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2024.03.29 UP

同時通訳者 田中慶子さん
~Interview with a Professional~

同時通訳者 田中慶子さん<br>~Interview with a Professional~
※『通訳者・翻訳者になる本2023』(2022年1月発行)より転載。

高校卒業後に渡ったアメリカでサバイバルイングリッシュを身につけ、大学留学、放送通訳者を経て会議通訳者となった田中慶子さん。『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』の著者が語る、その通訳者人生とは——。

居場所を求めて道を拓いてきた——
今後は会議通訳を続けながら世界をめざす人たちを応援したい

政財界のリーダーが集う「ダボス会議」やビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の通訳を務めるなど、政治経済分野を多く手がける一方で、声がかかれば音楽業界にも出向き、人気アーティストのテイラー・スウィフトやビリー・アイリッシュの言葉を訳す。本業だけでも多忙なはずだが、音声メディアやビジネス情報サイトでの英語学習法の発信、英語コーチングやエクゼクティブコーチングも行っている。放送通訳および会議通訳歴20年の田中慶子さん。好奇心の赴くままに道を切り拓き、型にはまらぬスタイルを貫くトッププロである。

不登校の女子高生が たどり着いた
通訳という仕事

高校生の頃は決して英語の成績がよかったわけではなく、むしろ学校に行きたがらない不登校の生徒だった。高校卒業後、米国への語学留学や劇団研究員を経験したが、手応えをつかむことはできなかった。「ここではないどこか」に居場所を求め、米NPOが主催するプログラムに参加したのは21歳の時だ。このプログラムは、アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリアを1年間かけて巡り、ホームステイしながら現地の人と交流を深めるというもの。プログラム参加者とコミュニケーションを取るにも、ホストファミリーと意思疎通を図るにも、とにかく英語ができなければ始まらないという環境の中、田中さんは必要に迫られてサバイバルイングリッシュを身につけた。

プログラムを終える頃、猛烈に学びたいという欲求が頭をもたげ、そのまま米国にとどまって進学することを決意する。高校で1年間、大学で4年間を過ごす中で、授業についていくために必死で英語を学び、TOEFLの受験準備にも多くの時間を割いた。思えばいつも、サバイバルだった。
 
帰国して社会人になってからも、決して平坦な道を歩いてきたわけではない。米NPOの東京オフィスでアドミッションシニアマネージャーを務めていた時には、NPO本部が解散するという事態に直面した。ところが、この災難が田中さんのその後の人生を大きく変えることになる。失業がきっかけで、かねてから興味があったという通訳学校の門を叩いたのだった。

「出張先のドイツでたまたま知り合った通訳者の方に『君は通訳者になりなさい』と言われたことがあり、それ以来、通訳とはどんなものだろうという思いがずっと頭の中にありました。また、自分の中で留学時代に英語でインプットしたものが日本語につながらないという現象が起きていて、通訳者や翻訳者はどうしているのだろうという疑問もあって通訳学校で学ぶことにしたのです」
 
独英通訳者の“we need people like you.”という言葉に導かれ、放送通訳者養成スクールに入学した田中さんは、通訳訓練におもしろさを見いだし夢中になって学んだ。訓練を開始して半年後にはCNNから通訳者としてのオーディションの誘いを受けるまでに実力をつけ、2002年、放送通訳者としてプロデビューを果たす。「ただ興味があったから訓練を始め、楽しかったから続けただけ」の通訳が、心からやりたいと願う仕事に変わった瞬間だった。

『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』(2016年/KADOKAWA)には、通訳者になるまでの半生が描かれている。
「若い時にマイノリティという立場を経験したことが、今の仕事にも生かされています」(田中さん)

※『通訳者・翻訳者になる本2023』より転載  取材/岡崎智子 撮影/合田昌史

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政治経済から音楽まで

田中慶子さん
田中慶子さんKeiko Tanaka

1996年、米マウント・ホリヨーク大学(国際関係論専攻)卒業。衛星放送番組制作会社、外資系通信社、米NPO東京オフィスに勤務したのち、放送通訳者養成スクールで通訳技術を学ぶ。2002年、CNNのオーディションを経て放送通訳者デビュー。CNN、BBC等で経験を積みながら会議通訳の仕事を始め、現在は政治経済から音楽まで幅広い分野を手がける。豊富な通訳経験をもとに、コミュニケーションのアドバイスをするコーチングの分野にも活躍の場を広げている。