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2024.07.23 UP

【プロ通訳者に聞くIR通訳の醍醐味】企業と投資家の対話をファシリテート 双方の意図をとらえた的確な訳出がワンランク上のIR通訳を可能に

【プロ通訳者に聞くIR通訳の醍醐味】企業と投資家の対話をファシリテート 双方の意図をとらえた的確な訳出がワンランク上のIR通訳を可能に
※『通訳翻訳ジャーナル』SUMMER 2024より転載。

通訳歴20年のキャリアをもち、これまでに500社近くの上場企業のIR通訳を行ってきた住本時久さん。どのようにキャリアを築いたのか、注力分野のひとつであるIR通訳の業務とはどういったものなのか、そしてIR通訳の仕事の魅力、これからめざす方々へのメッセージを語っていただいた。

金融・証券業界の キャリアを生かして通訳者の道へ

米コロンビア大学国際公共政策大学院で修士号を取得した後、国内最大手の証券会社や外資系資産運用会社勤務を経て、フリーランスの会議通訳者として活躍中の住本時久さん。通訳歴20年のキャリアは、大学院博士課程への進学とともにスタートした。

「フリーランスの通訳者ならば、仕事と研究を並行して進められるのではないかと考えました。前職でお付き合いのあった外部の通訳者の方がエージェントを紹介してくださり、通訳の仕事を始めることになったのです」

正式に通訳を学んだ経験はなかったが、全米トップクラスの大学院と金融・証券業界で培った専門知識を武器に、通訳者として順調にスタートを切った。その後、通訳の幅を広げるため、通訳スクールにも2年ほど通学した。コロナ禍でリモート通訳が主流になってからは、各種プラットフォームのオペレーション習得と通訳スキルのさらなるブラッシュアップを目的に、オンラインの通訳コースを受講。現在は、IRをはじめ国家安全保障・防衛、外交、経営、金融、学術などさまざまな分野の会議通訳を行う。得意分野の一つであるIRでは、これまでに500社近くの上場企業の通訳を担当している。

担当する主なIR通訳の種類

・ 証券会社主催のカンファレンス
・ 海外機関投資家による企業訪問
・ 日系企業による海外ロードショー
・ IPO・POに際したミーティング(ディール案件)
・ 株主総会、各種発表会 など

IRの現場で通訳者が提供する付加価値は大

企業と資産運用会社等の機関投資家の間で行われるミーティングの通訳をIR通訳という。企業側からは、CEO、CFO、IR部門などが出席する。

IR通訳には、大きく分けてディール案件とノンディール案件と呼ばれる2種類がある。ディール案件とは、企業が新規上場するIPO、あるいは追加で株式を発行するPOの際に、投資家に向けてプレゼンしたり質疑応答の機会を持ったりするものだ。一方、ノンディール案件は、IPOやPOが絡まない情報提供のためのミーティングを指す。さらにこのノンディール案件には、証券会社が主催する大規模なカンファレンス、海外の機関投資家が複数の日系企業を回って情報収集する企業訪問、日系企業が海外に出向いて機関投資家を回る海外ロードショーの主に3形態がある。

証券会社主催のカンファレンスになると、ホテルや主催者の本社ビルで約1週間にわたって開催され、延べ数百人の通訳者が動員されることもある。朝から夕方まで、会場内の各企業のもとを投資家が次々に訪れ、基本的に一対一、まれにグループの形式でミーティングが行われる。企業訪問の場合は投資家が、海外ロードショーの場合は企業が、それぞれ相手先を個別に訪問する。コロナ禍の間、ほとんどの通訳案件がリモート形態になったが、IR分野は対面でのミーティングに戻りつつあり、企業訪問、海外ロードショーともに増加の傾向にあるそうだ。

いずれのミーティングも時間が限られるので、通訳者は質疑応答がスムーズに進むよう、時間コントロールも念頭に効果的・効率的な訳出を心がける必要がある。通訳を始める前からこの業界にいる住本さんは、
「企業と投資家のコミュニケーションのために、通訳者が提供できる付加価値は大きい」と話す。

