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2024.02.09 UP

第5回 NHK杯の通訳で―個人競技のチームワーク

第5回 NHK杯の通訳で―個人競技のチームワーク

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

通訳は「個人競技」
けれどチームワークが重要な場面も

コロナ下だから経験できた海外大会でのオンライン通訳

コロナ下では、演技後に選手が取材を受けるミックスゾーンも、記者会見も、オンラインかハイブリッドで中継されたので、海外で開催された大会を日本からオンライン通訳することがありました。今シーズン(2023年-2024年)からは通常体制に戻ったため、そのような業務は無くなっています。

私が通常のシーズン中に通訳に入る大会は、基本的には日本で開催される国際大会(今季はジュニアグランプリとNHK杯)だけです。通訳者が海外遠征についていくことはありません。アメリカで開催された四大陸選手権など、コロナ下に海外の大会で表彰台に上がった選手の日英通訳をオンライン(遠隔)でさせていただいたのは、貴重な機会だったなと今になって実感しています。

海外の現地ではボランティアスタッフの通訳者さんがいたり、フィギュアのライターとしての先駆者である、NY在住の田村明子さんがご厚意から通訳してくださったり、帯同しているチームリーダーが通訳をしたりと、色々な方が大会を支えておられます。
田村さんはいつも選手の言葉を大切にしたいからと、ご自身の取材もしなくてはならないのに、選手のために通訳をしてくださいます。というのも、実は過去に何度か、志願したボランティアの方が通訳に入ったものの、記者会見や取材で選手の言葉がうまく伝わらないという出来事があったからです。記者としてスケートファンに良い記事を提供するためにもそこは妥協してはならないと、取材のときも選手ファーストに考えてくださるのです。言葉を生業にする方のそういった姿勢から、私も学ばせていただいています。

コロナ期間中、海外の大会でおもしろかったのは、オンラインでのミックスゾーンの通訳です。逐次通訳をする時間がないので、記者さんに向けてZoomのチャットに同時「翻訳」を入力しました。韓国語や中国語など、他の言語で話された選手の言葉をその国の記者さんが入力してくださることもありました。コロナ下で記者さんたちとも協力でき、早く対面でお会いしたいと思ったものです。

実は選手たちが現地入りして大会が始まってから、急遽、やはりオンラインで通訳をとご相談をいただいたこともありました。フィギュアのシーズンは通訳業界の繁忙期(秋~冬)に重なるのですが、信頼できる仲間に手伝っていただき、深夜や早朝に記者会見やミックスゾーンの通訳をして、そのまま通常の会議通訳の現場入りをすることもありました。
頼れる仲間のおかげで、綱渡り状態で乗り切ったこともありました。どの通訳者も私が尊敬できるパートナーです。

特に長年支えてくださっているのが二宮友佳子さん。彼女の日英の訳出はいつも唸ってしまう職人技です。他のジャンルの通訳でもご一緒するのですが、そのときも、ピシッと伝わる、ネイティブが何もストレスを感じない英訳をされます。

2023年NHK杯 アイスダンス優勝ペアの記者会見で

フィギュアスケートの大会では、英語通訳者は通常2名体制でお仕事に入ります。ミックスゾーンなどでインタビューが同時進行する場合や、その他の業務が発生して分担しなければならないことがあるからです。記者会見では、通訳をしていない側の人は、隣でメモ取や調べ物など、サポートに回ります。

2023年のNHK杯が開催された、大阪の東和薬品RACTABドーム。

2023年11月24日~26日に大阪で開催されたNHK杯で、アイスダンス部門で優勝したのは英国のライラ・フィアーとルイス・ギブソン。2人は今季のフリーダンスで、映画ロッキーをテーマにした型破りなプログラムを見せてくれました。受賞後の記者会見は二宮さんと私のペアで通訳を担当しました。

そのフィアー選手が何度も使う表現で、私が訳に詰まったものがありました。簡単な表現で足元を掬われる典型例です。“over the moon”だったのですが、咄嗟にぴったりくる訳語が出ずに「素敵」とか「素晴らしい」という普通の表現になってしまい、「ああ、不甲斐ない。自分を許せない!」と落ち込んでいました。
そのあと、この大会から入っていただいたもうお1人の通訳の方も一緒に、「あのときの彼女はこういう日本語がいいのでは?」などと3人で一日中アイデア出しをしました。彼女の雰囲気にぴったりな表現にするには、「有頂天になっちゃった!」という感じでしょうか。

