• 通訳

2024.11.27 UP

第10回 私のNHK杯での転倒(失敗)

第10回 私のNHK杯での転倒(失敗)

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

2024年 NHK杯での出来事

たとえ転倒(失敗)しても立て直すメンタルが重要

私にとって今シーズン最初で最後のフィギュアスケート関連の業務ともいえる、NHK杯(2024年11月8日~10日)の興奮が冷めないうちにこの原稿を書いています。
世代交代も進む中、日本勢が頼もしい限りでした。若手と言われる選手もしっかりご自分の言葉で思いを語っていらして嬉しくなりました。めざすところがはっきりしている選手たちの言葉は気持ち良いですね。

どの大会、どの演技でも必ず失敗や「ああ、いまひとつしっくりこない!」ということがあります。選手によってその対応はさまざまです。
練習時から、このジャンプで転んだら次はこうして、といろんなシナリオをシミュレーションしているそうです。通訳者も「ああ、この訳語じゃない方が良かったけど、出しちゃった」という残念、トホホなことは何度もあります。
そこでその失敗に引きずられて崩れるか、立ち直って残りの部分で挽回するかは、メンタルにかかるところが大きいと思います。

フィギュアの演技で一番わかりやすいミスは転倒です。マイナス1.00点。転んだところから立ち上がって、スピードを戻して次の技に入るまでに立て直せるか? 転ぶという行為自体が精神的にも肉体的にもダメージが大きいのです。
さらに、リカバリーに費やすエネルギーも相当です。そこで自分の精神を落ち着かせ、次のミスを心配せずに演技に集中できるか? コンマ何秒という時間で対応するのです。

同時通訳も逐次通訳も時間の長さは違うものの、訳出までの時間と闘いながら耳で聞いている情報を落とさず、失敗を引きずらないで訳し続けるという、似たような心境に置かれています。スケートの場合、一つ噛み合わないとどんどん狂ってしまい、失敗だらけの演技になることもあります。どんどん体力と気力が消耗する中で最後まで滑り切ることの難しさは誰にもわからない、自分との戦いなのだと想像します。見ている者はクリーンなプログラムを期待しつつも、失敗しても声援や拍手で応援をしますし、選手と一緒にがっかりしたり喜んだりできます。そして勇気を讃える。そんな選手と観客の関係性はこの競技の素敵なところだなと思います。

通訳者はずっと1人で戦う、「ミスなく仕事ができること」が前提に雇われるプロです。それでも人間が訳すわけですから、間違いも、ちょっとしたニュアンスの違いもたくさんあります。
一語一句正確に訳出するのであればAIが勝る日もそう遠くないかもしれません。それでも、その場の雰囲気、話者の心を伝えるために色々と言葉や表現を選んで解釈(interpret)したものを出していきます。間違いを批判されたり、命取りになって2度とお声がかからないという恐怖と闘いながら自分の土俵ではなく、他人の土俵に上がらせていただいているのです。だからこそ、選手たちの本番に向けた練習と準備、そのメンタルの強さや姿勢から多くのことを学びます。

国立競技場
今年のNHK杯国際フィギュアスケート競技大会が開催された国立代々木競技場第一体育館。

Kiss&Cryでの優勝インタビューにて

それでは今回のNHK杯での私の失敗を紹介しましょう。いえ、実は失敗したと勘違いをしたのです。

鍵山優真選手のキスクラ(Kiss&Cry)での優勝インタビュー。やはり、こちらも緊張しますし、生放送の尺も気にします。アナウンサーの質問と鍵山選手の回答を1セットにして、会場にお集まりの皆様の反応や拍手を止めるような形になりながら、英訳を淡々と出さなくてはなりません。
これはグローバルに放送する映像制作のために必要なことなのです。多くのファンの方はその事情もご存知なので暖かく見守ってくださいます。そして訳出が終わったところで改めて拍手をしてくださいます。皆様との呼吸が合う時は気持ちよく、感謝しかありません!

今回、鍵山選手は名前がコールされたとき、「日本の国旗や自分のバナー(※選手名などを入れた応援用の横断幕)がいっぱい目に入った」というコメントをされました。
自国で開催される大会で、日本のファンは日本の国旗だけでなく、出場選手の国旗をたくさんお持ちで、それぞれの選手にエールを送ってくださる、世界に誇れるフィギュアファンです。私の訳は無難に鍵山選手が語った内容をそのまま出していました。

実はなぜかそのとき私は、国旗に関する部分を出していない(まだ訳出していない)と勘違いしていたのです。話が次のパートに移ってしまったときの私の頭の中を覗いてみるとパニック状態です。

『“いろんな種類の旗があって”というところを出せなかった? やっぱり入れなきゃ! なぜ私はそこを落としたのか? そのことに触れてくださったのに、色々な国旗を集めて、下調べもして、準備して、会場にお持ちいただき、順番にだせるようにアレンジしていらっしゃるファンの皆様の温かい応援に感謝の意を表しているわけだから、落としちゃいけないでしょ! あ、感謝の気持ちを込めて滑ったって言ってるし、それは出せたから伝わったかな? 一番肝心なのは鍵山選手の感謝の気持ち……』

勘違いの負のサイクルにハマっている様子、ご想像いただけますか?

