放送通訳者としてCNNや民放で活躍する柴原早苗さんは、アメリカ大統領選のニュースや就任演説の通訳も多数担当してきました。
「放送通訳者」の視点からとらえたアメリカ大統領選挙の話題や選挙に関わる英語表現などを紹介します。
みなさん、こんにちは!放送通訳者の柴原早苗です。アメリカ大統領選挙の投票日(11月5日)が迫ってきました。ドナルド・トランプ前大統領(共和党大統領候補)もカマラ・ハリス副大統領(民主党大統領候補)も、目下焦点をあてているのは激戦州です。アメリカ大統領選の仕組みは実に複雑で、日本のように「合計の得票数」で当選者が決まるのではありません。各州に割り当てられた「選挙人」という人がおり、その州で勝った候補者は、その州の選挙人をすべて獲得できるというルールです。「勝者総取り」と言われます。詳細はこちらにありますので、興味のある方はぜひご一読くださいね
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pJKWxWYMWJ/
さて、第4回の本稿で取り上げるのは、9月11日(日本時間)におこなわれたトランプ氏とハリス氏の討論会(米ABC主催)です。日本でも複数のメディアで報道されましたが、私はこの日、赤坂TBSに出向き、TBS NEWS DIGで放映された討論会を担当いたしました。
最初で最後の(?)トランプvsハリス討論会
通常の米大統領選挙では、民主党・共和党の大統領候補者が討論会をおこない、その様子は全米でテレビ中継されます。有権者にとっては、各候補者の政策や性格などを見極めるチャンスとも言えるのです。ほとんどの討論会は90分ほどですので、有権者にしてみれば複数回おこなわれれば自分が誰に投票したいかが絞り込めますよね。2016年のヒラリー・クリントン(民主党)候補とトランプ候補の討論回数は3回でした。
しかし今年は大統領選が始まった途中でバイデン大統領が撤退を表明し、ハリス副大統領が大統領候補に浮上。先のトランプVSバイデン討論会で、バイデン氏の弱々しさが露呈してトランプ優勢となっていただけに、今度は流れがハリス旋風へと変わっていったのです。そうした中、待ちに待ったトランプ対ハリス討論会が実施されたのでした。
討論会の回数については、慣例通り複数回とされていたのですが、ハリス氏の粘り強さがあらわれたことを受け、トランプ氏はその後の討論会を躊躇。「自分はディベートでハリス氏を打ち負かしたから、もうやる必要はない」と強気の姿勢を見せました。よって、トランプ対ハリス討論会はこれが最初で最後となったもようです。
日本の視聴者には映像なし
6月のトランプ対バイデン討論会を某民放で私が請け負った際に割り当てられた同時通訳者は3名で、トランプ役・バイデン役・司会者役という役割分担で臨みました。一方、今回TBS NEWS DIGで放映された討論会の同時通訳者は私ともう一人の女性通訳者。トランプ氏、ハリス氏、そしてABC司会者(男性・女性)の合計4名の通訳分担をどうするかを局入りして最初に決めました。
2名の同時通訳者しかいないため、集中力の負担を考慮して時間交代にするのが「通訳クオリティ」を維持できる最善策と言えます。しかし、当日、担当者と打ち合わせを始めた際、衝撃の事実(?)を知ったのです。それは、「放映権の関係で、日本では討論会の生映像を放映できない」というものでした。米ABCのガイドラインがあり、「音声のみであれば日本でも流せる」ということなのですね。
苦肉の策として日本サイドが考えたのが、「両候補者のイラストを静止画面で表示し、どちらかが話している時にその候補者の顔の部分をハイライトする」というものでした。よって、視聴者から見ると、トランプ氏の顔が光っていれば、「あ、今はトランプ氏が話しているのね」とわかる仕組みです。通訳者が2名とも女性であることから、このようにして区分けするという方法がとられることとなりました。幸い、私たち通訳者のスタジオでは現地の映像を観られたのですが、視聴者にとっては「映像」というメイン情報がありません。表情やボディ・ランゲージで話者の心境などがわかるわけですので、「映像がいかに大事か」ということを改めて私は感じました。
今回の注目発言
主に移民問題が大きく取り上げられた今回の討論会でしたが、中でも私が注目したのは、トランプ氏の以下の発言です:
“In Springfield, they’re eating the dogs. The people that came in. They’re eating the cats.”
(日本語通訳は44分40秒あたりから)
ここを私は次のように訳しました:
「スプリングフィールドです。犬を食べていますよ、そういった人たちは。猫も食べている。」
ABCのオリジナル画面は2分割になっており、左にトランプ氏、右にハリス氏が映し出されています。この発言の瞬間のハリス氏は驚きあきれた表情をしていました。私自身、このことばがトランプ氏の口から出てきた時の心境はまさにハリス氏と同じ。内心「ありえない!」と思ったのですね。
しかしトランプ氏の表情は真剣です。これまでの氏の発言を振り返ってみれば、「とにかくアメリカには不法移民が多すぎる」という氏の一貫した主張の続きであることがわかります。さらにトランプ氏の顔を見ると、眉間にしわを寄せ、手で強弱をとっています。よって私自身、この部分を同時通訳する際は、トランプ氏の強い口調を反映させようと考えました。日本語訳の「猫を」でかなり強勢がかかっているのはそのためだったのです。
なお、トランプ氏の「犬猫を食べている」発言は、その後、何度も報道され、検証され、地元自治体のトップが反論するなど、大問題となりました。そして2カ月近く経つ今なお、これが取り上げられています。CNNに出演した政治アナリストは、「この発言はトランプ氏をこれからずっとhaunt(苦しめる)だろう」と述べていました。
なお、ABCのオリジナル映像もウェブサイトに残っています。両候補者の表情などにぜひ注目してみてください:
(「犬猫」発言は29分32秒あたり)
英文トランスクリプトはこちらです:
https://abcnews.go.com/Politics/harris-trump-presidential-debate-transcript/story?id=113560542
大統領選 直近のスケジュール
投開票が迫っていますが、どの世論調査も接戦となっており、しかも誤差の範囲内です。最後の最後まで結果を読むことができないのが、アメリカ大統領選挙の特徴と言えるでしょう。しかし、過去の大統領選では”October Surprise”(オクトーバー・サプライズ)と呼ばれる「選挙結果に大きな影響を与える要素」が10月に何度も出てきています。トランプ対ハリス戦においても、それが起こらないという保証はないのです。
【2024年 アメリカ大統領選 スケジュール(予定)】
(日付は米国時間)
2024年
6月27日 第1回 大統領候補者テレビ討論会 (CNN)
7月15日~18日 共和党全国大会
8月19日~22日 民主党全国大会
9月10日 第2回 大統領候補者テレビ討論会 (ABC)
10月1日 副大統領候補者討論会(CBS)
11月5日 大統領選投開票
2025年
1月6日 連邦議会の上下両院合同会議で大統領を正式選出
1月20日 次期大統領就任式
次回の本コラムでは、10月1日に行われた副大統領候補者討論会、およびハリス氏のメディアインタビューについて取り上げる予定です。どうぞお楽しみに!
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★前回のコラム
放送通訳・同時通訳者。獨協大学およびISSインスティテュート講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールドを経て現在はCNNおよび民放局で放送通訳業に携わる。近年では米大統領選、ノーベル賞、エリザベス女王国葬、テニスATPカップ、G7広島サミット記者会見、ノーベル平和賞受賞ユヌス博士、国会議員連盟の通訳などに従事。