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2023.07.05 UP

第1回 フィギュアスケート通訳の魅力 | 平井美樹

第1回 フィギュアスケート通訳の魅力 | 平井美樹

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

フィギュアスケート通訳の魅力

「フィギュア」と「通訳」の共通点

会議通訳の仕事の取引先の社長様から“なぜ選手が転倒して拍手をするのか?”とフィギュアスケートについて素朴な疑問を投げかけられたことがあります。私がフィギュアの通訳で秋冬になると不在が多いことへの苦情の後に、恥ずかしそうに、家内とテレビ観戦していて不思議だと思ったと語ってくれました。テレビ観戦してくださっただけでも嬉しくなって一生懸命説明し、その後はお会いすると必ずフィギュアトークをするようになりました。

フィギュアファンなら当たり前のことですが、順位を決める競技ではありますが、相手を打ち負かすようなものではありません。だからこそ、転倒したら拍手で応援をする。ライバルが転倒したから勝てる! と喜ぶような人間ではこの世界ではトップに立てません。どの選手も自分自身との戦いという姿勢でいるのです。

私自身は幼少期にカナダに住んでいた頃、フィギュアスケートを習い始めました。当時は種目に規定(コンパルソリー)があったため、週4回、45分、ひたすらリンクに円を描いていました。この練習で集中力を培ったのかもしれませんが、少しでも気が緩み、違うことを考えると線が歪んで円が重ならないという経験をしました。トップレベルの選手がどんな体験をしているかは想像でしかありませんが、この原体験があるのと無いのでは発言の文脈の捉え方もちがうのではないかと勝手に自負しています。

ジャンプは下手だったため、「なぜ飛べないのか? 回転できないのか?」と悩み、空中の姿勢がちょっとずれることや、踏み切りの違和感、こういったことが影響することも体で実感し、悔しい思いをたくさんしてきました。アイスダンスのパートナーと組んでリンクをぐるぐる回るときには、「なぜストロークが合わないのか? 簡単なパターンダンスでさえ、エッジの深さが違いすぎて振り回されてしまうのか?」など、とにかく自分の思うようにいかないことだけは氷上でたくさん経験をしてきました。
それがすべて通訳をする上での糧になっているのは多少のなぐさめです。

フィギュアはジャンプなどのエレメンツで、回転不足や転倒で減点されたり、逆にとても大きい幅のあるジャンプで最大限の加点を得る競技です。また、芸術性まで評価されるスポーツだからこその難しさがあります。

通訳者はいつも他人の土俵に上がりますが、そこでの訳語の選択、文章のまとめ方、デリバリー、声のトーン、速さなど、色々な“エレメンツ”とその“出来栄え”で評価されます。ここがフィギュアとの共通点だと勝手に思い込むことにし、選手から戦い方を多く学ばせてもらっています。

フィギュアの大会のサイドイベントにて、通訳と司会をする筆者。

選手の思いを汲み取り、訳出すること

大会の現場で通訳者にとっての鬼門があります。選手にとって、一番輝く場であるキス・アンド・クライ(キスクラ)での優勝インタビューです。生放送であれば、尺が決まっている中で、選手の言葉をまとめ上げます。考える時間もなく、メモもよく読めなくなっていることが多いです。音はアリーナ全体に回るため、隣にいる選手の声が聞こえません。自分が発する声がエコーする中でひたすら訳出します。

国際放送を伴う世界選手権などでは、日本人選手が優勝した場合は英語訳をつけます。これが海外ならまだしも、日本開催だとなんとも不思議な光景になります。そのことを心得ているフィギュアファンの方々は、訳出が終わるのを待ってから拍手を送ってくださるので感謝してもしきれません。世界一のファンといわれる所以のひとつがこの細やかな心遣いです。

話は脱線しますが、ファンの方々はたくさんの国旗を自前で用意し、失敗した選手には激励の拍手を、迫真の演技で心躍るときには惜しみないスタンディングオベーションを送ります。まさに会場が一体となって戦いを見守ってくれるのです。そんな中にいるだけでなんと居心地がよいことか! と、2023年3月に日本のさいたまアリーナで開催された世界選手権で実感していました。
あの雰囲気の中に身を置き、さらには二連覇を果たした宇野昌磨選手のキスクラでの優勝インタビューを通訳できて光栄でした。やはり会場で観るフィギュアって良いなと思った方も多かったことだろうと思います。

通訳に話を戻します。
フィギュアスケートの通訳では、選手の言葉ひとつひとつを咀嚼して、どうしてこういう発言になっているのかを想像しながら自分なりの解釈で英語化します。まさにinterpretです。

一語一句の訳語を並べると、良くて無味乾燥、悪くて全く意味をなさない通訳になってしまいます。一語一句正確に言葉を並べることは、通訳者にとってはツッコミどころを与えないという意味では安全策です。ただ、スケートの通訳に関しては、選手の伝えたいものをなるべくわかりやすく訳出するよう心がけています。

日々の選手たち、コーチ、スタッフの皆さんのひたむきな努力を目の当たりにすると、通訳者として、リスクを取ってでも一番本心に近いと思う訳を出すのがせめてもの誠意であり、私のできることだと思います。もちろん、独りよがりになってはなりません。その塩梅はいつまでたっても難しいです。全ては選手のため、競技を支えてくれる人々のため。ここがブレなければ良いと思います。

引退を決めた海外選手から
若手日本人選手へのメッセージ

今季(2022/2023シーズン)限りで引退を決めたカナダのキーガン・メッシング選手が、2023年2月にアメリカで開催された四大陸選手権の記者会見で、共に表彰台に上がった二人の日本人選手(三浦佳生選手、佐藤駿選手)に対してとても良いことを言ってくれました。本来ならば、母国開催ではない大会では、私が日本からリモート通訳するのは日本人選手のやりとりのみですが、若い二人にベテランがせっかく言葉をかけてくれているのに、それが伝わらないのは悔しいと思い、瞬時に訳をいれました。越権行為と責められたら責任をとろうと思っての決断でした。

通常の放送通訳であればあり得ないことですので、その重さはわかっているつもりでした。ただ、これがフィギュア界の素晴らしさですが、大会主催者側もその重要性を理解してくれました。日本スケート連盟もTwitterに訳を掲載し、多くのファンと共有することができました。

【平井さんの訳を紹介!】
キーガン・メッシング選手:(四大陸選手権での表彰式後の記者会見で)

28年間滑ってきて何よりも大切にしてきたのは自分の演技を楽しんでもらうこと。
僕自身、この2人や頼りがいのある次世代の選手に沢山の刺激をもらっている。
夢に出てくるほどにね。
そんな若手に後を託せるなんて嬉しいよ。
そして、佳生と駿の2人の友情はずっと大切にね!

*日本スケート連盟のツイートはこちら*
https://twitter.com/skatingjapan/status/1624714823933247488?lang=ja

引退を決めたベテランがまさかの自己最高の成績で表彰台に上がり、去りゆくものとして日本の若武者に残した言葉は、「友情を大切にすること」!

このような心温まる場面が多いからフィギュアの通訳はやめられません。

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平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。