放送通訳者としてCNNや民放で活躍する柴原早苗さんは、アメリカ大統領選のニュースや就任演説の通訳も多数担当してきました。
「放送通訳者」の視点からとらえたアメリカ大統領選挙の話題や選挙に関わる英語表現などを紹介します。
みなさん、こんにちは!放送通訳者の柴原早苗です。
2024年の秋、マスコミは「もしトラ」シナリオを打ち出していましたが、それがやがて「ほぼトラ」となりました。そして11月5日(現地時間)の投開票日、トランプ前大統領の当選が確定。当初は接戦になると言われていたものの、ふたを開けてみればトランプ氏圧勝だったのです。歴史を紐解いてみると、再選に失敗するも返り咲いたのは過去に一人だけ。第22代・第24代大統領を務めたグローバー・クリーブランドです。1892年のことでした。
トランプ氏再選が確定してから、閣僚人事の発表が相次いでいます。一方、海外に目を転じれば、ウクライナ紛争に北朝鮮兵が派兵されたり、イスラエルによるハマス・ヒズボラ空爆の激化があったり、シリアのアサド政権が崩壊したりと多くの出来事が続いています。トランプ次期大統領は、復興したフランスのノートルダム大聖堂の再開記念式典に参加。マクロン大統領やウクライナのゼレンスキー大統領と会談するなど、外交面も活発になりました。来年(2025年)1月20日(現地時間)におこなわれる大統領就任式に中国の習近平国家主席を招待したことも話題になっています。本稿執筆時(12月16日)現在、習近平氏本人ではなく、在米中国大使や中国政府高官が出席する予定とのことです。一方、安倍元総理夫人の昭恵さんがトランプ氏の別荘マール・ア・ラーゴでトランプ夫妻と夕食予定のニュースも話題になりました。
第7回では、2025年1月20日に予定されている就任式について見てみましょう。注目点や通訳者としての苦労などについて綴っていきます。
大統領就任式の注目点
(1)宣誓文
まず、米大統領の就任式は、アメリカ合衆国憲法修正第20条により定められています。投開票日11月5日から数か月後となる翌年1月20日正午(米東部時間)に新しい大統領の任期が始まる、と綴られているのです。そして、その任務に携わる前に宣誓式に臨むことが義務付けられています。
宣誓文は憲法に定められた定型文であるため、毎回以下の文章が使われます。読み上げるのは最高裁長官です。文章を区切りながら読み、新大統領は右手を挙げて復唱する形がとられます:
“I 【ここで新大統領のフルネーム】 do solemnly swear that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will do the best of my ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States. So help me God.”
(訳:「私(新大統領のフルネーム)は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓います。神に誓って。」
ちなみに最後の”So help me God”自体は当初の憲法に記されておらず、のちに付け加えられたものです。
(2)聖書
上記の宣誓を行う際、必ず用いられるものが「聖書」です。宣誓文を読み上げる時、大統領は最高裁長官を前に右手を上げます。一方、大統領の配偶者などは聖書の表紙を上向きに水平に持ち、大統領は左手をその表紙の上に置きます。
歴代の大統領就任式を見るたびに私自身が注目するのが、聖書の装丁です。読み込んだと思しき表紙のものもあれば、百科事典を上回る重さのものも見られます。2021年バイデン大統領就任式でバイデン氏が用いたのは、バイデン家で受け継がれてきた聖書でした。オバマ政権が誕生した2009年、バイデン氏は副大統領に就任しましたが、この時に使われたものと同じ一冊です。
一方、トランプ氏は2017年の宣誓の際、19世紀にリンカーン大統領が使った聖書を用いています。2025年1月20日にトランプ氏が果たして同じ聖書で宣誓するかどうか、ぜひ注目してみてください。
(3)参列者
もう一つ、注目したいのが式典の参列者です。舞台の前方には新大統領や副大統領、その家族が着席し、その後ろには退任する大統領や歴代大統領、さらに議員たちが並びます。2017年トランプ大統領就任時の席順写真を見ると、ジュリアーニ氏やホープ・ヒックス氏などの選挙戦立役者も参列していることがわかります。
https://www.nytimes.com/interactive/2017/01/20/us/politics/trump-inauguration-photo-zoomer.html
ちなみに2021年バイデン大統領就任式で大いに話題をさらったのが、バーニー・サンダース民主党上院議員です。2021年と言えば、コロナの最中。この時、ネットで拡散したのがこちらのサンダース氏のいでたちでした:
https://www.bbc.com/japanese/video-55854326
温かそうなミトンを着用し、ハイキング時に着るようなダウンジャケット姿のサンダース氏。「近所にお出かけ?」などとネット上では話題になったのでした。カメラがとらえる意外な姿を見られるのも、就任式での注目点です。
通訳者としての苦労
就任式の同時通訳については、主に2パターンがあります。CNNなど海外メディアが最初から最後まで同時中継する場合の通訳。もう一つは、日本の民放が宣誓式の部分だけを中継する場合です。数時間にわたるか、限られた時間なのかの違いとなります。ただ、いずれにせよ、私たち通訳者には式典の全シナリオは渡されません。インターネットに事前公開されている情報があれば、そちらを見られますが、たいていは「宣誓文以外、何が出てくるかは当日まで不明」という状況でもあるのです。非常に緊張を強いられる内容となります。2021年バイデン大統領就任式の中継(同時通訳付き。TBS NEWS DIG)はこちらです。
