
放送通訳者としてCNNや民放で活躍する柴原早苗さんは、アメリカ大統領選のニュースや就任演説の通訳も多数担当してきました。
「放送通訳者」の視点からとらえたアメリカ大統領選挙の話題や選挙に関わる英語表現などを紹介します。
みなさん、こんにちは!放送通訳者の柴原早苗です。本コラムが始まったのは2024年8月(https://tsuhon.jp/interpretation/column/president_1/)。
あの頃はバイデン前大統領が選挙戦から撤退を表明したばかり。その後ハリス氏が勢いをつけるも、その後トランプ氏の暗殺未遂事件が2度も発生。いざ投開票が行われるや、第2次トランプ政権の誕生となりました。本当に目まぐるしい半年でしたよね。
けれども、その慌ただしさを上回るような、まさに「波乱万丈」となっているのが、2025年1月のトランプ大統領就任から今(25年2月)に至るまでのわずか1カ月間。そこで第9回の本稿では、就任後の1カ月を改めてとらえてみましょう。主に以下の3つの観点からお話していきます。
1 関税・貿易
2 イーロン・マスク氏、DOGE
3 移民
まずは本論に入る前に、大統領令について少々。
大統領就任直後から、トランプ氏は大量の「大統領令(Executive Order)」に署名しています。ちなみにexecutiveはビジネス用語であれば「執行役員、幹部」です。一方、アメリカ政治でExecutive Office of the United Statesと言った場合、「アメリカ合衆国大統領府」を指します。executive branchも「大統領府」という意味です。大統領を指す単語がpresident以外にもあることを同時通訳では押さえておかないといけないのですよね。
さて、その大統領令ですが、トランプ氏が署名した数は2月18日時点で100本超だそうです。
1月半ばには「パリ協定」から離脱、また、下旬にはWHO(世界保健機関)からの脱退を表明する大統領令に署名しました。いずれも感染症や地球環境など世界への影響が大きい分、多くの有識者が懸念を表明しています。他にも色々な大統領令に関するニュースがCNNでは取り上げられていました。固有名詞が同時通訳中に出てくるたびに、「そう言えばパリ協定って随分前に話題になったっけ」「コロナはまだ数年前のことなのに、すでにはるか昔のように思える」などなど、色々な思いが去来しました。
と言うことで、この1カ月の具体的な振り返りを以下の3つから見ていきます。
(1)関税・貿易
就任直後に出てきたのが関税です。メキシコとカナダに対し25%の関税をかけると大統領は表明しました。1月31日のBBCニュースでは、トランプ氏の発言(“I will be putting the tariff of 25% on Canada, and, separately, 25% on Mexico”)を取り上げています。
(タイムコード0:47あたり)
なお、日本語の「関税をかける」は英語でimpose a tariffと言います。また、imposeの他にplaceも使えます。トランプ氏はここでputを使っているのですが、実はputのような単純な動詞ほど句動詞として別の意味になりやすく、通訳者泣かせでもあります。
ちなみにメキシコと言えば、トランプ大統領はthe Gulf of Mexico(メキシコ湾)をthe Gulf of America(アメリカ湾)に名称変更すると述べ、物議を醸しました。当初はアメリカ版のGoogle Mapだけがthe Gulf of Americaになるとされていたのですが、日本語版のグーグル・マップも「メキシコ湾(アメリカ湾)」とカッコ書きになっています。気になる方はグーグルで検索してみてくださいね。
一方、カナダに関しては「カナダを51番目の州にすべきだ」と大統領は述べています。英語では“Canada should be our 51st state” です。
ところで、日本にとっての貿易問題と言えば、日本製鉄によるUSスチールの買収計画が話題になりましたよね。これも頻繁に英語ニュースで出ていました。通訳する際に気を付けたいのが、固有名詞の正しい読み方。「日本製鉄」は「にっぽんせいてつ」で、US Steelは「ユーエス・スチール」です。活字だけで「日本製鉄」を目にした場合、「にほん?にっぽん?」と迷いますよね。一方、US Steelも「スティール?スチール?」と混同しがち。このような場合に備えて、私はグーグル検索時に「日本製鉄 と読む」のように入力して事前に読み方を把握するようにしています。「と読む」と絞り込むことで正しい読み方がヒットします。
なお、日本製鉄とUSスチールに関しては石破総理とトランプ大統領の会談で一定の方向性が見えてきました。ちなみに2月8日に行われた日米共同記者会見は日本のテレビでもライブ配信されましたが、同時通訳が付いたケースは少なく、その一方で自動通訳機は活用されたようです。なお、石破総理の「仮定の質問にはお答えしかねます、というのが、日本の定番の国会答弁でございます」は海外メディアでも取り上げられました。以下はホワイトハウスが公開している動画です。
(発言はタイムコード37:19あたり)
(2)イーロン・マスク氏、DOGE
この1カ月で何と言っても大きな存在感を見せたのがイーロン・マスク氏です。DOGE(Department of Government Efficiency:政府効率化省)という新たな機関がトランプ政権発足時に設置されました。マスク氏はここを主導していますが、マスク氏は国家公務員でもこの機関の正式責任者でもありません。あくまでも“special government employee”(特別政府職員)である、とホワイトハウスも発表しています。
