第6回 アメリカ大統領選挙 投開票日

放送通訳者としてCNNや民放で活躍する柴原早苗さんは、アメリカ大統領選のニュースや就任演説の通訳も多数担当してきました。
「放送通訳者」の視点からとらえたアメリカ大統領選挙の話題や選挙に関わる英語表現などを紹介します。

みなさん、こんにちは!放送通訳者の柴原早苗です。

アメリカ時間の11月5日火曜日は大統領選挙の投開票日でした。トランプ前大統領が返り咲くか、あるいは女性初の大統領としてハリス副大統領が当選するか、大いに注目された今年の選挙。日本でも各局が投開票の様子を中継しました。私は投開票日当日(日本時間では6日水曜日)に民放で勝利宣言を担当しました。思い起こせば2016年および2020年も、この瞬間に携わる機会を頂戴したのでした。

そこで第6回の本稿では、トランプ前大統領の勝利宣言とハリス副大統領の敗北宣言の同時通訳について振り返ります。

朝から待機 トランプ前大統領の勝利宣言

アメリカというのは実に広大な国です。よって、日本とは異なり、投開票日の当日にすべての結果が判明しないことは容易に想像できます。郵便投票も含めれば、なかなか先が見えないのです。たとえば2000年大統領選挙ではブッシュ候補(共和党)とゴア候補(民主党)の勝者判明まで実に1カ月も要しています。よって、2024年の今年の場合、前回に議事堂騒乱事件が起きたような背景から、相当の時間がかかると見られていました。日本のテレビ各局も6日水曜日に関しては、早朝から深夜まで複数の通訳者がシフトを組み、配置されました。

今回私が担当したのはTBSで、契約時間は午前10時から19時までのシフトでした。ただ、「勝利宣言がずれ込むかもしれない」ということから、直前にシフトが「正午から真夜中過ぎまで」に変更したほど。しかし色々と局側の調整の結果、当初の予定通り10時から19時までとなりました。このシフトの担当通訳者は2名です。

午前からずっとスタジオで待機すること数時間。夕方になり、局側の情報筋から「トランプ氏が勝利宣言をしそうだ」との一報が入りました。同通スタジオでは複数のカメラが現地の様子をとらえています。また、私も持参したPCで複数の米系メディアを同時進行でチェック。当選に必要とされる選挙人団270人にトランプ氏が近づいていることは明らかでした。よって、「トランプ氏の勝利宣言」に備えることとなったのです。

ちなみにトランプ氏は数か月前の共和党全国大会で、数時間演説をしています。今回の勝利宣言も長時間にわたる可能性がありました。同時通訳者は2名ですので5分交代で進めることは決めたものの、果たして何時までかかるのか、契約時間の19時を過ぎるのかなど、色々な思いを抱きながら私たち通訳者は控えていたのです。

演説が始まったのは16時20分ごろでした。トランプ氏は演台の両側に設置しているプロンプターを読みながら、ゆっくりと勝利宣言を行いました。選挙戦で見られたような過激な発言はなく、有権者やスタッフ、家族などへの感謝のことばが並びました。

(TBS NEWS DIGより)

トランプ氏勝利宣言の注目発言

今回の同時通訳をおこなうにあたり、一番私が気を配ったこと。それは「トランプ氏が誰を重視して謝意を述べるか」でした。予習段階で想像したのは、イーロン・マスク氏です。マスク氏は2024年選挙活動の途中からトランプ陣営に参加。激戦州の登録有権者に報奨金を配ったことは、日本でも話題になりました。つまり、トランプ氏勝利の大いなる立役者でもあるのです。

実際、マスク氏の名前は出てきました。タイムコード12分あたりです。ここでは単に”Elon”としか述べていません。

ちょうどこのあたりで交代して私の同通が始まるのですが、トランプ氏が、

“Now, he’s an amazing guy.”

と述べ、代名詞の”he”が出てきたことから、マスク氏であることを確信しました。その後、トランプ氏はマスク氏のロケット「スペースX」について数分間に渡り描写しています。さらにトランプ氏は、マスク氏の通信衛星「スターリンク」にも言及。ハリケーンの被災地に必要だとマスク氏が訴えてきたエピソードも披露していました。私自身、まさか勝利宣言の中でスペースX社のビジネス内容用語が出てくるとは思っていなかったのです。改めて「放送通訳現場では何が出てきてもおかしくない」と痛感したのでした。

なお、トランプ氏の勝利演説は雑誌”Newsweek”が全文を掲載しています。
https://www.newsweek.com/donald-trump-victory-speech-full-transcript-1981234

ハリス副大統領の敗北宣言

さて、翌日の11月7日木曜日(日本時間)、もともとこの日私は通常のCNNシフトが決まっていました。しかし、6日になり「ハリス氏の敗北宣言が木曜日になるかもしれない」という予想から、急遽、7日早朝にTBSへ出向くこととなりました。契約時間は午前5時から8時まで。CNNシフトは10時からでしたので、TBSを終えてその足でCNNに向かうことができます。

ただ、6日の段階ではハリス氏がいつ演説をするかは決まっていませんでした。よって、5時から8時までTBSの同通スタジオにいたとて、一言も同通をしないということも考えられます。いずれにせよ、選挙人団数においてトランプ氏勝利は既に決まっていましたので、あとはハリス氏が何を演説で述べるかを考えながら、タクシーでTBSへ向かいました。