当日は2名で担当しましたが、いつの時点で同時通訳をつけるかは民放の場合、現場のディレクターさん次第。通訳業務をF1レースに例えるなら、車のアイドリング状態を一気にトップギアに引き上げる感じで同通開始となります。とりわけ私自身が苦労したのが以下の3点です。
(1)聖書の朗読
就任式では大統領はじめ、司会者やゲストなど登壇者誰もが原稿を読み上げており、それだけでも「原稿なし状態の通訳者」にとっては一苦労です。ただ、それをさらに上回るのが聖書からの引用。たとえば2017年トランプ氏は「詩編」第133編を引用しました。“How good and pleasant it is when God’s people live together in unity.”という箇所です。この部分も「兄弟たちが仲良く一緒に暮らすことは、なんと楽しく素晴らしいことでしょう」という日本語訳を知っていれば、スムーズに訳せます。つまり、同時通訳者には聖書の知識も問われるのです。
ちなみに2021年バイデン氏就任式では、終盤で牧師のSilvester Beaman氏が”Dominion in power”と述べています。英語のdominionは「支配」という意味。キリスト教とつなげてビーマン氏は述べた箇所でした。しかし、2020年の大統領選では投票機が奇しくもDominion社製。私など思わず、「ここでまた選挙マシンの話?」と一瞬頭の中が混同してしまいました。
(2)登壇者の発言
2021年バイデン氏就任式でとりわけ難儀したのが、詩人アマンダ・ゴーマンさんによる詩の朗読でした。詩は物事や人の心情を短い言葉に凝縮し、韻を踏んだりリズムをつけたりという特徴があります。ゴーマンさんの朗らかな声は聴いていてまるで音楽のよう。でも、彼女の作品を同時通訳するのは至難の業でした。対象作品を予習できていれば良かったのですが、それも叶わず。私自身、日ごろから詩に詳しいわけではなかったため、余計に苦し紛れの通訳となってしまいました。
(3)専門用語
就任式では海兵隊員の吹奏楽も奏でられます。楽団名は”The President’s Own” United States Marine Band、日本語では「『大統領直属』アメリカ海兵隊軍楽隊」と呼ばれます。2021年ではLady Gagaさんが米国国歌を斉唱。その際、演奏をしたのがこの海兵隊軍楽隊でした。固有名詞がスラスラ出てくることも同時通訳では必要です。とりわけ、大統領就任式のような晴れ舞台では、ことばに詰まってしまうと雰囲気が損なわれてしまいます。事前に予習できることは徹底的におこなう。これが当日のパフォーマンスにつながります。
ファッションにも注目
もう一つ、就任式で注目していただきたいのが、出席者の洋服です。民主党員であれば党のシンボルカラーである青を着用する人が多く見受けられます。共和党員の場合、赤です。2025年1月の就任式ではトランプ新大統領のネクタイの色、ファースト・ファミリーのファッションなど、ぜひチェックしてみてください。2017年バイデン氏の就任式では、前任者のトランプ氏が出席しないという異例づくめでしたが、今回はバイデン氏の出席はおそらく確実でしょう。選挙には勝者と敗者がつきものです。勝者、そして敗者の表情にも目を向けてみると、それぞれの心境を想像することができるかと思います。
さらにもう一点。就任式会場の外に集まる市民にも着目してみてください。群衆は連邦議会議事堂前からワシントン記念碑の間あたりまで集うことができます。2017年、トランプ新大統領は、その時に集まった人数について「過去最大だ」と述べました。しかし、2009年オバマ氏就任式の写真と比較したものがマスコミで発表され、トランプ氏はそれに不満。「マスコミが嘘をついている」との批判に出ました。
https://www.bbc.com/japanese/38709628
2025年就任式での参加者数や参加者の表情なども注目点と言えるでしょう。
大統領選 直近のスケジュール
いよいよ就任式は2025年1月20日(現地時間)と迫っています。それまでの間、次期トランプ政権の閣僚候補者はさらに明らかになっていくでしょう。一方、世界情勢の展開も気になるところです。とりわけお隣・韓国の戒厳令やそれに続く大統領の弾劾や中国・台湾の問題もあります。12月上旬には米軍横田基地に在日アメリカ宇宙軍が設置され、宇宙の安全保障や防衛ももはや大きな課題となっています。
就任式は、2024年10月1日の石破政権誕生から3カ月後です。日本の政治、世界の今後など、予測しづらくなっている昨今だからこそ、アメリカ政治への注目が一層大事になってきていると言えるでしょう。
【2024年 アメリカ大統領選 スケジュール(予定)】
(日付は米国時間)
2024年
6月27日 第1回 大統領候補者テレビ討論会 (CNN)
7月15日~18日 共和党全国大会
8月19日~22日 民主党全国大会
9月10日 第2回 大統領候補者テレビ討論会 (ABC)
10月1日 副大統領候補者討論会(CBS)
11月5日 大統領選投開票
2025年
1月6日 連邦議会の上下両院合同会議で大統領を正式選出
1月20日 次期大統領就任式
次回の本コラムでは就任式当日に関する話題をお伝えする予定です。どうぞお楽しみに!
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★前回のコラム
放送通訳・同時通訳者。獨協大学およびISSインスティテュート講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールドを経て現在はCNNおよび民放局で放送通訳業に携わる。近年では米大統領選、ノーベル賞、エリザベス女王国葬、テニスATPカップ、G7広島サミット記者会見、ノーベル平和賞受賞ユヌス博士、国会議員連盟の通訳などに従事。