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2023.07.06 UP

【トルコ語】通訳者・翻訳者 大曽根納嘉子さん

【トルコ語】通訳者・翻訳者 大曽根納嘉子さん
※『通訳翻訳ジャーナル』2023年冬号より転載。

日本での通訳・翻訳需要は英語が大部分を占めており、中国語、フランス語など、学習者の多い言語がそれに続いていますが、それ以外の言語を専門とする通訳者・翻訳者も多数活躍しています。そういった学習者の比較的少ない、マイナーと呼ばれがちな言語=「その他の言語」を専門とする通訳者・翻訳者のお仕事を紹介します!

翻訳・通訳・語学講師
トルコ語に関する仕事は何でも引き受ける

大曽根納嘉子さん
大曽根納嘉子さんNakako Osone

トルコ語通訳者・翻訳者。日本女子大学文学部英文学科を卒業後、旅行会社に就職。1992年から94年まで、トルコ政府奨学金留学生としてイスタンブル大学文学部トルコ文学科に留学。帰国後は、95年から2002年まで在京トルコ大使館武官室に勤務。現在はフリーランスとして活動。日本・トルコ協会、外務省研修所などでトルコ語講師も務める。

トルコに魅せられ留学
帰国後に通訳・翻訳デビュー

トルコ語通訳者・翻訳者の大曽根納嘉子さんは、旅がきっかけで通訳・翻訳の道へと進んだ。1990年秋、友人の誘いに乗ってトルコへのパッケージツアーに参加。初めて訪れたトルコという国に強く惹かれ、トルコ語を勉強しようと思うようになった。

「トルコ語の集中講座に通ったりもしましたが、当時勤めていた旅行会社での仕事がとても忙しかったこともあって、ほとんど頭に入りませんでした。そんな時、仕事で立ち寄った在京トルコ大使館のカウンターで、『トルコ政府奨学金留学生募集要項』というパンフレットを見つけたんです」

母校の大学教授の推薦状など、必要な書類をかき集めて応募したところ、トルコ政府から奨学金が出る留学生枠を勝ち取った。両親など周囲の反対も押し切り、大曽根さんは仕事を辞めてトルコへと渡り、イスタンブル大学文学部でトルコ語を学んだ。

学習者時代から、ページがばらばらになるほど使い続けたという『トルコ語辞典』(大学書林)。
学習者時代から、ページがばらばらになるほど使い続けたという『トルコ語辞典』(大学書林)。

留学中も知人つながりで依頼があり同行通訳のアルバイトはしていたが、通訳・翻訳者として本格的に活動し始めたのは帰国後のこと。映画の脚本やビジネス文書の翻訳などを請け負っていたところへ、個人会員になっていた日本・トルコ協会より通訳の仕事が舞い込んだ。

「トルコでのダム建築計画に、JICAが融資をするかどうか判断するための事前調査団に同行して通訳するという仕事でした。調査団とともにアンカラとイズミルに合計4ヵ月滞在し、現地で通訳のほか資料の翻訳も担当しました」

この仕事を通じて自らのトルコ語と通訳能力がまだまだだと実感。通訳・翻訳の仕事が途切れることはなかったが、トルコ語のブラッシュアップと生活の安定を考えて、トルコ大使館武官室の秘書として就職する。

「大使館でも通訳と翻訳をしていました。朝から晩まで毎日トルコ語漬けで、一人暮らしだったので日本語を一言も話さない日もありましたね。大使や武官、外交官などと日々接しますので、目上の人々に対する丁寧なトルコ語表現を学ぶことができました」

通訳・翻訳・語学講師
3つのジャンルをかけもち

大使館での仕事は充実していたが、夫が米国駐在になり、帯同するために退職。米国滞在中の3年間は、トルコ語からは離れた生活を送っていた。

トルコ語通訳者・翻訳者として再始動したのは米国から帰国後だ。大曽根さんの帰国を知り、翻訳エージェントや日本・トルコ協会から仕事の依頼が来るようになった。以来、「トルコ語に関する仕事はなんでも引き受ける」という姿勢で翻訳も通訳もこなしている。

