誰もが知る巨匠の通訳を経て
また次のステップへ
大学時代、「アメリカ映画演劇論」の授業で『タクシードライバー』(1976年)について学んだことがある。監督は現代の巨匠の一人、マーティン・スコセッシだった。その巨匠の通訳の話が舞い込んだのは2016年秋。『沈黙―サイレンス―』の日本公開をひかえ、16年10月と17年1月の2回にわたりプロモーション来日した監督の通訳を務めた。フリーランス通訳者になってさまざまな現場を経験して場数も踏んできたが、これほどの大物と仕事をするのは初めてのこと。打診のメールに身震いしながら返信したことを今でも覚えている。
「すごい案件が来ちゃった、というのが正直な気持ちでした。とてつもないプレッシャーとおそれを抱きながらも、『この壁を乗り越えなさい』という啓示のようにも感じてお引き受けすることにしました」
実際に会ったスコセッシ監督の印象は、ひと言で表現するなら〝歓びの人〟だったという。映画が好きでたまらないという思いが全身からあふれ出ていて、周りにいる人もその思いに感染してしまうようだった。今井さん自身も、取材中は監督が憑依したように通訳をしていたそうだ。
「監督業をしている方のお話は本当に興味深い。哲学的なおもしろさや映画オタク的なおもしろさがあって一つに括るのは難しいけれど、人生を賭けて一つの仕事に向き合っている人の言葉には重みと深みがあります。そんな言葉を受け渡すことができるのが、通訳者としての私の喜びです」
スコセッシ監督の通訳を経験し、一つの壁を乗り越えたとの思いがあるという。コロナ禍で現在は厳しい状況にあるエンタメの世界。しかし事態が落ちつけば、また世界中でさまざまな作品が制作され、映画を心から楽しめる日々が戻ってくることだろう。そのときには、通訳者として新たな壁に挑む今井さんの姿も見ることができるはずだ。
通訳の流儀
レッドカーペットを歩きながら通訳するときは、多数のテレビカメラが待っている中で手際よく進行する必要があるので、セレブリティのコメントもコンパクトにまとめて訳出します。プレミア試写会の檀上では、会場の空気を読み、司会者と呼吸を合わせるように訳出します。このように、芸能通訳には場に応じたパフォーマンスが求められるのですが、私が最も大切にしているのは、話し手のメッセージを誠実に伝えることです。現場の環境や条件を意識しつつも、話し手が言おうとしていることをまっすぐに伝えようという気持ちは常に持ち続けています。それが私にとっての通訳の流儀であり、譲れない一点です。
通訳者をめざす人へ
デビュー前に基礎固めを
エンタメ希望者はまず業界へ
通訳全般について言うと、デビューする前に語彙力と通訳力をしっかりつけておくことが大切です。仕事を始めると事前準備に忙しくなり、通訳訓練のための時間が取れなくなります。時間に余裕がある学習者のうちに、通訳スキルの基礎を固めましょう。
エンタテインメント界の通訳者をめざす人には、まずは自分が希望する業界に入ることをおすすめします。映画にせよ、音楽にせよ、その世界を知ることはとても大事です。現在、芸能通訳者として稼働している人の多くは、映画配給会社や出版社、レコードレーベルなどで働いた経験を持っています。業界内にいると知識が蓄積でき、人脈も築けるので、それが通訳の仕事を始める際の強みになります。
※『通訳者・翻訳者になる本2022』より転載 取材/岡崎智子 撮影/合田昌史(特記以外)
1歳から10歳まで米ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアで過ごす。上智大学外国語学部英語学科卒。大学卒業後は映画配給会社に入社し、映画の買い付け、海外交渉、法務などの業務に10年間従事。2008年、通訳者養成スクール卒業を機に独立し、以降、映画業界を中心にフリーランス通訳者として活躍している。マーティン・スコセッシ、クリストファー・ノーラン、オリバー・ストーン、新藤兼人、ベニチオ・デル・トロ、サミュエル・L・ジャクソン、キアヌ・リーブスなど、多数の映画監督や俳優の通訳を務める。
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