幼少期の海外体験、映画業界での勤務経験、通訳スクールで磨いた通訳力。
芸能通訳者にとって理想的な条件を兼ね備えた今井美穂子さんには、さらにもうひとつ、必要不可欠にして最重要の条件――あふれる映画愛があった。
映画と映画人を愛し、
大好きな世界で
スターの言葉を誠実に伝える
華やかなレッドカーペットの上を歩くセレブリティの言葉をリズミカルに訳し、記者会見では世界に名だたる巨匠の言葉をアカデミックに訳す。場に応じたパフォーマンスが求められるエンタテインメント界にあって、その場の空気を読みながら訳出パターンを自在に使い分ける姿はまさにプロフェッショナルだ。フリーランス歴12年の今井美穂子さんは、映画配給会社での勤務経験と通訳スクール仕込みの通訳力を武器に、映画業界を中心に活躍する、国内でも数少ない芸能通訳者の一人だ。
業界内で映画の知識を培い
スクールで通訳スキルを学ぶ
1歳から10歳までをアメリカで過ごした帰国生である。映画好きの両親に連れられ、幼少期から映画館に通った。自身も無類の映画好きだが、その原体験となったのがアメリカで観た『アマデウス』(1984年)だった。
「子どもの好みに合わせてくれない親で、自分たちが観たいものを観に行くんです(笑)。私はもっぱら両親の後にくっついて行って、同じものを観せられる。そうやって、アメリカにいた頃からたくさんの映画を観て育ちました。『アマデウス』を観たのは9歳ぐらいでしたが、ひとの人生を追体験できるという映画の力をはじめて実感し、とても感動したのを覚えています」
帰国後は日本の学校教育を受け、上智大学外国語学部英語学科に進んだ。就職先に選んだのは映画配給会社。理由はもちろん、映画が好きだったからだ。会社員時代は、バイヤーとして映画を買い付け、得意の英語を生かして海外交渉や法務業務にも携わった。10年間で3社の配給会社に勤め、メジャーからインディペンデント系まで多彩な作品を扱うなかで、映画業界の常識や専門知識を身につけた。
一方で、会社勤めのかたわら、専門的な通訳訓練を受けるために2005年から通訳スクールに通いはじめた。
「映画の宣伝業務に就いていると、フリーの通訳者の仕事を拝見する機会が多くあります。その仕事ぶりを見るうちに、いつかああいう仕事がしてみたいと憧れを抱くようになりました。性格的にも職人気質なところがあり、組織の一員として業務をこなすよりも一つの技術を極めたいと思い、通訳者をめざすことにしました」
2008年、通訳スクールの最上級クラスを修了したのを機に通訳者への転向を決意。専属の会議通訳者という選択肢もあったが、映画への思いは捨てがたく、そのまま映画業界にとどまる道を選んだ。会社を辞め、フリーランスとして独立したのは翌2009年のこと。会社員時代に築いた人脈や先輩通訳者の紹介で、海外の映画人の来日記者会見や映画祭、電話でのインタビューの通訳を受けるようになり、一つひとつの案件に誠実に取り組むことでクライアントを増やしていった。
まだ駆け出しだった2010年には、米アカデミー賞俳優ベニチオ・デル・トロと、『原爆の子』(1952年)、『裸の島』(1960年)など多数の有名作品を手がけ、海外からも高い評価を受ける巨匠、新藤兼人監督の対談を通訳するという大きな案件にも恵まれた。デル・トロの大ファンだったこともあり、依頼を受けて舞い上がったが、新藤監督の通訳を務めることには相当のプレッシャーを感じたという。
「デル・トロの出演作品はすべて観ていたので準備の必要はなかったのですが、問題は新藤監督。当時、日本のクラシックスに関しては不勉強だったので、新藤監督の作品を十数本観たり、著書を読んだりして本番に備えました。ほかの日本の著名な映画監督についても話題に上ると予想し、黒澤明、溝口健二、小津安二郎監督作品も一通り勉強し直した記憶があります。当日は、予習した監督の作品の原題と英題を単語リストにして現場に入りました」
のちに映画専門チャンネルで放映された対談を見たところ、通訳するときの自分の表情が緊張のあまりこわばっていたそうで、落ち着いた状態で訳出できなかったことを反省したとか。
「とはいえ、新人だったにも関わらず大きなチャンスをいただけて本当によかった。今は感謝の気持ちでいっぱいです」
※『通訳者・翻訳者になる本2022』より転載 取材/岡崎智子 撮影/合田昌史(特記以外)
Next→ひと言を適切に訳すために
1歳から10歳まで米ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアで過ごす。上智大学外国語学部英語学科卒。大学卒業後は映画配給会社に入社し、映画の買い付け、海外交渉、法務などの業務に10年間従事。2008年、通訳者養成スクール卒業を機に独立し、以降、映画業界を中心にフリーランス通訳者として活躍している。マーティン・スコセッシ、クリストファー・ノーラン、オリバー・ストーン、新藤兼人、ベニチオ・デル・トロ、サミュエル・L・ジャクソン、キアヌ・リーブスなど、多数の映画監督や俳優の通訳を務める。
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