「訪日するトルコ企業と日本企業間の商談での逐次通訳、研修通訳のほか、同時通訳や法廷通訳もしています。日本とトルコの友好125周年を記念して2015年に制作された映画『海難1890』では、撮影に同行し通訳を担当しました」

日本・トルコの合作映画『海難1890』の舞台挨拶での通訳(左端が大曽根さん)。
日本・トルコの合作映画『海難1890』の舞台挨拶での通訳(左端が大曽根さん)。

東映京都撮影所での、映画撮影時の控室の様子。約2ヵ月にわたり、撮影に参加したトルコ人俳優やスタッフの通訳を担当した。
東映京都撮影所での、映画撮影時の控室の様子。約2ヵ月にわたり、撮影に参加したトルコ人俳優やスタッフの通訳を担当した。

「通訳の際心がけているのは、まずは正確、迅速であること。そして発言の裏に隠れている感情や心を伝えること。トルコ人ははっきり主張することがほとんどなのですが、直訳すると日本人にはキツイと感じられます。けれども柔らかく訳しすぎるとトルコ人話者の真意が伝わりません。その辺のさじ加減が腕の見せ所だと思います」

翻訳では、官公庁関連、ビジネスレターなど産業翻訳、ドキュメンタリーの映像翻訳まで幅広く手がける。どちらの言語方向の翻訳も手がけるが、現在は日本語→トルコ語の仕事量がやや多いという。

また、トルコ大使館勤務時代に執筆したトルコ語の入門書『語学王 トルコ語』、2006年に初版を出版した『ゼロから話せるトルコ語』(いずれも三修社刊)をきっかけに、トルコ語講師の仕事も開始。日本・トルコ協会の語学講座や外務省研修所などでトルコ語を教えている。

『ゼロから話せるトルコ語 改訂版』(三修社)など、複数のトルコ語教材の執筆も担当。
『ゼロから話せるトルコ語 改訂版』(三修社)など、複数のトルコ語教材の執筆も担当。

コロナ禍で需要には大きな影響が
英日への置き換わりも進む

コロナ禍で、トルコ語通訳は大打撃を受けた。企業が軒並み出張を取りやめたため、求人や通訳の機会が激減。また、トルコ語通訳が英語通訳に置き換わっているという事情もある。大曽根さんの仕事も、以前は通訳4割、翻訳3割、語学講師の仕事が3割という割合だったが、現在は通訳と翻訳が1割ずつ、語学講師の仕事が約8割にまで増えた。

「ビジネスで世界へ打って出ようというトルコ人は、英語がとてもよくできるんです。英語を問題なく聞けるし話せるので、『通訳はトルコ語ではなく、英語・日本語でいいですよ』ということも増えてきています」

ただ、コロナ禍でもZoomなどを使った逐次通訳や同時通訳の仕事はあった。また2022年の9月には、来日したトルコ人との対面での同行通訳も3年ぶりに再開している。通訳・翻訳の需要増のためにも、日本とトルコ間でのビジネスや文化交流がより発展することを願っている、と大曽根さんは語った。

日本の中学生がトルコの学校を訪問する交流事業での引率・通訳を担当した際の様子。
日本の中学生がトルコの学校を訪問する交流事業での引率・通訳を担当した際の様子。

トルコ語の文章例

Advice! トルコ語通訳者・翻訳者をめざす人へ

私が駆け出しの頃、通訳や翻訳の仕事を得たのはトルコ留学前から会員になっていた日本・トルコ協会を通じてということがほとんどでした。トルコ語ができる人材を探す場合、トルコ大使館や日本・トルコ協会にコンタクトを取ることが多いからです。そうすると事務局の人が私の名前を出してくれて、仕事が舞い込むというパターンでした。チャンスは突然やってくるものです。

コロナ禍で需要が減り、なかなか苦しいトルコ語翻訳・通訳業界ですが、現役で働いている者として、後に続いてくださる方がますます活躍できるように、トルコ語翻訳・通訳の存続・発展をめざしたいと思います。

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2023年冬号より転載。 文/京極祥江

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