2023.06.27 UP
「ハリー・ポッター」シリーズ翻訳者
松岡ハリス佑子さん Special Report&Interview Vol.1
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子どもから大人まで、世界中で誰からも愛されているファンタジー「ハリー・ポッター」シリーズ。2022年には舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』(2016年にロンドンで初演)が日本でも上演され、さらに2023年6月には「ワーナーブラザース スタジオツアー東京 – メイキング・オブ・ハリー・ポッター」(東京・豊島区)がオープン。ゲーム(『ホグワーツ・レガシー』、『ハリー・ポッター:魔法の覚醒』など)も話題になるなど、ハリポタ人気はますます過熱しています。
そのハリー・ポッターを日本に紹介したのが翻訳者の松岡ハリス佑子さんです。
季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』では、2019年に『ハリー・ポッターと賢者の石』の邦訳刊行20周年を記念して行われた松岡さんのご講演会のレポートとインタビューを誌面に掲載しました。その記事を今回、特別にWeb版「通訳翻訳ジャーナル」で公開します(全2回)。
Vol.1ではハリポタ翻訳の裏話、シリーズの動向などがわかる講演会のレポートを、
Vol.2では翻訳者をめざす方へのメッセージなども含む、松岡さんのインタビュー記事を掲載します。
※季刊誌『通訳翻訳ジャーナル』2019年秋号より転載。本記事の講演とインタビューは2019年6月に行われたものです。
【Vol.1 「ハリー・ポッター 二十年目の贈りもの」講演会レポート】
言葉への情熱を燃やし
魔法の世界と共に歩んだ20年間
ハリポタファンが集まった講演会会場に登壇した松岡さんはまず、「ハリー・ポッター」シリーズとの出会いを回顧する。通訳者として活躍していた1997年、前夫・松岡幸雄さんががんで亡くなると、幸雄さんが立ち上げた小さな出版社、静山社を引き継いだ。何か出せる本はないかと探していたところ、通訳の仕事で渡英した1998年10月、長年の友人ダン・シュレシンジャー(画家、日本語版の表紙・挿絵を担当)さんに強く勧められたのが、Harry Potter and the Philosopher’s Stoneだった。「一晩で一気に読んでしまい、翌朝には版元に電話をしていた」という。
2カ月の交渉の末、同年12月に版権を獲得。文芸書の翻訳経験がなかったことから、ネイティブの日英翻訳者を含む5名のプロジェクトチームを結成し、入念に翻訳チェックをかけながら原稿を仕上げた。そして1年後の1999年12月1日、記念すべき第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』を刊行。その1年間を「あんなにもおもしろくて夢中になった時間は人生で初めて」と振り返った。
また第1作の刊行直前、英エディンバラで著者のJ・K・ローリングさんにインタビューした際、ボロボロになった原書に〝To Yuko. My passionate publisher!〞(情熱溢れる出版人、ユウコへ)と書いてもらったそうで、その本は「記念碑」として大事にしているという。
2008年7月23日には、最終巻となる第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』を発売。国内のシリーズ総販売部数は2500万部にのぼる(2019年時点)。「1〜2年かけて3000部に届けば幸せという時代に、どの巻も100万部以上売れています。静山社からこれだけの本を出せて、亡き夫の夢を叶えることができたかなと思っています」
ごく普通の文章のほうが
訳すのは難しい
「ハリー・ポッター」シリーズは約80カ国語に翻訳されており、2009年にはパリで翻訳者会議を松岡さん自ら組織し、各国のハリポタ翻訳者が集結した。そのときの様子を写真とともに振り返った。
また2018年11月には、ハリポタの翻訳をめぐるパネルディスカッションがニューヨークで開催され、スペイン語、ウクライナ語の翻訳者とともに松岡さんも参加。そのときに行った発表をもとに、翻訳の舞台裏を明かした。“dementor”(吸魂鬼)などの架空の生きものや“Sneakoscope”(かくれん防止器)といった魔法道具については、掛け詞などの言葉遊びを生かしたり、意味を優先したり、日本の昔話から着想を得たりと、そのつど柔軟に対応したという。
「造語や掛け詞を訳すのはそれほど難しくありません。むしろ、なんでもないような普通の文章に苦労します。
たとえば第1作の冒頭、ダーズリー夫妻について”they were perfectly normal” と書かれていますが、何を指してnormal と言っているかは、本を全部読んでみないとわからないのです」
その後、話題は本編シリーズの後日譚にあたる舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』、前日譚とも言うべき映画「ファンタスティック・ビースト」シリーズへ。内容を紹介しながら事件や出来事を時系列で確認し、「このようにハリー・ポッターの世界はどんどん広がっています」とまとめた。
言葉への情熱があったから
すべて訳し切ることができた
終盤、松岡さんは「私はつくづく遅咲きだと思います」と述べ、あらためて自身の来歴を顧みた。
15歳で単身、故郷である福島県を離れ、宮城県の高校に通ったこと。大学卒業後に常勤の通訳者となり、28歳でフリーランスに転身、通訳者として初めて外国(アメリカ)の地を踏んだこと。56歳で初めて出版翻訳を手がけ、64歳で再婚したこと。
「徳川家康の遺訓に『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず』という一節がありますが、これがまさに、この20年を振り返っての感想です。急がずゆっくり、苦労を苦労と思わずにやってきたから、今があります。言葉を追いかける情熱があったから、これだけの作品をすべて訳し切ることができたのだと思います」
質疑応答では、「この作品が子どもから大人まで愛される理由は何だと思いますか?」との問いに対し、作品の魅力として「ユーモア」「壮大な構想」「生き生きしたキャラクター」「魔法のおもしろさ」「爽やかな読後感」の5つを挙げ、「50代の私が読んでも、心が反応する言葉があった」と世代を超える普遍性を指摘した。
最後に、「ハリー・ポッターの世界は広がり続けており、また魔法の世界に戻れたことがうれしい。皆さんも長き道を歩み、振り返って『よかったな』と思える人生をしっかりと生きてください」との言葉を贈り、講演会は終了した。
翻訳家、株式会社静山社代表取締役社長
松岡ハリス佑子さん
まつおか・はりす・ゆうこ/国際基督教大学(ICU)教養学部社会学科卒。モントレー国際大学院大学国際政治学修士。ICU卒業後、海外技術者研修協会(現・海外産業人材育成協会)で7年間、常勤通訳を務めた後、フリーランスの通訳者に。1998年に静山社社長に就任し、「ハリー・ポッター」シリーズ(全7巻)の翻訳を手がける。そのほかの訳書に、「少年冒険家トム」シリーズ、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 映画オリジナル脚本版』(以上、静山社刊)など。
※ 『通訳翻訳ジャーナル』2019年秋号より転載 取材/金田修宏 写真/合田昌史 取材協力/静山社、NHK文化センター