ちなみにCNNでは、DOGE発足直後は正式名称をフルで読み上げられていました。しかし最近は略称の「ドージ」だけになっています。同時通訳でこのような略称が出てきた場合、ルールとして「初出時に略称と正式名称」を読み上げ、その後は略称で進めます。その都度すべてを言うとなると時間がかかってしまうからなのですね。なお、行政機関には「省」「庁」「機関」「機構」「部」など、色々な日本語があります。うろ覚えの場合、見切り発車で固有名詞を間違えるよりは、ざっくりと訳す方が無難です。便利なのは「当局」ということば。「政府効率化当局」「政府の効率を図る当局」のようにしておけば、誤訳を避けられます。
ところでマスク氏がニュースに出てくるたびについ私が注目してしまうのが、氏の装いです。スーツにネクタイという姿はほとんどありません。2月11日のニュースで映し出されたのはホワイトハウス執務室。ここでマスク氏はキャップをかぶり、トレーナーの上に黒コート姿でした。しかも記者団を前にしながら4歳の息子エックスくんがマスク氏の前を行ったり来たり肩車をしてもらったりしていました。マスク氏の発言内容より、前代未聞とも言える光景に私はくぎ付けになったのでした。
(3)移民
第2期トランプ政権発足直後に大統領が着手したのが移民問題でした。アメリカにはICE(Immigration and Customs Enforcement。アメリカ合衆国移民・関税執行局。読み方は「アイス」)という部署があり、移民法や関税法を執行。テロ防止や人・モノの不法な移動を取り締まっています。トランプ氏は就任直後からメキシコとの国境付近においてICE職員による警備を強化しました。
この取り締まり強化の任務を請け負っているのが、トランプ氏の“border czar”(国境の皇帝)と言われるTom Homan(トム・ホーマン)氏です。2017年から18年にかけてICEの局長代理を務めたことから、白羽の矢が立ちました。氏は反移民強硬派として知られています。
ここに出てくるczarという単語。私自身、20年以上放送通訳業に携わっていますが、ニュースで出てきたのは実に久しぶりでした。「皇帝」は和英辞典を引くとemperor, kingなどとあり。日本語で「皇帝」という単語だけを見た場合、ニュートラルな印象ですよね。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番は日本語で「皇帝」ですし、マイナス40度の極寒の中で絶食して子育てをする「コウテイペンギン(皇帝ペンギン)」など、愛らしいイメージがあります。
しかしここで気を付けたいのがczarという単語の持つニュアンス。「ランダムハウス英和大辞典」をよくよく読んでみると、「皇帝、国王」の語義の次に「(帝政時代の)ロシア皇帝」とあります。さらに読み進めると、「専制君主、独裁指導者」とあるのです。この定義は「リーダーズ英和辞典」でも同様です。一方、「ジーニアス大英和辞典」にはアメリカの略式表現であるとの注意書きを付けた上で、「(暗黒街の)親玉」とさえ書かれています。こうなると、通訳の段階でどこまでニュアンスをとらえて訳すべきか、悩んでしまうのですよね。ただ、同時通訳は時間との闘いです。よって、私は「国境担当責任者」と訳すにとどめています。オリジナルの英語に含まれる意味合いを通訳者も本来であれば汲み取る必要があるのですが、いかんせん、時間の制約というのが大きくなってしまうのです。そのたびに「通訳者が勝手にニュアンスを変えてはいないだろうか?」という思いに駆られているのも事実です。
まとめ
おしまいにもう一つ、トランプ氏の発言によく出てくる助動詞についてひとこと。先ほどご説明した「カナダは51番目の州になるべきだ」をトランプ氏は英語で“Canada should be our 51st state”と述べています。このshouldを始めとする助動詞、実は「話者の確信度・意志の強さ」が単語によって異なります。英語学習者向け「ジーニアス英和辞典」で調べると、以下のような「話し手の確信度」が出ています:
←確信度が弱い 確信度が強い→
could might may can should ought to would will must |
トランプ大統領が“Canada could be”や“Canada might be”などではなく、shouldを使っているのが注目点です。なお、トランプ氏はshouldという語を多用しており、他にもウクライナ紛争についてはウクライナ側に対し、“You should have ended it” “You should have never started”と述べています。
(BBC Newsより。タイムコード1:19あたり)
いかがでしたか?次に注目されているのがトランプ大統領による施政方針演説です。第1次トランプ政権では2017年2月28日、バイデン大統領は就任から3か月後の2021年4月28日におこないました。第2次トランプ政権の施政方針演説は3月4日が予定されています。アメリカは、世界は、どのようになっていくのでしょうか?目が離せません。
大統領選 直近のスケジュール
【2024年 アメリカ大統領選 スケジュール(予定)】
(日付は米国時間)
2024年
6月27日 第1回 大統領候補者テレビ討論会 (CNN)
7月15日~18日 共和党全国大会
8月19日~22日 民主党全国大会
9月10日 第2回 大統領候補者テレビ討論会 (ABC)
10月1日 副大統領候補者討論会(CBS)
11月5日 大統領選投開票
2025年
1月6日 連邦議会の上下両院合同会議で大統領を正式選出
1月20日 次期大統領就任式
3月4日 施政方針演説(予定)
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放送通訳・同時通訳者。獨協大学およびISSインスティテュート講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールドを経て現在はCNNおよび民放局で放送通訳業に携わる。近年では米大統領選、ノーベル賞、エリザベス女王国葬、テニスATPカップ、G7広島サミット記者会見、ノーベル平和賞受賞ユヌス博士、国会議員連盟の通訳などに従事。