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放送通訳者としてCNNや民放で活躍する柴原早苗さんは、アメリカ大統領選のニュースや就任演説の通訳も多数担当してきました。
「放送通訳者」の視点からとらえたアメリカ大統領選挙の話題や選挙に関わる英語表現などを紹介します。
みなさん、こんにちは!放送通訳者の柴原早苗です。半年以上続いた本コラムも今回の第10回が最終回となります。第9回でもお伝えした通り、2024年から25年にかけて本当に色々なことがありました。そして、トランプ大統領就任から2か月を経た今なお、世の中は不透明で先が見えなくなっています。
しかし、現状を嘆いたとて状況が変わるわけではありません。大切なのは「ありのままの真実」を見極める力を養うこと。そのためにもSNSやアルゴリズムで表示されるニュースだけでなく、多様なメディアを比べながら世の中を知る必要があると私は考えます。『サピエンス全史』の著者で歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ教授も、最新刊「NEXUS 情報の人類史」の中でアルゴリズムの脅威を唱えておられます。歴史に学び、未来をとらえること。今、私たちができることを全力で実践する時が来ています。
最終回では以下の3つの観点からお話します。
1 トランプ大統領議会演説概要
2 今回の演説の特徴
3 改めて「放送通訳」とは?
では、早速見ていきましょう。
(1)トランプ大統領議会演説概要
議会演説と一般教書演説の違いとは?
大統領就任式があったのは1月上旬。それからほぼ2カ月後となる3月4日火曜日の現地時間21時過ぎに議会演説が行われました。大統領が連邦議会の上下両院で行う演説としては「一般教書演説(State of the Union Address)」が有名です。ただ、「一般教書演説」はあくまでも就任2年目以降に実施するもの。よって、今回のトランプ大統領の演説は「施政方針演説」となります。現地メディアの多くが‟President Trump’s Speech to a Joint Session of Congress”のように記しています。ホワイトハウスの表記は‟Remarks by President Trump in Joint Address to Congress”です。
当日のスケジュール
今回の施政方針演説の予定開始時間は現地時間21時(日本時間3月5日水曜日11時)でしたが、実際に始まったのは21時を15分ほど過ぎたころ。上記ホワイトハウスのスクリプトには”9:19P.M. EST”と出ています。余談ですが、日本では正午過ぎの時間を「13時」「21時」のように24時間表記にすることが増えていますが、アメリカは今なおA.M.とP.M.での記し方が多いようです。
ちなみに私はこの日にレギュラーの放送通訳シフトがあらかじめ入っていました。一方、演説の数日前に某民放局が同通をつけることを決定。お声がけをいただいたのですが、集合時間は午前10時。私のシフトがギリギリ10時までであったため、今回は残念ながら見送りとなりました。このような具合でフリーランスの場合、スケジュールがバッティングしたとしても「先に依頼があった業務」が最優先になります。後から来た案件がどれだけ魅力的に映ったとしても、この業界は信用に基づく世界。直前キャンセルはご法度です。これは通訳業に限らず、どの仕事においても大事なことですよね。
放送通訳の流れは?
今回リアルタイムで放送通訳をつけていたのはCNNとBBC(いずれもCS放送)、NHKおよびYou Tube上の民放数社。局の中には自動通訳機にかけて字幕翻訳をしていたケースもあります。
このような大ニュースとなりうる演説の場合、通訳は複数名で担当します。たいていは2名体制であり、交代時間は通訳者の間で話し合って決めます。15分ぐらいの長めを好む通訳者もいれば、集中力の観点から5分でということもあります。いずれも当日にスタジオ入りして決定します。どちらが先発担当かもジャンケンで決めることが多いです。
(2)今回の演説の特徴
今回の演説の特徴は主に3つ挙げられます。
とにかく長かった!