振り返ってみると、この日の最初の競技がアイスダンスで、キスクラでのインタビューを受けたのがアメリカのマディソン・チョック選手&エヴァン・ベイツ選手(Madison Chock/Evan Bates)組でした。そのとき、エヴァンが「たくさんの旗が見えていて、満席のお客様の前で演技できて嬉しかった」という発言をしたのですが、尺の問題もあって旗のコメントを抜かして訳出しました。時間が限られているため仕方がないのですが、日本の観客の皆様が星条旗をご用意なさっていたのでお伝えできたら良かったのにと後悔しておりました。それを引きずっていた、ということもあったのです。

言い訳がましいのですが、生放送の本番は、会場全体に響き渡る自分の声と、「かえし」といってイヤフォンで自分の耳に戻ってくる声が同時に聞こえて、非常に通訳しにくい状況です。しかし、目の前にいても選手の声が聞こえないことがあるので、このイヤフォンは生命線でもあります。今回は、十分な尺もあったのですが、やはり英語を必要とする方がいない日本の会場で、長々と訳していては聞いている方も冗長に感じるのでは? と最小限にまとめて出すようにとの指示もあり、その状況下で判断ミスをしたかも? と思っていました。
あとから録音を聞くと訳出ミスはしていなかったのですが、パニックになったこと自体がミスです。このミスを糧にして、次回はもっと良い訳をしたいと思います。

 

さて、今回、また違うところで一生懸命頑張っている方達がいらっしゃいました。

私は今年、日本会議通訳者協会(JACI)のイベントで2回登壇する機会をいただきました。両方ともスポーツ通訳についてのお話をしたのですが、毎回、フィギュアスケートでの通訳OJTを募りましたところ、勇気をもって手を挙げてくださった方が3名いらっしゃいました。私も先輩方に頂いたチャンスを逃さず、不器用ながら頑張ってきたからこそ今があります。まずは第一歩を踏み出した皆様のその勇気を讃えたいです。

この方々には今回のNHK杯で、OJTということで見学をしながら、ミックスゾーンで日本人選手が話したことを簡単にまとめてISU(国際スケート連盟)のメディア担当に共有するという作業をしていただきました。他のプロ通訳者のお仲間のパフォーマンスを見たり、お話を伺ったりと色々と勉強になったと思います。どなたも慣れない環境で一生懸命でした。その頑張りは見ていて気持ちが良く、私たちプロ通訳者も、初心を忘れずに! と刺激をいただきました。

いつ、どんなチャンスが転がってくるかわからない。そんな中で運を引き寄せるべく、ポジティブ思考でがむしゃらに頑張って、舞台に上がったら皆さんを圧倒するようなパフォーマンスを出す! アスリートも通訳者もその1回のチャンスを活かすために日々精進ですね。
実際にGPシリーズでも本来出場予定の選手が欠場になり代わりに出場した選手が活躍なさっていました。今シーズンの後半に向けて、そして五輪にむけて、チャンスと運を味方に日々の努力の結果を出し切れるか? 目が離せませんね。

2024年NHK杯 鍵山優真選手キスクラインタビュー
原文&今ならこう訳す! 平井さんによる英語訳

【質問】初の300点越えについて
[回答・原文]
少し悔しいです。ショートはノーミスで終わることができたのに、今日は一発目のフリップで転んでしまって、その後他の四回転やフリップ・ループを降りられたので良かったと思います。
[英語訳]
It was a bit regrettable. I had a clean SP but today I fell on the first Flip. I was able to regroup after that and landed the quads and the Flip-Loop so that was Okay.

【質問】良かったところについて
[回答・原文]
失敗してからもしっかり四回転サルコウだったり、他のジャンプで気持ちを立て直せたと思うので心の部分がしっかり成長した証だと思います。
[英語訳]
After the mistake, I was able to regain my composure and landed the quad Salchow and other jumps, so I think it is a testament of my mental growth.

【質問】二連覇を日本の舞台で達成したが、観客の歓声は届いていたか
[回答・原文]
ショート、フリーとも自分の名前が呼ばれた時に日本の国旗と自分のバナーがたくさん見えて、拍手もたくさんあって、自分自身、楽しもうと思いました。見ている人に感謝の思いを込めて滑れたので良かったです。見ている皆さんがこの試合を楽しんでくださったのなら良かったです。
[英語訳]
For both SP and FS, when my name was called, I saw so many Japanese flags and my banner and heard the cheering and clapping so I told myself that I should enjoy all this. I’m happy that I was able to skate with my appreciation to all the fans. I hope everyone enjoyed this competition.

【質問】目標の300点、今後のGPSと五輪に向けて次の目標は?
[回答・原文]
300点越えは狙っていて、自分の思っていた形ではなかったので、次はノーミスで超えたいです。フィンランドですぐに次の試合にのぞみますが、その前に明日はエキシビションか! 休める時に休んで体力をしっかり管理していきます。
[英語訳]
I was aiming to surpass the 300-point mark but it didn’t quite go as I envisioned it so next time I want to achieve it with a clean program. My next competition is Finland so tomorrow, I will rest… No I have the Exhibition tomorrow, but anyway, I will try to rest when I can and manage my stamina.

★前回(第9回)の記事はこちら

★連載一覧はこちら

平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。