もう1つ、個人競技に思える通訳者のチームワーク、長年の阿吽の呼吸が生きた場面もご紹介します。
先述のフィアー選手とギブソン選手の記者会見で、フィアー選手に対して「ボクシングをテーマに踊るということで何か特別なトレーニングをしましたか?」という質問がありました。彼女は “my biceps, maybe?” と答えました。

そのときの通訳担当は私です。メモをとりながら、頭のなかではなぜか「biceps=上“頭”ニ頭筋??」という言葉がぐるぐる大きくなっていました。これは明らかに間違い。
正しいのは何??? と、隣にいる二宮さんに調べてもらいました。「上“腕”二頭筋!」彼女がラップトップ上に検索結果を大きく出して、私に見えるようにそっとおいてくれます。このとき、すでに私は訳し始めていました。そこでbicepsの部分に差し掛かった時にPCを見て、二宮さんとアイコンタクトをして、自信を持って「上腕二頭筋」を出せました。最初のイメージから上頭ニ頭筋と言ってしまう可能性も大でしたが、無事に乗り越えました。

こういったチームワークがうまくいくと快感ですし、パートナーへの感謝でいっぱいになります。そして、簡単な表現のときこそ注意が必要だなと痛感します。というのも、誰も知らないような難しい単語が出てきたら、パートナーは何も言わなくてもすぐ調べ始めるからです。
当日の二宮さんも、なぜ私がbicepsという簡単な単語で苦しんでいるのか、一瞬「???」とハテナマークが出ていたと思います。私がメモに「biceps!」と書いているのを見せたから、すぐ確認してくださったのです。以心伝心でした。

この通訳のときの平井さんのメモ。パートナーの二宮さんに助けを求めた「biceps!」の文字が見える。

先日(2023年12月17日)実施したつーほんウェビナーでは、対談をした翻訳者のないとうふみこさんから、ネイサン・チェン選手の自伝を翻訳するときに、共訳した翻訳者3名と「ここはこの言葉の方がよいのでは?」などと意見を出し合って共同作業をしていらしたと伺い、こういった共同作業は通訳者も翻訳者も共通するところがあるなと思いました。

フィギュアも通訳も
個人競技だが周りに支えられている

フィギュアは個人競技ですが、どの選手も必ずチームへの感謝を口にしています。コーチ、トレーナー、メンタルコーチ、振付師、マネージャー、靴の刃を研いだり、調整してくださる方々、多くの方がサポートしています。チームワークで掴む勝利という認識の選手も多いかと思います。

通訳者もフリーランスで一匹狼、個人の力だけでやっていく世界です。ですが、プロフェッショナルである個人が一人ではなく、チームとして結集し、力を発揮できると素晴らしいお仕事になります。そのときの充実感は格別です。フィギュアのお仕事では私の方が経験や知識があったとしても、違う分野ではパートナーの方が経験も知識もある。お互いが惜しみなくそれを共有し、お互いの強みや弱みを理解しているからこそできるサポートをする。そんなパートナーたちに恵まれてこそ、誰もが実力以上を発揮できるのでしょうね。

私がなるべく心がけているのは、自分が盗める技をいっぱい持っている方と組ませていただくことです。先輩後輩ということではなく、通訳者として、人間として、同じチームで同じお仕事と時間を共有する方からたくさん学び、盗めることが自分の力につながると思います。そして、通訳パートナーだけでなく、必ず、お仕事ひとつひとつ、知識、用語、そしてそれ以外のもっと大事な何かを学べるようにという姿勢を持ち続けることが上達につながるのだと思います。これも多くのトップアスリートに関わって学んだことです。

英訳が難しい表現をCHECK!
今回は最後に、フィギュアの中継や記者会見などでよく出てくるけれど、ついつい日本語につられて直訳しがちな日⇒英の表現を紹介します。
自分ならどう訳すか、ぜひ考えてみてください!

フィギュアスケートの現場でよく使われる表現(日⇒英)

「高い評価」Hold in high regard など
*evaluationはNG!

「ガッツポーズ」fist in the air, hold up your fist
*競技の特性上、なかなか表現が難しい言葉です。
you looked happy/satisfied with your performance at the end ! ぐらいのほうが良いかも?

「体力」stamina
*physical strength はNG

「朝と氷の感覚が違った」The ice felt different from morning practice.

「意地」pride, steadfastness

「気合」determination, will power

「悔しい」deeply regret, feel frustrated (with myself)

★平井美樹さんの連載一覧はこちら

平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。