バイデン前大統領の就任直後の施政方針演説は、2021年4月28日でした。その時の長さは1時間4分です。一方、トランプ氏の演説は何と1時間40分!歴代大統領では最長となりました。2017年の第一次トランプ政権時の演説は2月28日火曜日で長さは1時間。当時のトランプ氏は70歳、今回は78歳です。氏が驚異的なスタミナの持ち主であることが伺えます。なお、またもや余談ですが、トランプ氏の生年月日は1946年6月14日、中国の習近平国家主席の誕生日は1953年6月15日で、何と1日違いです。
暗記・・・?
今回のトランプ氏演説において、動画サイトや様々な媒体に出ていたコメントで目立ったのが、
「あれだけの長さの演説なのに、手元のメモ用紙や原稿を一切見ていない。スゴイ!」
というものでした。
しかし、アメリカでは要人が重要演説を行う場合、必ず舞台の左右にプロンプターが設置されます。そこに「読み原稿」を投影し、登壇者は左右に目を配りながらスクリーン上に映し出される原稿を読んでいくのです。プロンプターの原稿は、話者と同じスピードで動いていきますので、「左右に目を配りつつ、堂々たる雰囲気で自然に読み上げること」が可能となるのですね。
日本ではプロンプターがまだ主流ではなく、国会演説やさまざまな会見などは依然として手元の原稿を読んでいます。それが定番であるため、日本の視聴者にとっては海外要人が「原稿を丸暗記していて素晴らしい!」と映ってしまうのでしょう。なお、トランプ大統領の場合、即興演説であれば会場の左・右・中央と顔を動かし、両手を広げたり人差し指で指したりという動作が頻繁に出てきます。
たとえば以下はノースカロライナ州で行った2024年11月2日・選挙演説です。
一方、今回の演説でトランプ氏は両手で演台の端を握っており、顔も左右に向けるのがメイン。中央を見ることは殆どありませんでした。
(The White House公式サイトより)
2つの動画を見比べると違いが判ると思います。
名指しされた国々
今回の施政方針演説では、世界の多くの国が「名指し」されることを怖れていました。と言うのも就任早々からトランプ氏はカナダやメキシコに関税をかけると述べていたからです。「次はウチの国?」と多くの政府は身構えていたことでしょう。なお、1時間40分にわたる演説でJapanが出てきたのは何と1度だけ。投資に関する部分でした。このため、演説後の日本メディアの解説では「日本が批判されなかったのは良かった」という論調が目立っています。
一方、EUや中国、メキシコやカナダなどに対しては「関税面で不平等だ」とトランプ氏は批判しました。また、「グリーンランドはアメリカの安全保障面で必要だ」とも述べています。「パナマ運河はアメリカ人によってアメリカ人のために造られたのだ」ともありました。これまで保たれてきた国際秩序に疑問を投げかけたのが、今回の演説の特徴とも言えるでしょう。
改めて「放送通訳」とは?
連載を締めくくるにあたり、改めて「放送通訳」とはどうあるべきか考えてみましょう。以下の3つが挙げられます。
下調べがすべて
放送通訳はリアルタイムの生・同時通訳です。しかも放送電波に乗せるため、「沈黙」が許されません。数秒以上も黙ってしまうと、それは「放送事故扱い」となります。よって、とにかく聞こえてきたら声を発して通訳することが求められます。
無言にならないためにできること。それはやはり会議通訳同様、念入りな下調べです。たとえば上記に出てきたグリーンランド。ここがデンマークの自治領であることをまずはおさえておかねばなりません。パナマ運河がどのような経緯で作られたのか、カナダとの貿易の歴史はどのようなものなのかなど、リサーチすべきことは山とあるのです。そこで助けとなるのが、高校生向け世界史の教科書。私は山川出版社の「詳説世界史」を頼りにしています。数年前には同じフォーマットで英訳版も出ました。私は高校時代に世界史選択でしたが、当時の知識など忘却の彼方。よって、学び直し・学び続けることがこの仕事では大事になってきます。その積み重ねが通訳の仕事では大いに助かるのです。
画面情報も役に立つ
放送通訳の場合、ヘッドホンから聞こえる英語の他に「画面情報」も重要なカギを握ります。たとえば今回の議会演説をよく見てみると、トランプ大統領のネクタイは紫色です。共和党のシンボルカラーが赤ですので、それに近いことがわかります。また、真後ろに控えるヴァンス副大統領のネクタイはワインレッド、お隣のジョンソン下院議長も紫色のネクタイです。一方、民主党のカラーは青ですので、議場内のネクタイや洋服の色を見るだけで、どちらの政党か想像できます。このようなnon-verbalなアイテムも潜在的なメッセージです。
どこまで訳す?なりきる?
