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2023.05.14 UP

フランス語翻訳者としてバンド・デシネを手がける
/ 大西愛子さん

フランス語翻訳者としてバンド・デシネを手がける<br>/ 大西愛子さん

季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』の連載、翻訳者リレーコラムをWebでも公開しています!
さまざまな分野の翻訳者がデビューの経緯や翻訳の魅力をつづります。

翻訳の仕事をしたいと思うようになったのはいつごろだろう? フランス語に初めて触れたのはおそらく60数年前、父親の仕事の都合でフランス・パリに住むことになったときのことだ。以来、大学まで、フランス語圏の国と日本の間を行ったり来たり、教育は中学以降すべてフランス語で受けてきた。

周囲の人に「通訳とか翻訳をやれるのではないか」と言われることも多々あったが、それもいいかなあと漠然と思っても、漢字が苦手だし……ということで、憧れはしても、具体的な行動に繋がることはなかった。

結局、私はかなり若く結婚し、子どもにも恵まれた。夫も父と同じように転勤族で、香港、北京、パリと任地には常に子どもたちとついていった。特にパリでは言葉の問題がまったくなかったので本当に楽しい3年間を過ごした。生きたフランス語に触れ、また夫の仕事関係の方たちと交流するうち、私の学生っぽいフランス語もだいぶ大人のフランス語へと変わってきた。このことはのちに翻訳や通訳をするうえで大きく役に立っている。

気軽に参加した翻訳講座が転機に

帰国してしばらくしてまた夫に異動の話が持ち上がったが、子どもたちの学業のために初めて単身赴任してもらった。末の娘が小学校に上がったこともあり、急に暇になったので何か習い事をと思って入ったのが、日仏学院(現アンスティチュ・フランセ)で行われていた文芸翻訳の講座だった。おそらくそれが運命の変わり目だった。たいした目的意識も持たずに入った講座だったが、堀茂樹先生の丁寧な指導と熱心なクラスメートに刺激され、しだいに翻訳の仕事をしたいと思うようになった。苦手な漢字については、ワープロ、パソコンの普及でなんとか克服している(ただし手書きではダメ)。この講座には結局10年くらい通った。

そのうち、先生やすでに卒業して翻訳者デビューしている元クラスメートなどの紹介で、リーディングや雑誌の記事の翻訳、そして来日する作家さんの通訳などの仕事がくるようになった。

あるとき、知り合いの編集者さんからノンフィクションの本を訳してみないかと打診が来た。本のリーディングをした方が翻訳する時間が取れないということで、出版社が翻訳者を探しているという。これが結局わたしの翻訳者としてのデビュー作となった。ステファヌ・マルシャンの『高級ブランド戦争』(駿台曜曜社)である。パリ滞在中、日本からのお客様のアテンドで高級ブランドのお店にたびたび入ってはいたが、自分自身はあまりブランド物に関心がない。にわか勉強で資料を集め、たちまち家中にブランド関係の雑誌、写真があふれて、急に本棚も華やかになった。

未知のテーマでも積極的に引き受ける

依頼の翻訳のお仕事でおもしろいのは、自分が知らなかった世界が開かれるところだ。自分で持ち込む翻訳書はどうしても自分の好みに左右されがちだ。子どもの頃、そして結婚してからも親や夫の転勤に翻弄され、自分がしたいと思ってもなかなか続けることができないことを悟っていたからか、自分での意思で何か始めるということはなかった。ただ、どこに行ってもそこで自分のできることをする、それも楽しんでするという癖はついていた。ポジティヴな受け身人間である。だから仕事の依頼は、あまりよく知らないテーマでも、一般書ならどんどんお引き受けしている。
 
バンド・デシネ(フランス語圏のマンガ)の仕事も、最初は早川書房さんからの依頼だった。もともとマンガは好きなのですぐお引き受けした。それが『ブラックサッド』である。子どものころにフランス語を覚えるために読んだバンド・デシネの経験が、ひょんなことから役に立ったというわけだ。そのうちバンド・デシネを日本に普及させようと邁進する仲間たちとも出会い、情報交換しながら切磋琢磨している。

最近では私もいくらか積極的になり、昨年出た『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』(カトリーヌ・ムリス作、花伝社刊)と『クレール』(オード・ピコー作、DU BOOKS刊)はいずれも持ち込んだものである。
今後はほかの分野の翻訳にも挑戦してみたいと思っている。

※ 『通訳翻訳ジャーナル』2020年春号より転載

大西愛子
大西愛子Aiko Onisi

フランス語翻訳者。近年の訳書はおもにフランス語圏のマンガ―ガルニド&カナレス『ブラックサッド』シリーズ(飛鳥新社)、ド・クレシー『氷河期』(小学館集英社プロダクション)、ルパージュ『チェルノブイリの春』(明石書店)など。夢は文芸翻訳。
*『通訳翻訳ジャーナル』2020年春号・掲載当時*