「正確に訳すことはもちろん大切ですが、単に逐語的に訳すのではなく、通訳の域を超えない範囲で、企業と投資家の意図を踏まえてファシリテーション的に訳すことが双方にとって有益な場合もあります。それができると、ワンランク上のIR通訳者になれると思います」

通訳の仕事に加え、大学で非常勤講師として通訳の授業を受け持ち、さらに国際関係領域の研究も行う。昨年初の著書が米大手学術出版社より刊行された(写真)。日本の国家と宗教の関係および政治文化を考察する一方、アメリカの外交政策・国内政治やロシア・ウクライナ戦争など国際情勢の分析にも章を割いており、世界的に著名な欧米の国際政治学者らが、「知的興奮に満ちた」本として、推薦の言葉を寄せている。

世界経済のダイナミズムを肌で感じられる仕事

3・6・9・12 月の決算期は、特に多忙を極め、1日5、6件のミーティングを受け持つことも珍しくないが、「IRが好きでまったく苦にならない」と笑う。そんな住本さんにとって、IR通訳の魅力とは――

「世界経済のダイナミズムを肌で感じられるところです。例えば、自分が通訳を担当した企業のM&Aなどがニュースで報道されると、その背景にまで考えを巡らせることができます」

パートナーと組む一般の会議通訳と異なり、IR通訳は基本的に一人のため、他者から学ぶ機会は少ない。その点で自己評価をしづらいという難しさはあるが、経験を積むことでセンスを磨いてきた。
 
投資家や企業の意図をとらえた的確な訳出により、双方との信頼関係を築き、高い付加価値を提供するのが優れたIR通訳だ。住本さんは、投資家の質問に対する回答の仕方について、企業から助言を求められることさえあるそうだ。

また、ある機関投資家に随行した企業訪問における、別れ際のエピソードが印象に残っているという。

「少し離れたところからクライアントを見送っていたところ、一人が振り返り、大声で ‟You are a great interpreter!” と言ってくれたんです。あまりの声の大きさに道行く人たちが振り返るほどでした。いま思い出しても恥ずかしくて笑ってしまいますが、これからも、クライアントに喜んでいただける通訳をしていきたいです」

めざす人へのAdvice!

財務諸表を読んで
理解できるくらいの知識は
身につけておきましょう

「数字が苦手だからIR通訳ができるか不安」と言う方もいますが、数字の扱いは数をこなすうちに慣れてくるのであまり心配することはありません。ですが、財務諸表を読んで、各項目が何を意味しているのか、投資家はどこに注目しているのかを理解できる知識は必要です。投資家は、企業の収益性や成長性を見て、投資判断をするために情報を集めているので、IR通訳には、投資家が何を知りたいのかを理解して訳すことが求められます

日々の情報収集では、日経新聞を読むほか、毎朝ポッドキャストでウォールストリート系のニュースを聴くなどして、社会情勢や世界のトレンドに敏感でいられるようにしています。また、日本で生活していると発声や筋肉の使い方が日本語話者的になりがちですので、英語のボイストレーニングを受け、発音・発声をネイティブレベルに維持し、強化するよう努めています。

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※ 『通訳翻訳ジャーナル』SUMMER 2024より転載。 取材/岡崎智子

会議通訳者 住本時久さん
会議通訳者 住本時久さんTokihisa (Andy) Sumimoto

米コロンビア大学国際公共政策大学院卒業、修士号Master of International Affairs 取得。国際機関、国内最大手証券会社、上場企業役員等を経て、フリーランス通訳・翻訳者。これまで上場企業500社近くのIR通訳を担当。また、国家安全保障・防衛関連の日米間・日英間会議の通訳のほか、外交、経営、金融、学術など高い専門性を要する諸分野をカバー。通訳・翻訳者転身後、博士号取得。現在、上智大学、立教大学大学院、関西大学大学院、国立音楽大学で非常勤講師も務める。昨年、英文自著Religion, State, and Political Culture in Japan: Implications for the Post-Secular Worldを米Rowman & Littlefield社より出版。