通訳業務の際、私自身がいつも意識しているのが「どこまで訳出するか」と「どこまでなりきるか」という課題です。英語のスピードが速い場合、それをすべて訳出すると日本語訳は時間的にはみ出してしまいます。さりとて、超早口の日本語になれば聴き手にとって理解が難しくなるでしょう。よって、うまく取捨選択をしながら訳す必要が出てきます。
その対策として、私は「省エネ通訳」を最近意識しています。たとえば、‟President Trump said …”の場合、同時通訳ではsaidの部分を頭に保持しつつ、「トランプ大統領は~と述べました」と通常であれば訳します。しかし、said以下が長い場合、動詞を維持するのはなかなか大変。よって、私は「トランプ大統領いわく~とのことです」と訳すことがあります。最初に聞こえた動詞をなるべく早く訳してしまう、というわけです。
一方、「どこまでなりきるか」は難しい問題です。と言いますのも、あまりにも感情を通訳者が入れ過ぎるとわざとらしくなるからです。さりとて、大統領が熱弁をふるっているのに同時通訳が淡々とし過ぎれば、熱量が薄まってしまうでしょう。私は話者になりきって訳したいタイプではあるのですが、感情をこめ過ぎないようにも意識しています。要はバランスの問題です。
終わりに
以上10回に渡った本コラム、長きにわたりご愛読いただきありがとうございました!最後にもう一つだけトランプ大統領の演説の特徴を。トランプ氏の話には形容詞がたくさん出てきます。たとえばbeautiful, good, bad, amazing, niceなどなどです。先の全文トランプクリプトで検索してみると、amazingは2回、beautifulは17回も出てきます。ぜひ読者のみなさんも英文スクリプトに目を通し、形容詞を探してみてください。想像以上に見つかるはずです。
第2次トランプ政権は始まったばかりですが、今年も後半になれば中間選挙の話題が出てきます。アメリカ大統領選挙のサイクルは「選挙年=オリンピックの年」であり、「中間選挙の年=サッカーワールドカップ開催年」でもあるのです。折しも2026FIFAワールドカップはカナダ・メキシコ・米国の3か国共同開催。合計16都市16会場で開催予定です。期間は2026年6月11日から7月19日まで。一方、中間選挙は11月3日です。サッカーが開催される頃は中間選挙の運動もたけなわなはず。この選挙で共和党がさらに躍進するか、民主党が挽回するかはこれからの動きにかかっているのですね。
まだまだ目が離せないアメリカの選挙。ぜひこれからもみなさまに注目して頂き、放送通訳者の訳にも関心を払って頂けたら幸いです。
【2024年 アメリカ大統領選 スケジュール】
(日付は米国時間)
2024年
6月27日 第1回 大統領候補者テレビ討論会 (CNN)
7月15日~18日 共和党全国大会
8月19日~22日 民主党全国大会
9月10日 第2回 大統領候補者テレビ討論会 (ABC)
10月1日 副大統領候補者討論会(CBS)
11月5日 大統領選投開票
2025年
1月6日 連邦議会の上下両院合同会議で大統領を正式選出
1月20日 次期大統領就任式
3月4日 施政方針演説

放送通訳・同時通訳者。獨協大学およびISSインスティテュート講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールドを経て現在はCNNおよび民放局で放送通訳業に携わる。近年では米大統領選、ノーベル賞、エリザベス女王国葬、テニスATPカップ、G7広島サミット記者会見、ノーベル平和賞受賞ユヌス博士、国会議員連盟の通訳などに従事。
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