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2024.09.25 UP

第9回 トップスケーターの英語力―2014年世界選手権での一幕

第9回 トップスケーターの英語力―2014年世界選手権での一幕

会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)

アスリートが自ら英語で発言することの重要性

思わず感激した記者会見での出来事

私には一つの小さな勝利の瞬間があります。
仕事ではいつも、自分が関わってきたアスリートの生の声をありのままに世界の皆様に届けるような通訳を心がけています。その一方で、私からアスリートの皆様に、いつも語りかけていることがあります。それは「一言でも良いから、英語で発言すること」です。

それをアスリートの方が自ら実現してくださっている場面を見ると、やった! と心の中でポーズをとってしまいます。その中でも、とても誇らしく感じた瞬間のエピソードを読者の皆様に共有したいと思います。

それは2014年3月、埼玉で開催された世界選手権でのこと。男子ショートプログラム後の記者会見です。
ショートプログラムが終わった段階では町田樹選手が首位発進、ハビエル・フェルナンデス選手が2位、羽生結弦選手が3位でした。いつも通り、私は記者会見室の通訳者席に陣取っていました。

記者会見では最初のご挨拶、注意事項の後に、代表質問があります。 “SPを滑った後の感想を”。メモをとって、まずは町田選手の回答を日英に訳すぞとメモ帳に向かっていた私は、頭を上げ、その光景を見て感動していました。
町田選手が英語で答えていたのです。スケート留学のため2011年に渡米される前には私と目を合わせて話すこともままならなかった町田選手が、堂々と自分の考えを英語で語っていました。会心の演技で、自分にとって大切な作品(「エデンの東」)を完成させたという気持ちでいっぱいだったのだと思います。そのような一種の達成感と興奮の中で、冷静に母国語ではない言語で自分の気持ちと考えをきちんと説明している姿を誇らしく思いました。慌てて、これはちゃんと英日を訳出しないと本人に失礼になる! と腕まくりした時の気持ちを今でも忘れません。

【参考記事(当時の記者会見の様子)】
町田「誇りに」羽生「自分が許せない」=世界フィギュア男子SPトップ3会見(スポーツナビ 2014年3月26日)
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201403260005-spnavi

その後、2位のフェルナンデス選手の発言。スペイン語訛りも強くなく、訳しやすいので気持ちよく通訳し、さあ、羽生選手の番です。
羽生選手は日本語での発言はとても内容が濃い上に、色々と話している最中に思考の整理をしたり、記者やファンが聞きたいことに答えようと、自分の気持ちを表現してくださる、まさに表現者。これを日英に通訳するのはプレッシャーなのです。こちらも気合を入れて、“羽生マインド”についていくぞ! とのぞみます。

ですがここでまた、ええ〜?! と二度見してしまう事態が発生。なんと、羽生選手も英語で発言なさったのです。ソチ五輪で金メダリストになった直後の世界選手権で、英語で発言するのは王者の風格があるなと、またまた感動しました。このときの発言は、3位でのスタートになって不甲斐ないという内容だったかと思いますが、それがとてもよく伝わる英語でした。
慌てて日本語に訳したのですが、通訳者としては、日本語ネイティブの選手がみずから話す英語を日本語に訳す行為は、なんとも落ち着かない、どきどきする体験です。これでいいかな? 合ってるかな? と神妙な気持ちになりました。

インタビュー(イメージ)
試合後の記者会見やインタビューなどでは、選手自身の言葉で話すことが求められる。

海外メディアにも対応するためには

国際舞台で認知され、自分を知ってもらうためには、インタビューや記者会見の最初の一言は英語で発言するようにと常日頃からお伝えしている身としては勝利の瞬間です。
日本の誇るスターたちが、海外の皆様に向けて、母国開催の世界選手権の記者会見で堂々と英語で答えている姿にはしびれました。そんな感動に浸っている暇もなく、記者会見は進行していきます。

次は記者からの質問。すっかり「英日で、ご本人たちが納得のいく通訳を出すぞ」と意気込んでいた私ですが、2問目を受けて町田選手が、「ここから日本語にさせてください」と日本語での回答に切り替えられました。より複雑な心情を説明するために、母国語で発言することを選んだのも英断だったと思います。通訳者の私はさらなる言語の切り替え作業と町田選手の語彙選択に恐怖心を感じつつ、必死で食らいついてきました。

さあ、羽生選手の番。彼も、「ここからは日本語で」と母国語スイッチが入りました。
それをいつものように、王者の言葉を紡ぐぞと訳しながら、この二人の選手が英語で発言したという事実を噛み締めて、嬉しく誇らしくドヤ顔をしていたと思います。(自分の通訳はさておきですが)

氷上の好敵手たちが見せた記者会見場での一場面でした。これは私にとってとても尊い思い出です。

どんな競技でも、選手として世界に認めてもらうにはもちろん、実力勝負。結果を出すことが当たり前ですが、メディアに注目されたとき、どう自分を知ってもらうかも重要だと思います。

フィギュアスケートの選手たちは表現者でもありますから、きちんと自分の考えを伝えたいという気持ちも強いはずです。海外のメディアにせっかくインタビューされても、日本語で答えて通訳が訳していると、実際の番組に使ってもらえる確率は下がります。ボイスオーバーをつけるにも手間とコストがかかりますし、字幕だと読む人が少ないので、海外では特に使えないのです。
ですから、最初の一言だけでも英語で話せば、それだけメディア露出の可能性も高まります。プロの場合はこれも大切なお仕事ですよね。例えば、ゴールを決めたサッカー選手が、 “Great goal, I am so happy and thank you XX” と、簡単な英語で「パスを出してくれたチームメイトに感謝している」と発言したとします。ゴールハイライトシーンでそのゴールをスローも交えて何回か見せるとしたら、この発言も採用されやすくなります。簡単な言葉で良いので英語で発言すると、海外のメディアに使われやすくなるのです。

今はSNSでアスリート自身が発信でき、翻訳ソフトを使えばどんな言語でも理解できます。が、まだまだマスメディアに出ることが大事だったころの話です。私の小さなやった! の瞬間でした。

*スポーツ通訳でよく出てくる英語表現を紹介*
どんな競技でも使えるインタビューでの一言!

“I am so happy to be here.”

“I am happy with my performance/play/goal…”

“I am disappointed with my performance/play/goal…”

“That was amazing!”

“I had so much fun and I hope the fans did too!”

こういった表現を日本語に訳す際には、選手の年齢、性格なども反映してしっくりとしたもので出したいですね。
たとえば、
「日本で、この大会に出場できて嬉しいです」
「日本の皆さんの前でプレーできて良かったです」
「今日、ここで、このような試合ができて幸せです」
などなど、文脈も考えてみてください。

★前回(第8回)の記事はこちら

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平井美樹
平井美樹Miki Hirai

会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。