局に到着するや、「ハリス氏の演説は午前6時ぐらいになりそう」との情報を伝えられました。局入りしてからわずか1時間しかありません。改めて「どのような発言になるのか?選挙戦を戦い抜いた有権者やスタッフなどへのお礼の言葉はあるはず」「ただ、敗北宣言となれば、どういった雰囲気になるのだろう?」と私自身、あれこれ考えました。と言いますのも、2020年の選挙ではトランプ氏が敗北宣言をしないまま、バイデン政権誕生となったのです。つまり「敗北宣言」は米国民や世界にとって「数年ぶり」でもあります。

日本時間午前6時過ぎ。現地の映像を観ると、演説会場のハワード大学(ハリス氏の母校)では多くの人が詰めかけていることがわかります。演台もテレプロンプターも設置。スタッフが慌ただしく出入りしています。シークレットサービスもスタンバイしています。あとはハリス氏の登壇を待つばかりです。

そして大歓声と共にハリス氏が登場しました。

今回も2名の通訳体制です。パートナー通訳者とはオンエア前にじゃんけんをして、「勝った方が先発通訳」となりました。私は今回後発で、5分交代で進めることとなりました。

登壇したハリス氏に目をやると、さばさばした表情です。満面の笑顔で支持者を前に話し始めました。開口一番は”Good afternoon”。この一言を聞いた私は、あの4年前のバイデン氏勝利の際に述べた“Good evening”を思い出したのです。この時ハリス氏は複数回、”Good evening”を口にしています。

この時に私が意識したのは、たった2語の”Good evening”をどう訳すかでした。そのまま「こんばんは」と訳すのでも良かったのですが、画面に映るハリス氏の笑顔をとらえたい。そう思った末、「こんばんは」のトーンにもこだわったのでした。

ハリス氏敗北宣言の注目発言

さて、今回の敗北宣言。笑顔のハリス氏とは言え、胸中は相当無念だったことでしょう。その思いをどう訳すか私はずっと考えながら同時通訳をしました。そして、とりわけこだわったのは、「ハリス氏の表情と手の動き、そして語気を忠実に訳に反映させよう」というものだったのです。

その一例が7分53秒あたりの「努力」に関してでした。ハリス氏は、

”We like hard work. Hard work is good work. Hard work can be joyful work.”

と述べています。語気はクレッシェンド気味でしたので、私も自然と同じような口調になっています。

そして私が個人的にこの演説でクライマックスと思ったのが、8分45秒あたりの以下のセリフです。

“That doesn’t mean we won’t win. That doesn’t mean we won’t win.”

同じフレーズが2度出てきます。これを聞きながら私が思ったこと、それは「英語は確かに同一表現だけれども、日本語訳は工夫したい」という思いでした。同通のさなか、それこそ1秒にも満たない間にこの気持ちが沸き上がったのです。そこで私は以下のように訳しました。語調もハリス氏の強弱を反映したつもりです:

「だからと言って、勝たないとは言えません。だからと言って、勝たないわけではないのです。」

私なりの、ささやかな、でも自分の中では大いにこだわった部分でした。その後のハリス氏の演説は、力強さがにじみ出ています。眉間にしわを寄せつつ、「決してあきらめてはいけない」とういメッセージが続きました。”You have power.”の部分も、「皆さんには力があります」という「ですます調」の訳ではなく、あえて私は強さを出すために、

「皆さんには力がある」

と言い切ったのでした。

なお、ハリス氏演説の英文スクリプトは雑誌”TIME”が掲載しています。
https://time.com/7173617/kamala-harris-concession-speech-full-transcript/

大統領選 直近のスケジュール

大統領選における次の大きな節目は2025年1月6日(現地時間)。連邦議会の上下両院合同会議で大統領が正式に選出されます。そして1月20日は就任式です。一方、本稿がアップロードされてからしばらくの間も、郵便投票の結果などが報道されることでしょう。また、トランプ新政権でどのような閣僚人事となるかも、大いに関心を集めています。

世界の超大国アメリカの民意が選出したトランプ次期大統領。米国、世界、そしてもちろん日本がこれからどうなっていくのか、ますます目が離せなくなっています。

【2024年 アメリカ大統領選 スケジュール(予定)】
(日付は米国時間)

2024年
6月27日 第1回 大統領候補者テレビ討論会 (CNN)
7月15日~18日  共和党全国大会
8月19日~22日  民主党全国大会
9月10日  第2回 大統領候補者テレビ討論会 (ABC)
10月1日 副大統領候補者討論会(CBS)
11月5日  大統領選投開票

2025年
1月6日  連邦議会の上下両院合同会議で大統領を正式選出
1月20日  次期大統領就任式


次回の本コラムでも引き続き進捗状況をお伝えしてまいります。どうぞお楽しみに!

みなさまからのフィードバックも引き続き募集しています。疑問、コメントなど何でも結構です。
編集部あてにお知らせください。

★前回のコラム

放送通訳者 柴原早苗
放送通訳者 柴原早苗Sanae Shibahara

放送通訳・同時通訳者。獨協大学およびISSインスティテュート講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールドを経て現在はCNNおよび民放局で放送通訳業に携わる。近年では米大統領選、ノーベル賞、エリザベス女王国葬、テニスATPカップ、G7広島サミット記者会見、ノーベル平和賞受賞ユヌス博士、国会議員連盟の通訳などに従事。