新刊翻訳書を、訳を手がけた翻訳者の方が紹介! 書籍の読みどころを語っていただきます。
警備員が語る、美術館と芸術作品の持つ力とは
『メトロポリタン美術館と警備員の私――世界中の<美>が集まるこの場所で』
パトリック・ブリングリー 著 山田美明 訳 晶文社
(2024年7月25日発売)
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【訳者が語る】
タイトルだけを見ると、美術関連か警備員のエッセイなのかと思うかもしれないけれど、この本はそれだけではない。一人の青年の成長物語でもある。大好きな兄を失って心に傷を負った主人公が、どこよりも美しく静謐な場所を求めて、メトロポリタン美術館の警備員になる。だが、さまざまな芸術作品に触れ、美術館を訪れる人々やほかの警備員との出会いを重ねるうちに、閉ざされていた心を開き、外の世界へと飛び出していく――。
本書を読んで何よりも心を惹かれるのが、芸術作品に対する主人公の真摯な態度だ。主人公には、美術史に関するある程度の知識がある。それなのに、そういう知識をほとんど介することなく、一切の先入観を捨てて作品に接する。全体を見て、細部を見て、心に浮かんできた感情や考えを探究する。そしてそのなかから、兄の死を克服し、新たな人生へと踏み出すきっかけを見出していく。そこには、芸術をいかに人生に活かすかのヒントがある。
この本を読むと、美術館に行きたくなる。私自身、本書を訳していたころから美術館に通い、一つひとつの作品をじっくり眺めるようになった。芸術の力とは、結局は見る者の心に何かを喚起させる力なのだと思う。そんなことを教えてくれる一冊だ。
※ 通訳翻訳ジャーナル2024年AUTUMNより転載
やまだ・よしあき/英語・フランス語翻訳家。30代後半になってサラリーマン生活の前途に不安を感じ、外国で暮らしたことも留学したこともなく、英語を聞くことも話すこともできないのに翻訳家へと転身。主にノンフィクションの翻訳をしているが、海外のノンフィクションは全般的に視野が広く、どんなジャンルの本を読んでも幅広い知識を得られるところが気に入っている。