦労しました。「ふえっ(Whoa!)」「るさいわね(That is messed up)」「イケメン系魔法使い(Hunka,hunka wizard)」にはOK が出て「ひんどい(Terrible)」「バイチャ(Bye)」にはNG がかかるなど、塩梅が難しかったのを覚えています。
しかし、手間のかかる子ほど可愛いのも事実です。彼女と向き合った時間はとても長く、本当に苦労させられましたが、イチから手掛けた我が子ということあり、やりがいや愛着もひとしおでした。
ほかの訳例も紹介!
〇オタクっぽい台詞・言い回し
*カーネイジ(極悪非道の殺人鬼)の台詞
But this has been kind of a side quest for me, I think, I’d rather just bounce and go back to freelancing!
→ここに残ってサブクエストを消化するよか、フリーに戻った方が良くない?
Until the bad guy starts to monologue.
→ほら出た、悪党の独り言
(※悪党が最後にぺらぺら犯行内容を自白する「お決まりのシーン」を揶揄している)
アメコミ翻訳家。青山学院大学文学部歴史学科卒。大学在学中からアルバイトでアメコミの下訳を始め、出版社勤務を経てフリーランスとして独立。2010年に『バットマン:ダークビクトリー vol.1』(ヴィレッジブックス)で共訳デビュー。訳書に「グウェンプール」シリーズ(ヴィレッジブックス)など。