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2023.05.29 UP

社会情勢と言葉の変化
―ニュース翻訳の現場から

社会情勢と言葉の変化<br>―ニュース翻訳の現場から
※通訳・翻訳ジャーナル2021年春号「通訳者・翻訳者が知っておきたいことばの新常識」より転載

宗教と言葉

■キリスト教徒以外への配慮
英語圏では、クリスマスは1年の中でもっとも大きなイベントと言えます。かつては、街で挨拶がわりに「メリー・クリスマス!」という言葉が交わされたものでした。

しかし多様性を重んじる近年では、キリスト教以外の宗教を信仰する人たちを考慮した挨拶や言葉が広がりつつあります。例えば挨拶なら、「Merry Christmas」ではなく「Happy holidays」と言うほうが主流になってきました。この表現なら、キリスト教徒でなくても季節の挨拶として使えます。

また、マクミラン英英辞典で2009年のバズワード(流行語)に選ばれ、オックスフォード英英辞典では2017年に新たにエントリーされた単語にWintervalがあります。これはWinter(冬)とFestival(お祭り)の造語。こちらもやはり、クリスマスというキリスト教限定のイベントではなく、どの宗教の人も冬のお祭りを楽しんでもらえるようにと作られた言葉です。

photo by Biljana Jovanovic (Pixabay)

新語・スラングの翻訳

■辞書に載っていない新語
英語圏での最新の話題を扱うニュース翻訳では、まだ辞書に載っていない言葉や用法に出会うことも多々あります。

例えば、snowflakeという単語。傷つきやすく、すぐにムキになる若い世代を指す軽蔑的な表現だということは、今ならオンラインの英英辞典に掲載されています(紙の辞典や英和辞典は、まだ未対応のものが多いようです)。

2016年のアメリカ大統領選を前に、若者と年配者で政治的分断が大きくなった際、リベラルな考えを持つ若者を軽蔑するためにこの言葉がしばしば使われていました。ところが、当時は「すぐムキになる若者」という意味では辞書にほとんど掲載されていませんでした。ちなみに現在も、リベラルという点は辞書には書かれていません。とはいえ当時、世代間での政治的分断は、リベラルな若者と保守派の年配者という図式が一般的だったため、snowflakeといえばリベラルな若者を指していました。

今ならこうしたことを解説する報道記事は簡単に見つかります。しかしsnowflakeがこの用法で多く使われるようになった16年当時は、そのような解説記事は存在しませんでした。当時、訳さなければいけないニュース記事にsnowflakeが出てきた時には、一体どういう意味で使われているのか、理解するのに苦労しました。似たような文脈で使われている記事を探して手当たり次第に読み、なんとか意味を把握しました。

■スラングの調査方法
辞書に載っていないことが多いスラングも理解に苦労することが少なくありません。スラングを理解するのに役立つサイトとして、Urban Dictionaryhttps://www.urbandictionary.com)があります。ただし誰もが定義を投稿できる上、ウケ狙いのものや偏見に満ちたエントリーも多いので、どれが正しい定義か判断するには注意が必要です(そもそも正しい定義が載っていない場合もあります)。

ほかにスラングを調べる方法としては、例えばミレニアル世代やZ世代の間で流行っているスラングの意味を解説する記事は多いので、探したいフレーズに引用符を付けて検索すると、そのような記事にたどり着けるかもしれません。

冒頭に書いたように、言葉は常に変化し続けています。英語圏で暮らしていないと、そうした変化を肌で感じたり、きちんと理解したりするのは簡単ではありませんよね。そのため、普段からなるべく現地のニュースを読んでおくことが大切です。実際に訳す際は、引用符などを駆使して、効果的にリサーチしましょう。

英語圏のメディアで近年よく使われるようになった言葉

BIPOC(Black, Indigenous and People of Color)
BAME(Black, Asian, and Minority Ethnic)

BIPOCは「黒人、先住民族、有色人種」、BAMEは「黒人、アジア人、少数民族」の略語。前者はアメリカで、後者はイギリスでそれぞれ白人以外の人種をまとめて表現する際に使われる。

undocumented immigrant
適正な手続きを経ずに入国した人を指す言葉。これまで公的な場では「illegal alien」(不法在留外国人)という表現が使われてきたものの、差別的だとの意見もあり、「書類を持たない移民」を意味するこの表現に置き換える動きがある。

kompromat
「compromising material」を意味するロシア語からきた言葉で、政治家の評判を落として政治生命を終わらせるような情報のこと。ドナルド・トランプ氏が弱みとなるような情報をロシアに握られているのではないかという疑惑などの文脈でよく使われるようになった。

snowflake
すぐ怒ったり傷ついたりする人を軽蔑的に表現する言葉。政治的にリベラルな考えを持つ若者に向かって使われることが多い。とくにsnowflake generationといえば、すぐムキになる若い世代のこと。

cancel culture
著名人や企業の失言や炎上があると、これまでファンだった人でさえも作品や商品をボイコットするなどし、「you are cancelled」(あんたはもう終わり)といって切り捨ててしまう傾向を指す。

crybully
「crybaby」(不満ばかり言う人、泣き虫)と「bully」(いじめっ子)からできた表現。自分は被害者だと主張しつつ、他の人を攻撃したり侮辱したりする人。

winterval
クリスマスなど冬のお祭りムードのイベントが多くなる時期を指す。キリスト教徒以外の人たちを考慮した表現。

※ 通訳・翻訳ジャーナル2021年春号「通訳者・翻訳者が知っておきたいことばの新常識」より転載

翻訳者 松丸さとみ
翻訳者 松丸さとみSatomi Matsumaru

フリーランス翻訳者・ライター。学生や日系企業駐在員としてイギリスで計6年強を過ごす。現在は、フリーランスにて時事ネタを中心に翻訳・ライティング( ときどき通訳)を行っている。著書に『映画で学ぶネイティブっぽいおしゃれ英語表現』(アルク)、『英語で読む錦織圭』(IBC パブリッシング)、訳書に『限界を乗り超える最強の心身』(CCCメディアハウス)、『FULL POWER 科学が証明した自分を変える最強戦略』(サンマーク出版)などがある。