会議通訳者、兼、スポーツ通訳者として活躍されている、平井美樹さんによる連載コラム!
日本スケート連盟の通訳者として数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務めるほか、五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わる平井さんが、フィギュアをはじめとするスポーツの通訳の仕事について語ります。
(※隔月更新予定)
「ビジネス」としてのスポーツにも、通訳者は貢献できる!
まだ発展途上な日本のスポーツビジネス
日本のスポーツマネージメントはまだまだ発展途上ですが、志高いプロフェッショナルがアスリートを中心に据えて、ビジネスとして確立できるように奮闘中です。例えば野球やサッカーなど、“儲かる”スポーツもあれば、まだまだビジネスとして成り立たない競技も多いかと思います。
通訳者はスポーツビジネスの側面でも貢献できると思います。選手のマネージメントからスポンサー契約、肖像権などの権利の管理、コーチ招聘など、さまざまなシーンで交渉があるからです。
企業や競技団体では、通訳者でないスタッフが、英語ができるからと海外との折衝をまかせられ、交渉決裂したという失敗談をよく耳にします。それと同様に、競技の通訳ができるからといって、こういった駆け引きの通訳ができると思うと大失敗になることもあります。
幸い、私はスポーツや放送の現場からビジネスや政治、国際関係の現場を経験したことで、こういった交渉ごとの通訳も担当させてもらっています。競技ごとにルールがあるように、ビジネス面にもさまざまな流儀があるので大変です。
プロアスリートの場合、細かく年棒や条件が設定されていますので、比較的ビジネスライクに話は進みます。一方でアマチュア選手の場合は手探り状態のことも多々見られます。
一番むずかしいのは代理人がついていない選手。ご自身やご家族が交渉する場合は競技や選手への思い入れも当然ありますし、言葉は悪いのですが、なめられたり、騙されたりすることもあります。そんなときは、通訳者もただ言葉を訳しているだけではますます噛み合わなくなるので、どこまでご本人に確認したり、説明したりするのか悩みます。
鉄則はただ発せられる言葉だけを訳す。しかし、スポーツの世界ではそれだけではうまくいかないことが多いのです。
ご批判を覚悟の上で申し上げるなら、私は雇い主様の利益を考えて、アドバイスをすることはあります。しかし、それは今まで培ってきた信頼関係により、先方が許してくださっている場合に限定されます。そのほかの場では、通訳者という立場だからこそ、「ああ~、これでは一方的に説き伏せられてしまう」と思っていても、そこで発せられる言葉だけを訳します。
だからこそ、アスリートの皆様には彼らを代弁する代理人についてほしいと思います。それも、世界のスポーツビジネスを理解している真のプロです。日本人でなくても構いません。アスリート本人と代理人の間に入る通訳者なら安心して通訳だけに集中できます。アスリート側にもビジネスについてのリテラシーを持っていただくことももちろん大切だと思います。
競技の現場以外にも、通訳者が活動できるフィールドは広い
選手の契約だけではなく、スポーツにおいてはさまざまな交渉があります。
例えば大会やイベント運営の際には、「NF(中央競技団体:National Federation)」というその競技の日本の団体と、「IF(International Federation)」という国際団体間で契約が交わされます。放送権に関する契約もあります。実際のイベント開催に向けて色々な条件交渉があります。
複数の利害関係者の意見調整に追われながら一つの合意に辿り着くまでは、粘り強く、相互理解が深まるように通訳をしていきます。より良い大会にするために、アスリートファーストでと目標は共有していても、カメラポジション、競技時間、会場の装飾の色、食事内容まで、意見のぶつかり合いは多岐にわたります。これが五輪やW杯という大型イベントになると、それこそ日々国際会議の様相です。
先日、一般社団法人 スポーツマネージメント協会の方とお会いしてきました。
スポーツマネジメントに関する知見をもつ通訳者の育成をめざす団体で、「スポーツバイリンガル検定」という検定試験も設けて、まずは野球の分野からからスタートするそうですが、スポーツ通訳者というジャンルの確立に向けて動いている方々がいることは嬉しい限りです。
一般社団法人 日本会議通訳者協会(JACI)でもスポーツに関するグループが立ち上がりました。
水原氏の人気が高まったときは、「スポーツ通訳者は儲かる! 大リーガーの通訳者になりたい!」という声がよく聞こえてきましたが、稀有なケースであるということは賢明な読者の皆様はご理解いただいていると思います。
スポーツ通訳者に求められるのは、通訳者として当たり前の守秘義務。そして、選手や監督、競技についての知識だけではなく、記者会見などの各種対応、運営側の仕事、放送、ビジネス、ドーピング、医学など、求められる専門性や知識・スキルは幅広いものです。
ただ単に、その競技をやっていたから、バイリンガルだからというだけでもつとまりませんし、一語一句正確に訳せるスキル以外にも、スポーツ界独自の能力も求められます。それが何か? という定義はまだ存在しませんが、高い水準でのプロフェッショナリズムと職業倫理や自己規律が求められると、誰もが肝に銘じておかなくてはと思います。
スポーツにはいろいろな切り口があるので、どの分野で活動するかの見極めも大切になると思います。私の場合はスポーツと国際政治、ビジネス、経済、放送、そして競技が舞台になっていますが、現場が体力的にきつくなっても、いろいろな形でお役に立つために何ができるかと常に考えています。
その一つがNFの国際交渉力を高めることです。ここは通訳者としての腕の見せ所でもありますので、今後もっと日本の競技団体の発言力を高めていくためにがんばりたいと思っています。
スポーツとビジネスは切っても切れない関係にありますが、日本ではまだまだ未開拓。ぜひ、スポーツ庁、JOC、政財界などで日本の産業としての戦略を作っていただきたいですし、ビジネスの側面でも通訳者として大いに貢献したいと思います。
Sports Business Jargon
今回は最後に、スポーツビジネスの世界でよく使う英語表現を紹介します!
・Financial Valuation:チームなどの価値。チームの強さ、チケット販売、放映権などから計算される
・Event Management:大会などの運営。企画から実施、チケット販売、スポンサー契約、プロモーション
・Sunk Cost:埋没コストともいう。すでに計上された費用で回収できないもの。高額年棒の選手と長期契約をしたものの、期待されたほど活躍しなかった時などに使う
・Salary Cap:サラリーキャップ。チームの選手に対して払える額の上限。競技によってはこの上限を超えても、Luxury taxを支払えば良いということも
・Club Option:複数年契約の最終年のオプションを行使するかチーム側が決める
・Player Option:複数年契約の再周年のオプションを選手側がチーム側が決める
・Fan Equity:ファンがファンであることの対価として求める価値
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会議通訳者兼スポーツ通訳者、 日本スケート連盟通訳者。学生時代にESPN Sports Centerを翻訳するアルバイトから通訳の道に入る。NHKの大リーグ、NBA、NFL放送の通訳スタッフ、広告代理店の社内通訳を経て、現在はニュース、国際関係、安全保障、企業買収からエンタメ、相撲の英語放送までをこなす放送・会議通訳者。五輪やサッカーW杯、ラグビーW杯にも通訳として関わるほか、日本スケート連盟の通訳者でもあり、数多くのフィギュアスケートの大会で通訳を務める。日本から海外へのPR、エグゼキュティブ向けグローバルコミュニケーションコンサルタント、企業からアスリートまでのメディアトレーニングも手がける。